AIエー・アイ ~探偵とアンドロイド美女~

悟房 勢

第1話 英雄の息子からのオファー


 大規模な移住は過去にもなされた。特に知られるのはゲルマン民族の大移動であるが、二世紀末ごろから始められ六世紀半ばまで続いたとされる。これによりヨーロッパの民族分布図は大きく変わり、古代が終わり中世が始まったという。


 また他に、ヨーロッパ各国の植民地政策が挙げられる。大航海時代以降、移民が推進されるわけだがここに来て人類はまた新たな局面を迎えていた。月への大移動である。アーロン・ブラントやヨハン・アマロ、ユーリ・ダヴィドフなどの名が開拓史にさん然と輝く。彼らは、想像も絶する環境下で人々の先頭に立ち、多くの移民を導いた。


 なかでも、取り立てて言うとすれば、国家単位での大移動もほぼ終息した西暦2130年のことだろう。国連が三つのコロニーを国家として承認した。アメリカ、中国とEU、ロシアのそれぞれをルーツとするコロニーである。また、国連はこれを契機に年号の使用を西暦と宇宙歴の併用に改めた。


 西暦2180、宇宙歴0050。建国五十周年に当たるこの年、月では式典や祭典が目白押しであった。一年を通して、要人から一般人に至るまで多くの人が月を訪れることであろう。観光業界の後押しもあったし、ニュースやワイドショーもそればかりを話題としていた。


 地上ではというと、相も変わずであった。国の数だけ偉人がいた。無理矢理こじつけて偉人をでっち上げた国もあっただろう。各国こぞってインチキ偉人の誕生日を記念日に制定したり、記念行事を行ったりした。とりもなおさず、それは国家の威信をかけてのことだった。


 ビル・メネス。彼は正真正銘の英雄だった。月への大移動は彼なしでは語れない。メネスは技術屋であった。しかし、彼の業績はロボットやAIではなかった。


 例えば、宇宙空間でのコロニー建設には大量のロボットが活躍した。安全保障上、ロボット開発はすでに高水準まで達していた。この分野において英雄の到来はもう必要ではなかった。


 AIに関しても同じだった。人を運ぶ旅客船もそう。メネスはというと、大気と水を作り出し、それを循環させるシステムを開発した。また、彼はシステムの建設、保守点検、技術向上のために会社を立ち上げた。メナス社はスペースノイドたちにとって唯一無二の存在となっていく。


 それは一方で、地上に住む人々とって穏やかならぬことでもあった。彼らにはすでに神が存在していた。メネスはただの英雄、それも技術屋で下位。言いようによっては人の弱みにつけ込む悪徳商人のような扱いだった。この点についてスペースノイドはアースノイドに異論を唱えた。


 だが、そういうことは往往おうおうにしてある。かく言う僕の父親はハッカーだった。知識欲を満たすだけのただののぞき屋だったが、移民を後押しする政府に反抗する移住反対派からは神のように扱われ、『ワールド』とまで称されていた。


 どこにでもいるようでいない。足跡を残すのは、ちょっとした気分。お前も風に当たりたい時があるだろ? あれと同じだ、と父は言う。事実は生活の憂さ晴らしか、気分転換なのだろう、ぱっとしなかった父は僕の知らないところで政府の悪行をマスコミにたれ込んだりしていた。


 おかしな言い方かもしれないが僕はその事実を、父が死んでから知った。父は、警察や国際機関に尻尾を掴まれることはなかったし、普通のニートをしていた。


 ただ、ほとんどPCから離れなかった。それについては不思議だった。どうやって僕が暮らしていけているのか、それを父に問うとWEB小説だと言った。笑えるがおそらくは、発展途上国の銀行から生活費? をちょろまかしていたのだろう。WEB小説家にしては機材が多すぎだし、スペックも高すぎた。


 それはともかく、父は今、電脳の海深くに沈んでいる。


 そうしたいと思っていても実際に実行する者はいないだろうが、父はやってしまった。父にしてみれば、お菓子の家に憧れた子供が大人になってお菓子の家に住んだ、と同じ感覚なのだろう、後悔する様子はないどころかその生活を楽しんでいるかのようであった。


 たまに浮いて来ては僕をからかったり、手助けしてくれたりしてくれている。そんな父が人々に今なお『ワールド』と恐れられ、讃えられているのが滑稽でならない。実態は昔と変わらない、おもちゃをとっ散らかしてほっぽらかしているなんら責任を取れないヒキコモリなのだ。


