第2話 お食事しましょう
我が学園のマドンナ・真鶴凪沙には小さい頃から気のおけない関係の男の子がいたらしい。
今の彼女からは想像もできないくらい、彼女はその少年を目に入れても痛くないと言わんばかりに溺愛して。
ところで、その幸せな少年の名前と自分の名前が不思議なことに一致しているという奇妙な現象が起きているのだが、それについて何か詳しいことを知る学者先生とかはいないだろうか。多分解明すれば賞取れると思う。トードー文化賞。いらない?俺も。
■
「うげ」
そう、うげ、である。
先日のあの無茶振り我儘から何とかかんとか解放された俺は、今日も今日とて教室の隅で陰に染まって小説を読んでいた。…誤解無きように言わせていただけば、決してぼっちという訳では無い。寧ろクラスの雰囲気はいいほうだ。
暫し没頭していれば、にわかに教室の入口が騒がしくなる。誘われるように目を向ければそこにいたのは…まぁ、お察しの通りである。その結果のうげ、である。
群がる後輩兼ファン達に懇切丁寧に笑顔を返しながら、真鶴凪沙は教室へと足を踏み入れる。あんなに愛想を振りまいていつかどこかで壊れてしまうのではないかという余計なお世話を考えていれば、徐々に冷や汗が出始めた。
背筋の伸びた綺麗な姿勢と所作で迷いなく向かってくる先はどう考えても
「こんにちは、藤堂くん?」
「………」
すかさず小説を掲げ、顔を隠した。周りの何であいつ?的な視線は小市民たる自分には刺激が強すぎる。ともすればお漏らししてしまいそうな程の針の筵。けれどもお構いなしに先輩は目の前の空いた席に躊躇いなく腰掛ける。
「こんにちは、藤堂くん」
そしてもう一度。先程までとは何処か違う華やかな笑顔が自分に向けられる。自分だけの特権?とんでもない。これはターゲットを仕留めるハンターの笑みだ。
「…………」
「どちらがいい?今この場で抱きつきながら耳元で囁いて挨拶されるのと」
「こんにちは真鶴先輩今日もお美しいですね」
「あらお上手」
笑顔のままに囁かれたとんでもない強迫にあっさりと屈した弱者たる自分は屈辱に引き攣る笑顔で震えながら挨拶を返す。中性的な素顔を隠すための無造作に伸びた前髪に、分厚い眼鏡。ともすればオタクみたいと言ってもいい自分と、完璧美人の真鶴先輩。どこからどうみても不釣り合いな二人である。
「自分に何かご用でしょうか」
「相変わらず他人行儀の気取った喋り方なのね」
「………」
瞬きの刹那ともいえる一瞬、路傍の石でも見るかの様な冷たい視線に晒され、堪らず目を逸らした。
…仕方ないではないか。こうして学内で話しかけられることすら突然のことだというのに、その上どういう面ぶら下げて貴方に気安く接しろというのだ。
「君、お昼はどうするの?」
「…学食ですが」
「そ。なら先輩と食べましょうか。一緒に。仲良くね」
ざわり。
あの真鶴凪沙の方から男を食事に誘う。そんなもの興味を惹かない訳が無い、ってね。
…本当に、もう少し周りを気にしていただけないものでしょうか。
いや、これも自分を逃さないための囲いの一つという訳か。
二人横に並んで食堂へと歩き出す。いつになく上機嫌な彼女。しかし自分はそれとは全く真逆の、好機の視線に晒される事による胃痛と戦う拷問の様な道中を過ごす羽目になるのだった。
因みに言うと、席を占領されていたクラスメイトは既に帰ってきていたのだが、自分と彼女の間に漂う只ならない雰囲気に圧され、さっきから入口でぽつんと所在なさげに突っ立っていた。
そして共に出ていく自分達を見て血の涙を流していた。…これは後で面倒くさいな。
■
「あーん」
「………」
神は言っている。ここで死ねと。
輝かんばかりの笑顔と共に、口元に卵焼きが差し出される。
因みにここは学食である。もう一度言うが学食である。
つまりは周りに沢山お腹を空かせた生徒達がいらっしゃる訳で。
彼女は一応、学園でも人気のマドンナな訳で。
「好きだったでしょう?卵焼き」
「ええ、まあ…」
「なら、あーん」
おかしいな。見えないのかな。周りから立ち昇るどす黒い殺意の波動。
机の下で震える膝を抑えながら、なけなしの勇気を振り絞って謹んで遠慮させてもらおうと奮いたてば
