机上のラブレター

立入禁止

机上のラブレター

 高校三年の冬。窓の外を見れば雪がちらつき、周りは受験への追い込みでピリピリした空気が教室内に漂う。既に私立での指定校推薦が決まって他の人より安泰な分、この空気は居心地が悪く、図書室へと逃げ込むように教室からそっと抜け出した。

「はぁ……」

 廊下で無意識に漏れたため息は白い息へと変わり、目の前から瞬時に消えていく。自習はとにかく暇な時間を潰すのに苦労する。あぁ、早く卒業したい。学校が嫌とかではないけれど時々息が詰まるほど窮屈な時があるのだ。大学に行ってからもそうなんだろうと思うけれど、今よりは息がしやすいだろう。

 誰も歩いていないひっそりとした廊下を、自分から発する制服の擦れた音と上履きの音しかしなくて、現実世界から切り離されたような感覚に目眩を覚える。

「このまま異世界転生とかいいなぁ。チート持ちで」

 実際にそんな事は起こるはずはなく。窓の外を見ながら自由に大空へと羽ばたいていく鳥を横目で見て図書室まで歩いて行く。なるべく静かに扉をカラカラと開ければ、それまた非日常的な空間に意識が揺れる。カウンターに座っている司書さんに挨拶をし適当な本を手に取った。

 どこにしようか。

 誰も居ない貸し切りの図書室。どこにしようか、なんて既にほぼ決まっている席へと腰を下ろし机に本を置く。すぐに本を開く事もなく、頬杖をつきながら窓の外を眺めた。

「こういう世界なのか」

 ずっと気になっていた席。あの子がいつも座っている席。ここで勉強をして、本を読んでいる。そして時々、窓の外を眺めて黄昏ている。何故か神聖な領域のような気がして、この席には一度も座ったことがなかった。自分の邪な気持ちが彼女を汚してしまう気がしたから。


 私は同性が好きだ。女が女を好き、男が男を好き、今となっては容認されている恋愛認識だとしても学校という狭い世界は違う。世界は広い、けどとてつもなく狭いのだ。その中でマイノリティは異質で異様とされ、好奇の目に晒される。 自分にはそれが耐えられない。

 気がついた時には、女の子ばかり目で追っていた。恋愛的な意味で好きだと思ったのは中学生の時だ。テレビで見たセクシャリティ問題の番組でしっくり来た。隣で見ていた親に「お前は、あぁなるなよ」と言われて、この想いは一生墓場まで持っていこうと誓ったものだ。家族の事は好きだ。だけど時々息が出来なくなる瞬間がある。今、見放されたらやっていけないだろう。幼稚な考えだなと自分でも思う。それが嫌で何かに抗いたくてとった行動が遠くの大学に行くことだった。遠くに行けば必然的に親元から離れられる。自分に出来る唯一の反抗。

「早く大人になりたいなぁ……」

 小さく呟いた声は、しんと静まり返った図書館では思いのほか大きく響いたように思えたが、幸い聞いている人は居なくて胸を撫で下ろした。


 図書室の窓際。この場所にいつも座っている彼女の事は知っている。同学年で特進クラスの中でも上位だという噂を聞いたことがある。進藤歩結しんどうあゆむ、話したことも無い彼女の名前をなぜ知っているのか。高校二年生の時、図書委員で何度か彼女の対応をした事があるからだ。名前とクラスと声くらいしか知らない。それでも彼女のなにかに惹かれたのだと思う。一目惚れ……なのかな。窓の夕陽に照らされる彼女が綺麗で儚くて、自分には到底手の届く相手では無いからこその憧れもあるのだろうと思う。机をさらりと撫でる。彼女はどこに進学するのだろうか。自分は遠い地に行くのだ。ここを卒業したら二度と会うこともないだろう。

 二度と会うことはない……。


 そのフレーズに、それならと湧き出る気持ちが出てきた。制服の胸ポケットに刺したままのシャープペンを取り出し、カチカチと芯を出す。一応辺りを見回すが、見られている気配もなくカムフラージュの為に本を開いて読んでいる振りをしながら考える。

 書き出しはもちろん名前からだ。

 進藤歩結様──

 カリカリと机に滑らせるシャープペンの音と自分の息遣い、そして無駄に昂った心音が耳に響く。彼女のなにに惹かれたのか。どうして好きになってしまったのか。一目惚れか。はたまたそれに近しい何かか。気付いたら自然と目で追ってしまっていたのだ。退屈な委員会活動だったが、いつしか彼女が来ることを密かな楽しみにしていた。無駄に友人から委員会の当番を代わったものだと思い出して口角が自然と上がってしまう。自分という人間は随分と単純でわかりやすいのだと気が付いたものだ。


 このままでいい。伝えるつもりもなく伝わらなくてもいいと思っていたのに、今日に限って変な欲が出てしまった。どうせ伝わらないなら。どうせバレないなら。それならば伝えてもいいのでは、と。

