星の夏

ルビ

上・忘れごととの邂逅



 ミーンミンミン。蝉はひたすらに煩く。夏はひたすらに暑い。


 この頃の気象はおかしい。”異常気象”また言ってるよ、毎年だろ。


 まだ6月の終わり、イメージで語るなら、夏の入り口と言ったところ。


 とあるウイルスの影響から始まったのだったか、電気代も異常に高くなっている。


 たいしてお金があるわけでもないウチでは、まだまだエアコンをつけれない。


 こんなことを思うことがある。


 何年も土の中で外に出るのを願ったのに、一週間。ほんの一週間。


 何かに向けて鳴き喚いている生涯。


 つまらないだろうな。


 それでも、税だ、国民のためだ、そんなこと言っている政治家共に比べたらマシな生涯かもしれない。


 蝉たちは、たとえ一週間の命でも自分を偽らず、生き続ける。


 それに比べてみよう。政治家たちはどうだろう?


 私たちが目を凝らさずとも、溢れ出る欲望と言う肉で満ちた顔を、自分たちの持っている仮面では隠しきれないほどに見せ付けている。


 隠せてもないのに隠した気になっている。醜悪だ。


 いっそ蝉のように生きれたのなら、それは綺麗な生涯と言えるのかもしれない。


 駄目だ。ジトジトした空間では良くないことばかりが浮かんでくる。


 扇風機から送られる生ぬるい風を止め、私は外に出た。







 夏は夜。かの有名な枕草子の夏の冒頭。


 まったくもってそうだと思う。万国共通としても良い。


 太陽の名が夕日に変わる時間。この時間もまだ暑い。


 夕日が落ちれば夜。夏の本領だ。


 蛍。そんな綺麗なものは、この田舎にも少なくなってきた。


 今や、人間にすみかを奪われて、どこにいるのかも分からない。


 夕日になるこの時間は、小学生のにぎやかな声と共にやってくる。


 暑くても元気な子供たちを見ると、若いなって思ったりする。


 私のこころが老けたんだろうね。


 赤黒が並ぶランドセル。たまに水色や緑色。いろんな色が増えたんだなぁ。


 そうだ、ランドセル。私の部屋の片隅に捨てられている。あの。


 なんで捨てられてるんだっけ。


 何かが突っかかり、いつも思い出せない。


 母も知らない、父も知らない、私だけの記憶。


 違う。


 私と誰かの、忘れちゃいけないような誰か。


 いつもこの季節だ。思い出せなくて、秋風がさらって行く。


 少し、歩こう。







 小学生の波を逆行して少し、小学校が見えてくる。


 最後にあの門を抜けたのは...もう5年も前だ。懐かしい。


 今は投げ出している。嫌気が差したのだ。


 軽蔑の目、心無い言葉、醜い嫉妬。


 人間とはこんなものかと思い知らされた。


 毎週のようにやってくる担任。誠意のないお辞儀。


 なんでこんな田舎に残ったんだっけ。どこにでも行けたはず。


 今もどこにでも行けるはず。


 でも、そうしないのは何かに縛られてるから。


 そうだ。あの子。5年前のあの子。


 私は校舎に足を踏み込む。


 突っかかりはもう取れる。そんな気がした。


 6年1組の教室。夕焼けに照らされる影は伸び、廊下に伝っている。


 影のない君も。







 「久しぶりだね、りん。」


 知っていた声が私を呼ぶ。


「どうしたの?不思議そうにして。」


 続ける。亡霊は続ける。


