日替わりのぴえん 連続殺人犯の告白

伏木マカ

一章 未決死刑囚

第1話

 古びたエアコンから不快な音がする。

同時に汚れたフィルターからカビっぽい匂いが小さな事務所の中に充満して、金村篤史の鼻の粘膜に染み込んでいく。

 そのせいか、春でも冬でもないのに鼻水が一向に止まらない。

「一旦エアコン止めませんか。」

僕は耐えかねて、斜め前に座る編集長の唐崎さんに問いかける。 

「暑いのやだ。」

彼女は向かい合ったパソコンから視線を離すことなく即答した。

20代後半にさしかかり、大人びて凛とした風格を持つ唐崎美波。くっきりとした二重と猫目のような強気な視線はこの歳まで周りの男を近づかせやしなかった。明るい髪色のウルフカットを巻き込んだ頬杖による不服な顔は、口以上に何を思っているのか金村にはよくわかる。

「すこし、外で休憩してきます。」

僕はすこし聞こえる程度にため息をついてから、そう言って席を立ち上がった。 

「うん、いってらっしゃい。」


私の城が気に入らないのなら、よそにいけ。


そういうことなのだ。


 外は外で地獄のような環境だ。過剰なエアコン以上にこの立体的な、熱された布団の中に押し込まれるような不快感は体に触るだろう。 


コンビニまで避難するほかなさそうだ。


一応、唐崎さんのために何か買っていこうか。でもあの人は何が嫌いで何が好きなのか、5年以上の付き合いにかかるが、それすら金村にはわからなかった。



生ぬるい粘性の熱気を、人工的な清涼感がかき消してくれる。金村は早速、昼飯や飲料水の置いてあるであろう、コンビニの最奥に足を向けた。

 

ふと、週刊誌の棚を見る。

「日本犯罪史上最悪のシリアルキラー事件から2年」「58人殺しの死刑囚の今」

物々しい文字の羅列が視界を騒ぎ立てていた。


2年前、世間を震撼させたとある事件の特集か何かだろう。当時のメディアはこの事件一色の報道となっていた。世間も異様な雰囲気となった。かつて存在した連続殺人事件よりも被害の桁が違ったもので、日常の中にそんな殺人鬼が潜んでいるなんて誰も考えていなかった。


そんなことを横目に、てきとうなサラダやらカップ麺、パンを詰め込んでレジに並んだ。


唐崎さんはなんでも食べる。そもそも彼女に深い食のこだわりなんてものは無いように思える。彼女の表情ひとつでなんとなく言いたいことが伝わるようになっているが、彼女の好きなものがわからないのはそのせいだ。

好きなものがないのか、はたまたほとんど好きなのか、興味がないのか。


コンビニは事務所のビルの通りを5分ほど歩いて、左に曲がったところにある。


だから、行くも帰るもさほど苦労はないが、この酷暑せいで秒単位で力が奪われていく。


帰り際、金村はふと郵便受けをのぞいてみる。

チラシが積み重なっていて、当分貯めてしまっているようだ。金村も唐崎も郵便受けをこまめに確認しない性分の故こうなってしまった。


金村はすこし小さなため息をついて郵便受けから、チラシの束を取り出した。


「おかえり、思ったより早いんだね。」

パソコンのモニター越しに、唐崎さんの生気のない声が聞こえた。


唐崎さんの活動時間は短く、昼になれば疲れは顕著に出てくる。


「まぁ、そこのコンビニ行くだけですし」

そう返答しつつ、金村はチラシを振り分けようと机に置いた瞬間、勢いで封筒がとび出てきた。

なんだ、これ?

と金村はつぶやく。


「みつば社様 御中」

 と書かれた封筒の裏面には、当たり前ながら送り主の住所も書かれていた。

「…小菅?」

「トーコーのところじゃん。」

唐崎さんが不意に言った。


「トーコーって?」

「東京拘置所。なんかきな臭くない?それ。」

ーーーー東京拘置所。1度は聞いたことはあるような有名犯罪者が閉じ込められた監獄。

そんなところからの封筒なんて平和的な内容であるはずがない。


「差出人の名前は?」

「…書いてないですね。」

すると、唐崎さんはデスクから重い腰を上げて、僕から封筒をかっさらった。


封筒を開けると、そこには数枚の紙が入っていた。唐崎さんはそれら数枚を大雑把に見渡したあと、最後のページでピタリと手が止まった。

「…伊垣純也」

彼女はそう呟いた。

金村にとって聞いたことのある名前だった。以前何度か、いやつい最近も目にした気がする…。

「あの事件の犯人が…なんで…」


ーーーーー2年前のとある事件

58人以上の女性を無惨な姿にし、7件の殺人事件で起訴され、第一審で死刑判決を受けたあの男。日本犯罪史上最悪の連続強姦殺人事件。

統合失調症。

反社会性人格障害、多重人格。

異常性犯罪者。社会不適合者。

性的サディスト。

怪物。


彼は「伊垣准也」というただの会社員だった。


世間が予想した、精神異常で刑事責任能力のない、善悪の分別がまるでつかない稚拙な犯人像とは真逆だった。

優れたメンタルヘルス部門の人事職員。大手企業に務め、業務成績も極めて優秀。

温厚で、聡明。清潔感があって、容姿もいいほうであった。


世間は脅えた。ここまで社会的地位の高く優秀な人物が、裏では虐殺を愉しんでいたという事実は、誰も彼もを疑心暗鬼にさせた。



その殺人鬼が何でうちみたいな小さい編集社に手紙を送ったのだろうか。唐崎も金村も不思議でならなかった。

「手紙…なんて書いてあるんだろこれ」


金村が手紙を読み始めた。


「拝啓 みつば社様 初めて手紙を書かせて頂きます。今回、私が手紙を書いた理由は簡潔に申し上げますと、私の明かされていない全ての事件の告白をするためです。現在、58件の容疑で私は逮捕され、7件の殺人事件で立件されました。第一審では当たり前ですが、死刑判決を受けました。私もそれでいいと感じています。私は許されざることをしたのですから。

今回はその58人のことの詳細についてお話したく、手紙を書きました。全ての事件を世間に明るみにしてから死ぬことも私の罪の償いのひとつだと思ったのです。是非会っていただけることを心待ちにしています。

伊垣准也 」


「事件の告白…にしてもなんで私らに」

唐崎は眉をしかめた。こんな情報はみつば社のような極小編集社にとっては、宝そのもの(情報の精査をしてないからなんとも言えないが)であるが、この編集社に送るだろうか。

もっと大手の週刊誌や新聞社や有名な記者に話が行くものではないのだろうか。

「仮に本物の情報だったとしても、我が社だけに送られてる可能性は少ないですよ。」

伊垣が単に自己顕示欲のためか、純粋に事件の告発をしようにしても、情報の発信力が低すぎる我が社だけに情報は送らないだろう。


「それも含めて理由を聞く必要があるね。」

唐崎は日程調整のために予定表の確認を始めた。


唐突にやってきた拘置所からの手紙。

それも、送り主は世間を騒がせていた連続殺人犯だ。


彼はこの小さな編集社に何を求めているのか。

金村には皆目見当もつかなかった。




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