 我ながら短絡的で後先考えない行動だと思う。バレた時のリスクは高い。それが目に見えているのに何故こんなことを、なんて既に分かっている。どうしても伝えたくなってしまったからだ。一方的で迷惑にしかならない想いを自分勝手にぶつける。傍から見れば独り善がりな感情で、浅はかで、気持ち悪い。自分の気持ちなのに嫌悪感が湧いてしまう。自傷気味に笑うと同時に、シャープペンを持つ指から力が抜けて、カランと小さな音を立てて机の上を転がって止まった。

 こんなこと、後にも先にもこれっきりにしよう。

 キーンコーンカーンコーンとチャイムがなり、授業が終わったことを知らされる。支離滅裂だなと思いながらも小っ恥ずかしい想いに再度目を通すことなく、シャープペンを拾って胸ポケットにしまう。司書さんに挨拶をして、自分の想いを書き置いた図書室を後にした。


 それから一度も図書室には行かないまま卒業式を迎えた。


 卒業までの間に、そういう噂はなく広がっている雰囲気も感じられなかった。

 書いたあとかなり後悔した。けど、消す為に戻るわけには行かず気を揉んだ。暫くして噂が無いなと分かると、安堵したのを思い出す。そのあと気にするのは反応だった。彼女のことは時々廊下とかで見かけだが特にこれといった様子もないように思えた。あの手紙は読まれたのだろうか。もしくは掃除の時間に消されてしまったか。誰かのイタズラかと思われたか、気になる部分はたくさんあったが見に行く気にもなれなかったし、なにより勇気がなかった。

「臆病者め……」

 ハレの日に自分を戒める。卒業式で見た進藤さんは、図書室で見かけていた進藤さんだった。無意識に探して目で追ってしまっている自分に呆れてしまうが、これで最後だからと言い聞かせて堂々と見た。

「進藤さんともっと話したかったな」

 皆とわいわいした後の教室は、無駄に静かで寂しい。無事に卒業式も終わった。そして最後に進藤さんの姿を目に焼き付けた。目を瞑れば脳裏に思い浮かぶくらいだ。それだけで充分じゃないか。

「……はぁ。未練たらしいったらありゃしない」

 ふはっと自傷気味に笑いながら、荷物を全て持ちお世話になった教室を出ていく。向かう足先は下駄箱、ではない。


 ガラガラガラと扉を開けばカウンターにはいつもの司書さんが居た。頭を下げれば同じように返してくれる。図書室はいつもの風景のままで、ふわっと意識が眩む。卒業したなんて自覚がわかず、明日もここに通うような錯覚に陥る。そうして立ちすくんでいれば司書さんに声を掛けられた。

「卒業おめでとうございます」

「ありがとうございます。委員会で色々とお世話になりました」

「こちらこそ。卒業しても元気でね」

 司書さんはそういうとお祝いと飴をくれて自分の席へと戻って行った。司書さんとの会話を終え、ぐるっと図書室を見渡す。足は自然と動きだし目的地に。進藤さんが座っていた場所へ行き着いた。椅子を引いて腰を下ろす。あの日以来だ。窓の外を見て、校庭では自分同様に残っている卒業生がはしゃいでいた。その光景を俯瞰して見ながら、本当にこれで最後かと実感した。卒業式ではなんともなかったのに、今更ながら胸の奥から込み上げてくるものがあった。鼻の奥がツンとして目を閉じる。


 どれくらいそうしていたんだろうか。ふとした人の気配に目を開ければ、対面に人が座っていた。思わず出そうになった声を両手で抑えてその人物を見れば、ノートを指でトントンされる。その指を目で追いかけて見れば開かれたノートには『自己紹介』と書かれていた。ゆっくり息を吸って吐いて覚悟を決める。なんで、どうして、なんて聞きたいことは二の次だ。

「普通科、三年D組、篠崎華しのざきはな

「特進科、三年A組、進藤歩結しんどうあゆむ

 お互いに自己紹介を終えて視線が絡み合う。その視線を逸らすことが出来ない。

「篠崎さんですか?」


 何がとは言われないが確信を得たような言葉が胸に刺さる。ここでなんのことですかってシラを切ればなかった事に出来る。そう、無かったことに出来るのだ……。

「はい。私です」

 無かった事にしたくなかった。あの時書いた想いはあの時間に置いてきた。もういいや、とも思っていたのに……いざ目の前に本人が現れたら手放したくなくなった感情が暴れ出す。耳にまで響く心音が煩い。