 僕はというとその点、大人だ。父の遺産、莫大な資金だったり、軍需産業のマル秘商品だったりを人助けに活用させてもらっている。僕の経歴を見る限り、人はしがない探偵だと思うだろう。確かに元軍人でもなければ、捜査官だったわけでもない。


 ディノス・メネス。ビル・メネスのたった一人の遺子であり、メネス社の総帥である。そしてこの男が、今回の依頼主だった。


 信じられない話だろうが、僕自身も実際メールが来た時は小躍りしたものだった。ネットでは彼に関して色んな情報が飛び交っていた。ほとんどが社交界の出来事だった。世界一のモテ男、それをこの目で見られるのだ。


 それに、言っちゃぁなんだが、僕は彼に親近感を抱いている。父のことでだ。当然ディノスは知らないだろうが、お互いに偉大な父を持っている。ま、僕の方ははなはだ疑問だが、せっかくお誘いがあったんだ。だから有り難く眼福にあずかろうというわけだ。


 百パーセントウールのスーツに、シルクのシャツ、滅多にお目にかからないような天然素材をディノスは着こなしていた。実年齢は五十一歳だが、見た目は四十だった。そのセレブを絵に描いたような男が、まるでジゴロのように机の端に腰をひっかけて、足を前で交差させ、腕を組んで僕を眺めていた。


 距離にして五メートルはあっただろうか、僕は小さい机の横に立たされていた。ディノスがいる木製の重厚な机と、だだっ広い部屋の中央にぽつんと置かれた小さな机。ペン立てだけのそこが僕の居場所だった。


 この部屋に入った時から僕がこの机の横に立たなければいけないのは分かっていた。何の迷いもなくそこに向かったことについては正解だったようだが、ディノスにしてみれば、それでもまだ不満があるようだった。


 整えられた口ひげと濃い眉のディノスが、無機質な黒い瞳でずっと僕を見つめていた。あまり心地がいいもんじゃぁない。僕が場違いなのは分かるが、立たされたままというのも何だか違うような気がする。


 ともかく、雇主になろうとする男が立っているのでは、僕は座るわけにもいかない。ま、机に腰を引っ掛けているのだから立っているとは言い難いのだが、それでも、声を掛けられるまでこうしているしかなかった。馬鹿みたいに僕はずっと突っ立っていた。


 メナス社はシカゴにあった。四角錘しかくすいのいわゆるピラミッド型の建造物である。窓のように見えるものはすべてテラスであり、その壁面のほぼ中央部にはエアーカーの発着場があった。


 シカゴのど真ん中に鎮座し、その形状から分かるように敷地を効率的に使っているとは言えない。だが、それゆえに力の象徴となり得たし、その異様な風体から新時代到来、そのランドマークとしてシカゴ市民には愛されていた。


 ディノスのオフィスは、そのピラミッドの頂点にあると聞いていた。けど、僕がディノスに会った場所はそこではない。百キロ四方の敷地にポツンと一軒家の、アリゾナの私邸だった。


 シカゴのとは違い、一階だけが地上にあり、あとは地下で、五階が埋まっている。目立たないどころかおよそピラミッドとはかけ離れた作りであり、唯一姿を見せる一階も飾り気もなく、外壁はというと屋根以外すべてガラス張りであった。その一階も、砂漠のど真ん中にあるだけに風向きによっては砂に埋もれるという。


 度々訪れる招かざる客にとっては、あまり愉快なところではなかった。分かりにくいのはともかく、砂の中には警護ロボットが潜んでいるというし、ディノスが引いた道以外にディノスの私邸にたどり着ける方法としては、メナスズロータリーから発着する航空便だけしかなかった。


 メナスズロータリーとは文字通り、ディノスの私邸の玄関口である。だが、ある意味で、アリゾナと言えば大体の人は、ディノスの私邸よりメナスズロータリーの方をまず頭に思い浮かべる。


 地上の各国がいまだ月への航路確保にしのぎを削っている最中にあってメナス社は、特別に月への航路を認められていた。コロニーにおいてインフラの安全確保は最重要課題であったし、過去コロニー建設にあたってメナス社は、大量の作業用ロボットやら技術者やらをここから宇宙そらへと送り出していた。


 月にある三つの巨大コロニーと結ぶ港、それがメナスズロータリーのもう一つの顔であった。


 ディノスの私邸からただ一つ伸びる道はそこへと繋がっていた。ディノスと会った僕は契約を済ませると早速、その道を帰され、メナスズロータリーから月へと飛ばされた。



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