第16話 窮鼠猫を嚙む

 夜が明けてすぐ、私は仙月シェンユェを始めとする侍女たちに一つの仕事をお願いした。

「今日一日かけて、ジン浩然ハオラン総督に関する逸話を出来る限り集めてほしいの」

 紅花ホンファ若汐ルオシーが怪訝そうに顔を見合わせる。

翠蘭スイラン様、それは一体……」

「必要なの、これから書く物語に。私の身の回りのことは一切しなくていいから」

「これから書く、物語に?」

 私が幽閉を命じられたことについては、既に彼女らの耳にも入っていた。その理由がジン総督との不義密通疑惑であることも。皆、困惑した表情を浮かべている。

「わかりました、やりましょう」

 凛とした声を響かせたのは、侍女頭の仙月だった。

「仙月……」

「それが翠蘭様のお望みでしたら、私たちは従うのみです」

「ありがとう、仙月!」

 私は皆を見回す。

「みんなもお願い。『皇后のことで侍女である私も困ってる。こんな事態を引き起こした井総督とは、一体どんな人物なの?』そんな感じで、出来るだけ情報を集めて来て」

 皆は不安そうに互いの顔を見つめていた。しかしやがて彼女らは覚悟を決めた面持ちとなる。

「はい!」

 それはとても涼やかで美しい声だった。


「何をするおつもりですの?」

 昼頃には香麗シャンリーが私の部屋を訪れた。

「翠蘭様付きの侍女があちこちで、井総督について聞き回っているようですけど」

「ちょっと書きたいものがあってね」

「書きたいもの……? こんな事態に何をのんきな」

「あ、そう言えば私が幽閉されたら、次の皇后には香麗がなるのかな?」

「翠蘭様……」

「皇帝大好きな香麗なら、きっと私よりもいい皇后になるね。頑張って」

「……馬鹿にしておられるの?」

 香麗の声が低くなった。

「私、こんな形で皇后の座を手に入れても、全然嬉しくありませんわ!」

「香麗?」

「私は、今の地位で十分満足しておりますの。陛下の愛は間違いなく私に一番注がれておりますし! となれば、いずれ陛下の子を授かるのは私ですし、国母になるのも私で間違いございませんのよ? 皇后の座なんてわざわざ譲っていただく必要ございませんわ!」

お、おぅ、地雷ふんだ?

「えぇと、なんかごめん……」

「そうじゃなくて!」

 香麗は私の手を取る。

「私は翠蘭様に、今のまま皇后でいていただきたいんですの。そして、ここで朱蘭ヂュラン先生として数多の素敵な物語を生み出してほしいんですのよ」

「香麗」

「だから、私にもお手伝いさせてくださいな。私にできること、ございません?」

「……! 助かる! あるよ、香麗にしかできないこと!」

「まぁ、それは一体?」

「皇帝に関する逸話を、思いつく限り私に教えて」

「そんなことでよろしいんですの? 構いませんけど、私、すぐにのろけてしまいますわよ?」

「むしろその路線を期待してる」

 その日、陽が落ちるまで、私は彼女から皇帝の話を聞き続けた。


『朱蘭先生』による新作が配布されたのは、それから三日後のことだった。

「これは……、戦記もの?」

「いつもの恋愛小説じゃありませんのね」

「登場人物が、男ばかりじゃありませんか」

 宮女たちは初めのうち、露骨にがっかりしたようだった。

 だが、その内容に心をくすぐられる人間はやはり出て来た。

峰風フォンファンに対する泰然タイランの忠誠、なんだかすごく胸が高鳴ってしまいます」

「そう、まるで禁断の愛のような。背徳感があって、いつもとは別の興奮を覚えてしまいます」

 そう、私が書いたのは、これまで人気のあった峰風と泰然を同じ物語に登場させた、いわばスピンオフ小説。しかもブロマンス寄り。

 夢女子たちをがっかりさせぬよう、あくまでも二人の間にあるのは強い信頼関係。泰然将軍がどれほど皇帝・峰風のために尽くしてしたかを、これでもかとばかりに詰め込んでやった。

 しかし想像力豊かな人間が目にすれば「この二人の間には特別な愛があるのでは?」と妄想してしまうくらいの匙加減に仕上げてある。

 元居た世界でも、男だらけの少年漫画が女性にもてはやされることは多い。そしてその人間関係に妄想を大いに刺激される人も多い。

(やっぱりこの世界にもいた……!)

 皆は、峰風は皇帝を、そして泰然は井総督をモデルにしていると認識している。

(本当はどっちも違うんだけど)

 だが、皆に集めてもらった二人のリアルエピソードを、かなりアレンジしつつふんだんに盛り込んでやったのだから、今作は生モノ二次創作に近い。

 きっと多くの人の頭の中では、皇帝・勝峰と井総督との関係が描かれた物語と錯覚され、受け止められるだろう。

「新作の評判も大変良いようでございます」

「そう」

 仙月から報告を受け、私はぶるっと身を震わせる。

(さすがにブチ切れるかな)

 皇帝の怒り顔が頭に浮かぶ。

(だけど、一泡くらい吹かせてやる)

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