「あれはなんですか?」

「進藤さんに対するラブレターですね」

「ラブレター、という事は私のことが好きなんですか?」

「そ、うですね。好意を持ってます」

 少しの沈黙が長く感じる。重なり合う視線は気まずくて逃げ出したくなる気持ちに抗うようにその場に留まる。

「篠ざ、」


 進藤さんが口を開いた瞬間、図書室のドアが威勢よく開き見回りの先生に見つかった。

「名残惜しいのは分かるが早く帰れよー」

 先生の言葉にお互い無言で席を立ち、最後に司書さんへと頭を下げて図書室と学校を後にした。

「帰り道こっちなんですね」

「そうですね。進藤さんもなんですね」

「はい」

 好きなのに知らないことばかりだ。いや、知ろうとしなかったのは自分だ。知ったらますます好きになる。この気持ちに歯止めが効かなくなりそうだからと知ろうとしなかったのだ。最後にこんな結末になるとは思いもよらなかったけど、いい思い出ができた気がする。

「あの、お友達からでは駄目ですか?」

「へぇっ?」

「ラブレターの返事です。篠崎さんとは図書室のカウンターで貸し出し等のやり取りはしていましたが、今日初めて名前を知りました。正直、机に書かれた自分への想いを見た時は驚きましたけど。書いた人は一体なにを思って書いたんだろうと。私の名前は書いてあるのに、書いた本人の名前を明かさないのはずるいなとも思いました。それから一方的に伝えて満足している人はどんな人なんだろうかという興味が湧きました。その日からなるべく図書室へ通いましたがそれらしき人は見つからず、卒業式に来るのではないかと思い待ち伏せしてみようと思ったんです。犯人は再度現場に現れるって言いますし」

「そして来たのが私だったと……」

「はい。勝手に男の子が来ると思っていたので驚きましたが、女の子だからといって特に変わるものでありませんでした。むしろ興味が湧きました。それからはさっきから今の出来事通りです」

「誰が来てもああしてました?」

「それはわかりませんが、興味がわかなかったら出て行きません。変な人だったら怖いですし」

「それは、確かにそうだ」

 これは喜んでいい、のだろうか。たぶんマイナスではないはず。進藤さんにとって変な人と捉えられていない。そして、返事をくれた。


「篠崎さんは友達では不満ですか? 私はそういう事柄になるにはお互いによりよく知る必要があると思ったのですが?」

「いや、全然嫌じゃないです。むしろいいのかなと。大学は東京の方に行くので、友達としての機能というかそういうのが果たせるかどうか危ういところもありますが……」

「あぁ、それは大丈夫かと。私も春から東京の大学なんですよ」

「えっ?」

 なにか、というような顔で見てくる進藤さんに開いた口が塞がらなかった。 よくよく聞けば大学も遠くなく、なんなら一人暮らしをする家も近かった。都合良く話が進みすぎて怖い。事実は小説よりも奇なりという言葉を思い出した。

「進藤さんが迷惑でなければ、その、お、お友達からお願いしてもいいですか?」

 恋愛云々以前に、知らない土地で不安なのは正直ある。家族から離れたがっていたのに寂しくて不安なのは隠しようもない事実で。誰かしら知り合いがいたら心強い。それが進藤さんとなればなんだか数倍心強さが増す気がした。

「はい、宜しくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 進藤さんに手を差し出され、その手を握り返して握手する。友達とは握手からなるんだっけ?と思うのも束の間で、そのあと口を開いた進藤さんからは怒涛の質問攻めにあった。血液型、身長、体重、好きになった理由、どこがどう好きなのか、なぜ机にラブレターを書いたのかなどなど……。

「あの、今日はこの辺で勘弁していただけないでしょうか」

 恥ずかしさとか訳の分からない展開にヘトヘトだ。疲れ果てた私を見て、進藤さんは思案した後、鞄から携帯を取りだした。

「いつでも連絡が取れるように、連絡先を教えてください」

「あっ、はい」

 怒涛の進藤ペースに乱され、あたふたしている合間に連絡先を交換し終えた。

「家に着いたら連絡します。なので篠崎さんも連絡してください」

「わ、かりました」

「私はここからこっちなので失礼します」

 ぺこりと形のいいお辞儀をして爽快に去っていく進藤さんの後ろ姿を、私は小さな声で「ばいばい」と呟いて見送ることしか出来なかった。

 まさか進藤さんが積極的、というかグイグイとくる性格だとは思いもよらなくて驚いた。驚いたが不快って訳でも無く、新たな一面を知ることが出来て楽しいという気持ちの方が強い。

「友達から、か……」

 自然に緩む口元を引き締めつつ家までの道のりを歩いていく。


 一度は諦めた恋。それを引っ張ってくれたのは他でもない恋をした相手だった。友達からだとしても、どうなるかなんてこれからの事は私には分からない。けど、もしかしたら進藤さんには分かっているのかもしれない。それでもいい。進藤さんが紡いでくれた物語なのだ。今日のこと、未来のことなんて私が分からなくてもいい。どんな関係であれ、今その時を大切にしていこうと心に決めた。


「友達同士でも帰宅報告はしたことがなかったなぁ」

 ずっと緩んだままの口元を隠すことをやめた。ゆっくりした歩きからいつの間にか早足に、そして駆け出していた。



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