「久しぶりだね、涼夏すずか。」|


 私は亡霊を呼ぶ。にこやかに笑って、笑っている。


 片隅に捨てられたランドセルが思い出される。


 そうだ、あれは私のじゃない。涼夏のだ。


「感動の再会なのに、何にも言わないんだね。つっめた〜い。」


 涼夏が話す。動く。笑う。何年ぶりだ。


「そうだね。私は冷たい友だちだよ。」


「凛、どうしたの?昔みたいにもっとふざけないの?」


 この学校に置き勉した記録。


 昔はこんな性格じゃなかったんだ。もっと明るい。


「少しさ、思い出巡りしない?元気になるかもだからね!」


「いや、でもっ「いっくよー!」


 涼夏は私の手を引き、勢いよく教室を飛び出した。







 「プールだね。」


「プールだよ。」


 藻が浮き、もはや使われていないプールだ。鴨が泳いでいる。


「鴨だよ!鴨!可愛い〜。」


 涼夏は、はしゃいでいる。


 夕日に照らされているはずの涼夏には、やっぱり影がない。


「ほらほら凛も見てよ〜!」


「プールに落っこちるよ。」


「そんなことないよーだ!おぉ、っとととぉ⁉」


 バッシャーンッッ‼ほれみろ盛大に落ちた。


 涼夏は上がってこない。どうしたものか、と私は覗く。


 すると水中から白い手が私の手を掴んだ。


 瞬間、引き釣りこまれる。バッシャーンッッ‼


 恐る恐る目を開けると、涼夏がニシシッっと笑っている。


 こんにゃろめ。


 笑いあって二人で水面に上がる。と見せかける。


 涼夏は水面に上がり、私はもがくふりをする。


「えっ⁉もしかして凛は本物の妖怪に攫われたの⁉上がってこないよ〜」


 しめしめ。


 私は涼夏の薄白い足を引っ張り、その勢いで水面に上がる。


「ぷはっ。やっぱり汚いなあ。」


 ぱしゃっ。ムッとした表情で涼夏が上がってくる。


「もう!私は心配してたんだからね!」


「騙された涼夏が悪いんだよーだ。」


「凛の意地悪!」


「意地悪で結構。」


「ふふ、あははっ、まるで昔の凛みたいだね。」


「そうかな?こんな感じだったっけ。」


「うんうん!こんな感じこんな感じ!」


 この涼夏は、亡霊。そう、亡霊。


 忘れちゃいけないことだけど、楽しさがそれを打ち消す。


 懐かしい、触れていたい、笑い合いたい、気持ちは強くなる。


 プールで良かった。泣いているのがバレないから。







 ぐしょぐしょになった服を、錆びついたフェンスに干し、私たちはプールサイドに座る。


「服びちゃびちゃになっちゃったね。」


「暑いし乾くんじゃない?」


「でもさ、年頃の女の子2人が裸でプールサイドにいるの危なくない?」


「通っても老人。最悪蹴り殺そう。」


 空手道7年の技がここで光るかもしれない。


「えぇ〜凛ってば、おっかないよ〜。」


「ヤラれる前に殺らないといけないでしょ。」


「それはそうだけどさぁ。」


 私たちは笑い合う。


 こんな辺境の田舎だから出来ること。


 あの頃みたいで楽しい。憂憂ゆうゆうとした日々を忘れられる。


「ねぇ凛、高校楽しい?」


「んー微妙だよ。楽しくはないかな。」


「えー!夢を壊さないでよっ!私、高校生ってみんな輝いていて楽しいもんだと思ってたのに。」


「実際なってみるとそんなに、だよ。」


 しまった。これはいけない。