「……そういうことするのね……」
物凄く傷ついた様な顔で眼の前の先輩が俯いた。軽く瞼を擦る様に目元を押さえ、それと同時に背後からは比べ物にならないくらい殺意が膨れ上がり
「………おう………」
「わ、私は…少しでもお姉ちゃんとして昔の様に君と接しようと必死に…っ」
「………おおぅ……」
必死か。こっちも必死なんですよ。どちらを選んでも必ず死ぬ。
ええいくそ、ままよ。どうせ死ぬというのなら少しでも甘い汁を吸ってやろうではないかと差し出された罠に顔を近づけ
「まぁ仕方ないわね。食べたくないのなら」
先輩はあっさり箸を戻して卵焼きを自らの口に入れた。
カチリと、歯と歯が空気という素晴らしい食材を口にする音のみが木霊する。
「………」
「うん、美味しい。いい出来ね。我ながら」
「…それは、何よりで」
涙の跡など欠片も見えないご機嫌な微笑みでもきゅもきゅと卵を堪能する先輩。
何とも肩透かしというか虚しい気分でその顔を見つめていれば
「食べたくなった?」
分かりやすく悪戯心を滲ませたいやらしい笑顔でもう一つの卵焼きをフリフリと振る先輩。…分かってはいた。絶対にからかわれているのだと。分かってはいたがそれでも罪悪感を逆手にとられるというのはいささか気分のいいものでもない。
なので
「いただきます」
「あ」
美しい世界に別れを告げ、地獄への門に飛び込んだ。
口の中に広がる、かつて心の底から慣れ親しんだ甘い風味。またこの味を口にすることができるなんて思わなかった。人生どうなるかは分からないものだ。
「………」
まぁ、人生これで終わるんですけどね。背後から爆発的に膨れ上がった殺意を背に最後の晩餐を思う存分堪能する。取り敢えずは一矢報いたとして、彼女の顔を最期に目に焼き付けてやろうと視線を向けてみれば
「………、……、…っ………」
え。
なんということでしょう。そこには、真っ赤に染まる顔を長い髪で必死に隠している真鶴先輩の姿があるではありませんか。
微塵も想像していなかったその可愛らしい姿に、思わずこちらも呼吸を忘れてその顔に魅入ってしまう。恐らくは、周りの殺意の人達も。
「か」
「か?」
「………可愛くないわ………」
黒髪の間から絞り出される小さな声。逆に可愛いあーんって何なんですかね。高校男子に求めるフレーズではないんですよ。
気まずい沈黙。自分も正解を導き出せず、ただただ無言で定食を口に運ぶ。
…定食。定食か。笑ってしまう。普段ならラーメンとか適当に頼むくせに。やはりどこかでこの人の前では身なりを意識せずにはいられないのだろうな。当たり前だけど。まぁ、それを知ったら絶対不機嫌になるだろうから言わないけれど。
「今度」
「はい?」
ポツリと、声が聞こえた気がして彼女の方を向く。
まだ少し赤みは残っているけれど、普段通りの澄ました顔に戻った彼女は、少々弱々しい目でこちらを睨みつける。
「今度はちゃんとしたの、作るから」
「え、いや、普通に美味しかったですけど」
「いいから。ちゃんと食べなさいね。好き嫌いなく」
「……は、はい…」
有無を言わせぬ強い口調につい圧されてしまったけれど、これはどうとるべきだろうか。卵焼きを作るという意味なのか、まさかとは思うがお弁当を作るという意味なのか。
まぁ、どちらにしたところで、断るなんて選択肢があるはずもなく。
自分に出来ることは精々その日まで生き抜くことくらいであろう。
けれど。
「ふふ…」
「…何」
「いえ、別に?」
「…可愛くない」
あの頃の彼女が垣間見えたことが、自分でも不思議なくらいに嬉しくて。
また次の約束があることが、どうしようもなく楽しみだったのだ。
──そして彼女と別れを告げて教室に脚を踏み入れれば、その瞬間男女問わずクラスメイト達に包囲されて
「藤堂くん、ちょっーーーとお話いいかなぁ?」
「いくないです」
「大丈夫よ。別に悪いことする訳じゃないから」
「…………」
「「だからここから先は慎重に言葉を選べ」」
生きねば。
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