1. 一瞬だけ隠れた先は
天海先生と出会ったのは、私が中等部3年生の春休み前頃だった。
何処にいっても黄色い声や羨望の眼差しを受けてしまう私には、素をさらけ出して楽になれる場所や時間なんてどこにもなかった。
もう、こんなの終わりにしたい。疲れた。
そんなことを願っても私をまるで崇拝するかのように見つめる視線達は、逃がさないかのように私を捉え続ける。
逃げたい。一瞬でいいから逃げたい。
そう願ってしまった私は、廊下の果ての、扉の開いていたとある部屋へ吸い寄せられるように入ってしまう。
そこは、生物準備室だった。
教材なのか先生の趣味なのか、観葉植物の鉢が置かれている。
手入れが行き届いているのか、葉はつやつやとしていて爽やかな香りがする。
先生たちの居城である準備室には、入ってはいけないことなど百も承知であった。
そうして手に入れたつかの間の安堵に、私は心地よく甘える。
しかしそんな安らぎなど長く続かないもの。
「……誰だ?」
奥の方から声がする。先生だ。怒られるのは構わないけれど、もうここから出ないといけないなんて。
もう、見つかってつまみだされるまでは粘ろう。
部屋の片隅で体育座りして縮こまっている私の前に、ほどなくして白衣の先生が来た。
「……あんた、何やってるんだ?」
その声からは怒りも注意の意も感じ取れなかった。
「隠れています。」
「何から?」
「全てからです。」
「はぁ?」
え、この先生、なんにも知らない?
「ちょっとでいいから隠れたかったんです。」
私は目の前の白衣の先生に、経緯やら心情やらを話し始める。
この先生はうちの学年の先生じゃないし、先生も私のことをほぼ知らないみたい。
ならば好都合だ。
「……人気者も大変だねぇ。」
話を最後まで聞いてくれた白衣の先生は、まるで遠い世界の出来事の話を聞かされたかのようにぼんやりと一言だけ返事をすると、うーんとうなりながらうつむく。
私をどうするか考えているのだろう。
「……名前。学年。クラス。」
「え?」
「まずそこを名乗るのが礼儀だ。」
そこ? 私も名乗ってなかったけど、最初に怒られるのそこ?
「あ、はい。すみません。中等部3年B組、
「……よろしい。高等部3年所属、理科教諭、
へ? これ殆どお咎めなしってこと? しかも、ギリギリまでいていい、言い方は違うけれど『次の授業に間に合うように』ってことはそういうことだよね?
「あ、ありがとうございます!」
「……私の邪魔はしないように。あと、本当は生徒がいちゃ駄目だから静かに、な。」
「はい。」
天海先生は部屋の奥に戻っていった。
白衣は日に焼けたのか僅かに茶色がかっているけれど、振り子のように揺れるポニーテールの黒髪は艶めいて白地に映えていた。
ほどなくしてポットからお湯が出る音がしてコーヒーの香りが部屋を満たす。
開放感と安心感に満たされながら、私には別の感情が芽生えていた。
もっとここにいたい。天海先生のことをもっと知りたい。
私の中の感情は、まるで天海先生の残り香を探すかのようにそわそわしていた。
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