先輩と私

@maitakemaitakem

私達は惹かれ合い、退け合う

 今朝起きたら、身体がS極になっていた。

 別にこれといった面倒は起きていないものの、家中にあった磁石が引っ付いてしまうのが少し腹立つ。学校への道中でも、目に見えない力が働いて中々前に進めない。磁力を全身で感じたのは生まれて初めてだった。

 S極同士を無理やり引き合わせるようにしてなんとか学校に辿り着き、部室の扉を開ける。すると、いつも先に来ているはずの先輩が今日に限ってまだいなかった。身体が磁石になるなんて、こんなに面白い話は無いのに。運の悪い人だと他人事のように思う。

 それからは一人で漫画を読んだり携帯をいじったりして、しばらくすると私の携帯が着信音を鳴らした。見れば画面には「先輩」と表示されている。

「もしもし?」

『今どこ?』

「部室ですけど」

『あー、やっぱり』

「聞いてくださいよ、面白い話があるんです」

『朝起きたら身体が磁石になってたって?』

「なんで分かるんですか」

『僕もそうだから』

 話を聞けば、なんと先輩もS極になってしまったらしい。部室でいつものように本を読んでいたら、突然何かの力に押されて学校を飛び出したと言う。道理で学校に近付きにくかったわけだ。

「で、今は日本の裏側、ブラジルにいると」

『ここはコーヒーが美味しいね』

「なに呑気にくつろいでるんですか」

『学校には一日置きに交代で行く事にしよう。明日は君がブラジル観光を楽しむといい』

 そんなわけで、磁力が引き起こした不思議な日々が始まった。学校に行って部室で暇を潰し、次の日にはブラジルに行く。先輩と起床時刻を合わせたり寒暖差に風邪をひきそうになったりと、最初は大変だったけど、慣れてしまうとこれが案外楽しい。今ではブラジルに行きつけの喫茶店もできたから、そこでのんびりと過ごしたりする。まるで陰陽太極図のようだった。

 少し恥ずかしかったのは、どうやら先輩もここに通っているらしいと、若い女性の店員から聞かされた事だ。私と先輩が必ず一日置きにやってくる。理由を訊かれて、まさか「私達S極同士なんです」と言うのも恥ずかしかったから、ただ曖昧に微笑んだ。

 ある日、部室に先輩からの置き手紙があった。この時代だからこそ、せっかくなら文通でもしようという提案の内容だった。断る理由があるはずもなく、私は了承の意を込めた手紙を部室に書き置いた。

 部室とブラジルと行き来する日々。部室では先輩に宛てた手紙を書き、ブラジルでは喫茶店の店員と他愛もない話を交わす日々。それは確かに楽しかったけど、先輩に一度も会えないというのはどうしても少し寂しく思ってしまう。

 いつしか置き手紙は部室だけでなく、喫茶店の店員を通してブラジルでも行われるようになった。これで先輩からの手紙を毎日読めるようになる。いつからか憂鬱となっていた日々で、それだけが唯一の楽しみだった。

 そんな中、その手紙すら不穏に侵されていた事に気が付く。例えば、部室に書き置く手紙には学校での出来事(とは言っても何も無かったみたいな内容がほとんどだった)、ブラジルの女性店員から受け取る手紙にはブラジルで起こった事を綴るのが暗黙の了解だった。それを、先輩の方から破ってしまったのだ。

 いつの間にか、どちらの手紙にもブラジルで起こった楽しい出来事しか書かれなくなっていた。それもあろう事か、喫茶店の女性店員と話した内容がほとんど。「ブラジル人は日本人を好いている」「彼女は学校に行きながらバイトをしているらしい」「いつか日本に行きたいと言っていたよ」とか。そんな話聞きたくないのに。私が聞きたいのは先輩の話だ。

 私はその女性店員に冷たく接するようになっていった。彼女は全く悪くないのに。このままではいけないと、私はブラジルの喫茶店から先輩に電話をかける。

「一度でいいんです。直接会って話しましょう」

『どうやって』

「北極のど真ん中で落ち合いましょう。私も頑張るので、先輩も踏ん張ってください」

 電話を切って、そうやって私は北極へと歩みを進めた。

 最初はよかった。何の弊害もなく、強いて言えばやっぱり鉄くずが子犬みたいにくっ付いてくるのが鬱陶しいくらいで、磁力なんてものはちっとも感じなかった。

 アルゼンチンに着いた辺りから少し怪しくなった。何も無いのに前かがみで歩く姿勢は、傍から見ればパフォーマンスの一種と思われたらしい。チップを投げられる事もあった。もちろんそれは私の頬にくっ付き、それを見て面白がった人が更にチップを投げる。ええい鬱陶しい、日本通貨で寄越せ。

 苦節苦難を乗り越え、ついに私は北極へと辿り着いた。そこから更に歩き、先輩と約束をした北極のど真ん中、自転軸のある場所へ向かう。

 白い地平線の向こう側に、ついに先輩の姿を捉えた。私は嬉しくなって大きく手を振る。すると先輩も手を振ってくれた。

 顔が綻んで、体の緊張も解けて、それで私はつい油断してしまったのだ。そしてそれは向こうも同じだったらしく、S極同士の私達は遂に反発し合った。強い力で空中へ投げ出され、海を越えて今まで歩いてきた道を空から眺めさせられる羽目になった。

 私は今、カナダ上空を飛んで南極へと向かっている。五十回を超えた辺りから数えるのが面倒くさくなって諦めたので、もう何度目か分からないカナダだ。きっと先輩もそうだろう。世界地図を思い出せないからあれだけど、きっとどこかの空を飛んで南極へと向かっているに違いない。ずっと海の上とかだったら可哀想だなと少し思う。

 この空中での日々で、私の唯一の楽しみは先輩の姿を遠目に見る事だけだ。北極でも南極でも、大陸に辿り着いた瞬間は地平線の向こうにほんの僅かにだけ先輩の姿が見える。私が手を振って先輩も手を振って、それでお終い。私達はまた反発しあって地球の裏側に飛ばされる。

 私はこれを惹かれ合っているのだと勝手に思っている。だけど先輩に言えば、「違う。退け合っているんだ」と言う気がする。

 そんなのはどっちだっていいのだ。私は先輩に会える、惹かれ合って退け合うその瞬間を、今か今かと待ち焦がれている。

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