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 学校には屋敷の少年たち以外にも一般の男子も通っていた。この“一般”というのは男娼をして生活費を稼ぐ必要のない、充分に恵まれた子たちのことだ。彼らと屋敷の少年たちには一見すると何ら違わない同じ世代の子どもたちのようだったが、イヴァンの目からは明らかに両者には差があるように映った。ただそれが一体何によるものなのか分からず、教師が書く意味の分からない文章をひたすらにノートに書き写すという作業を行っていた。

 ある日の食後、イヴァンは男性の部屋に向かう。みんなから「先生」と呼ばれてはいたが学校でその姿を見ることはなく、どうやら別の場所で働いているらしいということだけはあのジェームズという名の少年から聞くことが出来た。

 ドアをノックすると中から明朗な声がして、イヴァンは入室する。

 男性はいつも優しそうに見える笑みを湛えていた。仕事で忙しそうなのにそういった疲れが彼の顔に滲むことはなく、稀に顔を出す食事の席でも少年たちにあれこれと気遣って接していた。


「どうしても気になることがあります」

「何かね?」

「ぼくたちから買ったという春はどうしたんですか?」


 そんな質問をぶつけられるとは思っていなかっただろう。いつもすぐに返答をする男性にしては珍しく考え込み、それからやはり笑みを見せてこう言った。


「君は良い質問をするね。そうだ。もしその“春”が何か分かったら君にとても良いものをプレゼントしよう」


 こうして翌日からイヴァンは自分たちが売ったという“春”について考えることとなった。

 

 学校で仲良くなった一般学生にベンという名の少年がいた。金髪でくるりとしたブラウンの瞳が子犬のように見える、いつも授業中、元気に手を挙げては失答をしている。イヴァンはそのベンに「春って何だろう」と尋ねてみた。当然ベンはいつもの調子で「分からないよ」と答えたが、それだけでなく「知りたいことがあるなら図書室に行ってみれば?」と教えてくれた。

 

 図書室や図書館というものが本を集めた場所だということは知っていたが、そこで知りたいことが分かるというのは聞いたことがない。

 学校の北側の離れに造られた木造の建物は中に入ると何とも特有の臭いがする。入口脇にはカウンターがあり、そこで眼鏡を掛けた女性が座って本を開いていた。読んでいる、という訳ではなく、何かをチェックしているようだ。ぺらぺらと捲ってはすぐに閉じ、また次の本を手にしてぺらぺらとやっている。


「何か?」


 氷のような声だった。イヴァンは自分が声が掛けられたと分からず、じっと彼女を見たまま固まってしまったが彼女が再び同じ文言を口にしたのでそれと分かり、恐る恐る口を開いた。


「知りたいことがあって」

「何を知りたいの?」

「春についてです」


 は、る? ――と彼女はわざわざ区切るようにして発音し、目を険しくした。


「少し待っていて」


 けれどすぐに立ち上がり、短くそう言うと、イヴァンを残して書架の海へと消えていってしまう。

 イヴァンは本というものがどうにも好きになれない。彼にとって本を手にしているのは一般人、即ち寒い冬に凍えながら夜が明けるのを待つような、そんな暮らしとは無関係な人間たちだからだ。だからここは彼にとって自分がこれまで生きてきた世界を否定する為の部屋だった。


「これを」


 どれくらい待っただろう。イヴァンが彼女の代わりにカウンターの椅子に座ってくるくると回って遊んでいると、次々と両手で抱えてきた分厚い本を置いていく。図鑑や辞書、百科事典。そんな文字が目に入るが、それらが何を意味するのかは分からない。


「これも」


 他にも手のひらサイズの、いわゆるペーパーバックや薄い雑誌も幾つかカウンターの台の上に置き、これらを借りるのはここの生徒なら自由だと説明してくれる。ただここでもサインを求められ、イヴァンはその名を書き記した。

 

 一度に本を全て持ち帰ることはできず、事典などの重いものは図書室に残しておいて場所だけ教えてもらった。それでも彼の部屋の丸テーブルの上には十冊以上の本が積み上がり、それらのどの表紙にも『春』という文字が入っていた。

 とりあえず手に取ったのは季節について書かれたエッセイだった。

 エッセイというのは思ったことを思ったようにつづったものだと、図書室の女性が教えてくれたが、どんなものであれ人間が書いたのなら、それは思ったことを思ったように書いているのではないのだろうか。その疑問に彼女は目線を険しくしただけで何も答えてはくれなかった。

 本には春が一年のうちで一番好きだと答える人が最も多く、それは冬という厳しい季節が明けて明るく温かくなり、植物たちも芽吹く始まりの季節だからと書かれていた。

 でもそれが春だとすると、イヴァンから春を買ったという男は一体何を得たのだろう。

 他には『青春』というものがあった。人間の、特に若く未熟な時期のことをそう呼ぶらしいが、多くの人はそれを有難がり、憧れを持ち、大人になってからは回顧してやまないそうだ。それならずっと青春時代を生きればいいのに、ある程度の年齢になると大半の人がそれを失う。大人になることと青春を失うことがほぼ同義らしく、寧ろそれを捨てることが大人になる為の儀式という位置づけのように書かれていた。

 

 果たして今のイヴァンたちはその青春と呼ばれる時期を生きているのだろうか。

 例として出てくるものの多くは学校生活の一部で、学生という身分を得たイヴァンたちはその定義でいえば青春時代のまっただ中という訳だが、何故だろう。イヴァン自身を顧みるまでもなく、この屋敷で暮らす少年たちがその貴重な時間を生きているようには思えなかった。おそらく他の一般の学生と大差のない生活をしているであろうに。

 本を閉じ、ベッドに横になる。

 天井を見上げて感じたのは、男娼をしている時の方が貧しかったし苦しかったが、何故か楽しいと感じる瞬間が多かったということだ。

 

 その次の日、朝食を終えたイヴァンは学校には行かず、家出した。

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