「……私もなりたかったな。」


「ごめん。涼夏。」


「なんで凛が謝るのよ。おっかしいの。」


 ふふっなんて涼夏は笑う。嫌なことを思い出した。







 夏休み最後、私たちの地域では8月31日に花火大会がある。


 私が最後に行ったのは、もう6年も前だ。


 小学生最後の夏は行かなかった。


 涼夏がまだ”生きていた頃”だ。


 先程までのやり取りを見れば分かると思うが、私たちは仲がよく、この花火大会にも約束をしていた。


 その年の始業式は少し早く、8月31日その日に行われた。


 もちろん始業式だけなので、夜の花火大会には行ける、はずだった。





 タタタっと校門を出て、私の前に回り込む。


「今日の花火大会楽しみだね、凛!」


「楽しみだね涼夏。」


「なんか楽しそうじゃなくない?」


「夜に本気で楽しむために貯金してんの。」


「おお!凛はアタマ良いもんね!」


「そういう問題かな。」


 ははっと笑い合う。


 なんで8月31日に学校があるのよ。普通今は宿題に追われてるはずなのに。


「凛、家までランドセル交換して帰ろうよ!」


「お、いいね。ほれほれ。」


 私はランドセルを脱ぎ、涼夏に渡す。


 涼夏もまた、私にランドセルを渡す。


「えっへへ〜赤色かわいいね〜。」


「涼夏の水色も可愛いじゃん。」


「でっしょ〜!」


 涼夏は浮かれているのか、走り出す。


 決めポーズをとったりなんかもしている。


 早く凛も来てよ!と言わんばかりに手を仰いでいる。


「待ってて涼夏。」


「はいはーい!」


 学校を抜けるとすぐ踏切がある。ここを通らなければ家には着かない。


 踏切の前まで行った涼夏はニヤニヤと私を見ている。


 涼夏は手提げをそこに置いて、座って待っている。


 パンでも入っていたのだろうか。


 カラスが持ち去る。


「あ!待ってよー!」


 涼夏はすかさずそれを追う。


 追わなければ良かったんだ。


 黄色と黒の無慈悲な遮断棒は涼夏を線路の中にとりこむ。


 古臭い踏切の音は鳴らない。


 涼夏は気づかない。私は追いつけない。


「涼夏っっ!!」


「え?」


 黄色の快速列車は轟音と共に涼夏を連れ去る。


 まるで時間が止まったかのような衝撃が離れない。


 生ぬるい血飛沫は、私の足を少し濡らす。


 赤色のランドセルは、赫に染まり、涼夏もまた。


 黄色の車体にも赫は散っている。


 つい数秒前まで涼夏だったものは線路に転がっている。


 声が出ない。


 まだ少し息をしている涼夏を見て、私は怖くなった。足がすくんだ。


 まだ助かったのかもしれない。でも、動けない。


 コヒュー、コヒューと掠れた息が聴こえる。


 汗が止まらない、夏のせいじゃない。立てない。


「す…っ、す、涼夏ぁ…」


「…ぁ。ごっ、め……ん。花火たいか…ぃ、ケホッ…ム、リだね。」


「そ、そんなのさぁぁ。」


 声が震える。


 轟音に気づいた大人たちがぞろぞろとやってきた。


 怒りの形相で救急車を呼ぶ人、もう無理だろ。と見捨てる人。


「お嬢ちゃん大丈夫かい?」


 なんで私に聞くの?涼夏は?涼夏のほうが…


 差し伸べられた手をパシっとはねのける。


 やっと立てる。涼夏のもとに走る。


 涼夏ッ!!すずかぁ!すずっ…かぁ!!!


