予感(1)

「お疲れさまです。午後からもよろしくお願いします」


 報告用のメモを渡しに来た探宮者エクスプローラーの男にステラは微笑みかけて返した。男はその言葉を受けて、部屋のドアから出ていく。


 村の一角にある小さな礼拝堂、そこの一室にステラは待機していた。村から討伐隊の指揮所として借り受けたここで、討伐の指示と結果についてまとめることになっている。


 オーツが出ていくとステラは目の前の地図に目を向けた。ウッドラ村落とその周辺の地形が描かれたもので、所々に小さな丸がついている。丸はもちろんゴブリンがいると思われる場所。手元にあるメモを参照しながら、そこに一つずつバツを付けていく。


「順調、ですかね」


 ゴブリンの巣穴やそれに準ずると思われるポイント。その半分近くにバツが付いていた。この分なら夕方までに十分終わるだろう。今の所怪我人等の報告も無い。


(平和なのはいいことですけど――)


 椅子の上で伸びをしながら、片目で机の上の地図に目をやる。


 地図につけられたいくつものバツ。けどそのバツはどれも同じというわけではない。そしてその中に、いくつか気になるものもある。


(――思ったより数が少ないんですよね)


 当初報告等を受けて想定していた数よりゴブリンの数が少ないのだ。一つの穴蔵に付き一匹か二匹。それどころか何もいない「ハズレ」のものまであった。


(マンジさんたちの班みたいにかなりの数がいたところもありましたけど――)


 とはいえ数が少ないこと自体はそれほど悪いというわけではない。村からはすでに一定額の金銭等を受け取っているので、ゴブリンの素材等の「ボーナス」が少なくなるということを除けばむしろ一体あたりの金額は多くなるといえる。何より楽であるのは確かだ。


(とはいえ――)


 ある班から気になる報告が上がっている。とある巣穴を強襲したところ、出てくるより前に巣穴の奥へ「撤退」したように見えたように見えた集団がいたというのだ。


 撤退自体は考えられない話では無い。この辺一体の地下洞穴は繋がっているところも多いし、戦うよりも地下に逃げ込むのもさほど珍しい話ではない。倒せなくても、地下を通って村から遠いところに行ってくれれば万々歳だ。


「どのみち楽には違いないんですが――」


 地図のバツを眺める。同じように見えて、そのバツは全て違う。


 思ったより少ない討伐数。戦わず、穴の奥へと撤退するゴブリンたち。飾りや武装はある程度バラバラという報告は上がっている――だが――


 ――


 事前の報告から得られた限りではゴブリンの数は約四〇匹程度と予想されている。ブランク込みの人間が多くても十二人いればなんとかなる数だ。とはいえこれはそれらがバラバラのコロニーであると仮定しての数であり、もし仮に上位種による統制が取られているとなると――


「うーん……」


 うまく言えないが、とてもイヤな感じがする。


 かつて探宮者エクスプローラーをしていたときにも度々感じたもの。それは当たるときもあれば、外れるときもあった。今回はどちらだろう?


(……なんにせよ、まだ予測の域を得ませんね……)


 数があまりに多ければ、関係各所へのリレーも検討しなければならなくなるが今はまだその段階ではない。単純にこちらの予想より少なかっただけという可能性は十分あるのだ。


 ――午後からの作業の開始が迫っている。


 不意にワンダの顔が思い浮かぶ。結局今日はあのあと一度も顔を合わせていない。マンジからも特段何も言及は無かったが、無事にやれているだろうか。


「……何事も無ければいいんですが」


 ステラは重い腰を上げ、外の広場へと向かった。






 ――ウッドラ村落の周辺の地下には洞穴が無数に連なっている。


 血管のように張り巡らされたその中を流れるのは、光を一切宿さない闇と冷たく湿った風。経験を積んだものであっても、油断すればたちまち迷ってしまうような場所。そしてその中には当然、人が入っていけないような狭い竪穴も存在する。


 ――人ならば、だが。


 今、一匹のゴブリンがそんな竪穴の一つへと身体を押し込め入っていく。大の男では到底入っていけない狭い隙間だが、小さな体に高い柔軟性を持ったゴブリンの身体はわけなく進んでいく。


 隙間を抜けると、広い場所に出た。大の男が何十人か入っても大丈夫そうな広い空間。そこかしらに狭い隙間があるのか、風が渦巻いて低い咆哮を上げる。


 あたり一面を支配するのは、手のひらすら見えない暗闇。そこをいくつもの黄色い光が回遊していた。ゴブリンの目だ。


 鈍色の輝きを宿した双眸の群れは、暗闇の中でも互いにぶつかり合うこともなくゆらゆらと動き回る。だが、広間の中央には決して近寄ることはなかった。そのせいでまるで黒い穴が空いたような空間ができあがっている。


 ――と、その暗闇の中心にひときわ大きな光が静かに灯される。


 部屋をうろつきまわるゴブリンたちよりも遥かに高い位置――おおよそ二.五メルタメートル以上といったところか――にあるそれは、よく見ればゴブリンらと同じ鈍い輝きを宿している。


 ゴブリンたちの動きが止まる。洞穴の中を流れる風音に重低音が混ざりだし、ゴブリンたちの叫声が低い唸り声へと変わる。自分たちより位階が上のものへの、畏怖と恭順の証。


 今この場が光で照らされていたなら――


 暗く淀んだ暗緑色の皮膚が。


 ゴブリンの細いそれでは到底かなわない太く隆々とした手足が。


 上位種の証たる、太い円形状の角が。


 ――見えていたはずだ。しかし今この場でその恐怖を共有できていたのはゴブリンたちだけだった。


 ――ホブゴブリン、ゴブリンの上位種。ゴブリンよりも遥かに厄介で恐ろしい魔物。しかも今この場にいるそれは、そこで終わっていない。


 平均でホブゴブリンの大きさは二メルタメートル弱――しかしここにいるものはそれを遥かに上回り、その体から放たれる禍々しさも段違いだった。おそらくもう少し人や魔物を食えば――さらなる上位種、ロードゴブリンへと変貌しかねない。


 ホブゴブリンが、叫び声を上げる。ゴブリンのそれとは比べ物にならないほど、身体の置くまで響くような重低音。一瞬気圧されたゴブリンたちもやがて甲高い鬨の声を上げ始め、不協和音が洞穴の中を塗りつぶしていく。


 ――暗く湿った闇の中、誰にも知られないうちに脅威が産声を上げつつあった。

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