 ただでさえ白い涼夏の顔はまた白くなり、少しの息も小さくなる。


 私は、無我夢中で涼夏の手を握る。


 血で塗れようが関係ない。


 ズルっと音をたてて、白い手は心なく落ちる。


 ゾッとした。それだけじゃ形容できない。


 失ってしまう恐怖を知った。


 その日から私は抜け殻になってしまったのだ。


 冒頭で蝉の生涯について言ったが、私こそ抜け殻なのだ。







 「凛?顔色悪いよ?」


 涼夏が私の顔を覗き込む。


「あっ。服着てないから風邪ひいたんじゃない?」


「いや、違うの。気にしないで。」


「そーなの?」


 こんな時に思い出した。


 きっとあの頃の私が、こころの奥底に押し込んで、詰まって、出てこなかった記憶。


 陽も暮れてきた。服も乾いたのではないか。


「涼夏。私そろそろ帰るね。」


 涼夏に逢えるのが最後であろうと後悔なんてしちゃいけない。


「もう帰るの?うーん…また明日ここに来てね。」


「明日?」


「そう明日。」


 何を言ってるのか分からなかったが、その日は帰った。




 帰り道、踏切。


 あの事件があってから、鉄道会社の失態として、踏切は修繕され、音は鳴るようにな

 った。


 今まで、この踏切を視ても思い出せなかった。


 カンカンカンカン。音が響く。


 黄色の快速列車は風を裂き、進んでいく。


 振り返ると、6年1組の教室から涼夏が手を振っている。


 私は大きく手を振って、踏切を渡る。


 夕日はもう沈み、月がのぼる頃だった。







 次の日、涼夏は教室にいた。


「やっほー凛。」


「やっほー涼夏。」


「ねえねえ、今日は何するー?」


「そうだね、駄菓子屋でも行こうか。」


「うわーい!だいっ賛成!」


 学校を出てすぐ、踏切を渡らずに右の方に行く。


 狭い路地を抜けると小さな公園があり、その奥におばあさんの営む駄菓子屋がある。


 昔からこの地域の子どもの集合地となっている。


「懐かしいなー何買おうかなー」


 涼夏はウキウキしてるが、そもそも涼夏は人に見えるのだろうか?


 推測だが、これは亡霊であり、生きている実体ではない。


 影も無いし、私だけに視えているのかとも思った。


 しかし、


「おばちゃん!これでっ!」


 子ども用のかごに入り切らないほどに駄菓子を詰め込んだ涼夏が、おばあさんには見

 えているようだ。


「いっぱい食べるのねえ。嬉しいねえ。」


「でしょでしょ!駄菓子っておいっしいもん!」


「最近はコンビニができて、子どもたちはみんなそこに行くもんで、駄菓子屋に来ないのよねえ。」


「え〜もったいないなぁ。マセガキどもがー。」


 どの口でガキだと言ってるんだろう。かごいっぱいに詰め込んで。


 会計を済ました涼夏は、公園にいるねーと言い、店を出た。


「おばあさん。これで。」


「凛ちゃんかい?久しぶりだねえ、大きくなったねえ。」


「はは、うわべだけですよ。ありがとうございます。」


「たまにね、ウチを思い出してやってくる子どもたちがいてね、たくさん駄菓子を買って帰るのよ。そういうのを見ると、あぁ長くやってて良かった。って思うの。」


「私も、まだここがやってて良かったって思いました。」


「そう?なら良かったわ。でもね、私も年なもんだからね、この夏で店を畳もうと思ってるのよ。」


「え、そうなんですか?」


「ええ。」


「寂しいですね。」


「でもね、子どもたちの笑顔の写真がいっぱいあるから大丈夫よ。」


「え?」


 そう言うとおばあさんは卒業アルバムも比にならないほど太いアルバムを取り出した。


 そこには、目の前の公園で駄菓子をほおばる子どもたちの写真がいっぱいだった。


「凛ちゃんもいるのよ。えっと…ほら、凛ちゃんと涼夏ちゃん。」


 ブランコに座り、アイスクリンを舐める私と、それを落としそうな涼夏の写真がそこにあった。


「懐かしいですね。こんなこともあった。」


「そうだ、凛ちゃん。あのブランコでまた駄菓子を食べてくれないかい?」


「えっ、良いですけど…」


「なぜかわからないけど、涼夏ちゃんと凛ちゃんの写真を撮りたいの。」


「涼夏って気づいてたんですか?」


「ふふふ、私が子どもたちの顔を忘れるわけがないでしょ?」




「おまたせ涼夏。」


 涼夏はブランコに座っており、待ちくたびれたよ〜と袋を開ける。


「おばあさんと何話してたの?」


 涼夏に聞かれたので、


「ん?あぁ、あの店この夏で閉めるんだって。」


「この夏で…そっか。」


 思っていた反応と違った。いつもなら「えぇ⁉なんでよー!もっと頑張ってよ、おばちゃん!」なんて言うのに。


「寂しいね。」


 子どもみたいな涼夏が少し色っぽく見えた。


 涼夏は、それだけ言うと、さぁ!食べよー!とうまい棒を食べ始めた。


 私も袋を開け、アイスクリンを食べ始める。


「あぁー!私も買えばよかった!」


「ほら涼夏の分もあるよ。」


「やったー!凛さま最高っ!」


 ブランコに並び、2人でアイスクリンを食べる。


 店の方に目をやると、おばあさんがデジタルカメラを構えていた。


 私はそっとピースをして、笑った。


 いつも食べるアイスと違って、少し甘すぎた。







「いやー美味しかったね〜」


「そうだね。」


 そうだ、涼夏に聞かないといけないことがある。


「涼夏。」


「どしたの凛?」


「涼夏はさ、なんで私の前に現れたの?だって涼夏はもう…」


 虚を突かれた表情の涼夏は、そりゃそうだよねーと頭をかいて笑っている。


「実はね、なんでか知らないけど、急にこの世に来れたの。最初はもちろんびっくり。だって一回死んじゃってるんだもん。でもね、また凛と会えるかなーって思って嬉しかったんだ。」


「それじゃ説明になってないよ。」


「凛はせっかちだなぁー」


「昔からだよ。」


「それでね、昨日、凛が小学生を見て小学校に来たのって偶然じゃないんだよ。」


「なんで?」


「こっちに来てから不思議な力が使えてさー。人の心情をちょっと操る?的な。」


「それってヤバい力じゃない?」


「悪用はしませんよーだ!それでちょちょっと凛を学校に来させただけだし。」


「悪用じゃん。」


「ぐぬぬ。」


 変な答えだったが、理解できるものを期待していたわけじゃなかった。


 そもそも死んだ人が生き返るのは、今の世のことわりから反している。


 でも、


「きっと永遠は無いよね。」


「たぶんね。そのうちお迎えが来るんじゃない?それまで凛と遊び尽くすんだ〜。5年分。」


「良いよ。どうせ学校には行かないし。」


「不真面目凛ちゃんめ。」


 ふふっと涼夏は笑う。


 涼夏は、一週間前にこっちの世に来たとも教えてくれた。


 丁度、夏至の日。一年でもっとも陽の長い。


 あの日は信じられないほどに暑かった。


 普段ではあり得ないが、各地では40度を軽く超えた。


 目に見える景色は熱でじりじりと揺れ焦げているようだった。


 そんな暑い日なんだ、きっとこの涼夏は陽炎かげろうが産んだ霊なのだろう。


 それでも私は、陽炎かげろうでも寄り添っていたい。


 いつか消えるとしても。


 その日は、それで別れた。







 7月、猛暑とともに現れるのは豪雨。


 5年前この地域も災害に見舞われた。


 幸い私たちの地域は浸水することはなかった。


 なんせ山の傾斜の集落だからね。


 雨の日は出ようとは思わない。


 涼夏と会うのは決まって晴れの日である。


 じめつく季節、ついに我が家のエアコンは除湿オンリーでつくことになった。


 昼下がり、雲が覆い雨が降りしきり、チャポンチャポンと水たまりに排水管の水が落ちる音が聞こえる。


 こんな日も仕事だなんて大人は大変だ。


 学生も熱と湿気のこもるビニール性のカッパに腹をたてながら、または雨なのに行くのかよ、と警報の基準に苛立ちながら学校へ行く。


 私は行かない。気楽なものだ。


 だが、どうしようもなく暇である。


 ここのところ晴れが続き、涼夏と毎日のように会っていたから余計にだ。


 涼夏は霊なのでスマホなんか契約も出来ない。


 家で動画を観るだけの時間。


 それもつまらなくなり起き上がる。


 だが、することは無い。


 仕方ないのでまた寝転び、外を眺めていると寝てしまっていた。





「凛、凛!」


 母の声が聞こえる。


「どうしたのお母さん。」


「どうしたのって、こんなとこで寝たら風邪ひくじゃない。」


「いっつもと変わんないよ。」


「そうだけど…」


 私の母、今年で42歳。そうは見えないほど若いが、やつれている。


 数年前から無気力な娘と頑固な父を支えるのは、それはそれは苦労者だろう。


 申し訳ないとは思っている。


「……凛。学校は?」


「行かない。」


「そう…行きたくなったらいつでも言ってね。」


「うん。」


 当分行くことは無いだろう。もう夏休みだ。


 私はそれだけ言うと、自分の部屋に戻ってまた寝た。







 今日は学校の終業式の日。


 たぶん同じクラスの男子が配布物を届けにきた。


「こ、これよ、配布物。夏樹さん!学校来たらどうだい?」


「余計なお世話だよ。えっと、誰だっけ。」


「俺だよ!同じクラスの山富だよ!」


「あ、そう。わざわざ番号が近くも無いのにね。」


「あっそれは…えっとぉ…。」


 呆れる。私の内情も知らないくせにこの男は恋情をよせているのだろう。


 そもそも2年生になってから2週間行ったか行ってないかなのに、私のどこを気になっているのだろう。


 まぁ興味もないが。


 山富と言った男は、丸刈りのくせにない髪をわしゃわしゃとかいて言う。


「夏樹さんさ。一学期ほとんど来てないから心配なんだよ。それに、俺の夏の試合も見に来て欲しい。」


 面と向かってよくこんな恥ずかしいことが言えるなぁ。


 それに、話したことも無いような奴の試合をなんで見ないといけないんだか。


「私、外あんまり出たくないから行かない。」


「えぇ!そんなぁ⁉待ってy」バタンッッッ!


 私は力強くドアを閉めた。キーチェーンも忘れずに。







 蒸し暑い7月の終わり。


 入道雲が立ち上がり、いかにも夏を思わせる。


 小学校には閉庁してるので朝から涼夏に会いに行った。


「おっはよー!今日は何する何する?」


 朝から私が来たことで涼夏はごきげんである。


「そうだね、2ケツでもしてみる?」


「2ケツって何⁉」


 理解できてない涼夏を校外に連れ出し、私の家に向かう。


 あの踏切はもう怖くない。


 涼夏は、


「うわ〜ここ通るのか…なにげに戻ってきて初なんだよね。」


「大丈夫。私がしっかり手をひいてる。今回は大丈夫。」


「うん。ぜぇぇったいに離さないでよね!」


「もちろんだって。」


 何事もなく踏切を渡り切る。


「ふぇ〜変な汗かいた〜」


「これはしょうがないね。」


「ねー!」


 ふふっと2人で笑った。


 私の家に着き、裏庭の自転車を探す。


「あったあった。お兄ちゃんのお古。」


「錆びてるけどこれ、動くの?」


「大丈夫っしょ。」


 自転車なんて漕ぐのは、もう2年ぶりだが、それでも感覚はある。


「じゃあ行くよ涼夏?」


「怖いんだけどぉ…」


 後ろの荷台に乗るんだよって言った瞬間、涼夏は無理無理と駄々をこねたが無理矢理乗せた。


 ビクビクしてるのも面白い。


 私の家は傾斜の上にあり、ここから海沿いまで長い坂が続く。


 夏場の自転車にはもってこいだ。


「せーのっっ!」


「いやああぁぁあーーー‼‼」


 思いっきりペダルに力を入れて、自転車を押しだす。


 傾斜も相まってスピードは上がり、今、私たちは風を切っている。


 通勤ラッシュも終わってしまえば車も通らないド田舎。


 だからこそ出来る最高の体験だ。


 目の先に見える渚に向かって自転車は進む。


 ぐんぐん進んで行って、そろそろ終着点だ。


 私は力いっぱいブレーキを入れる。


 パキンッ!!


「あっ。」


「凛⁉なになにっ⁉」


「ブレーキ壊れちゃった。」


 キキーーガッシャーンッッ!!


 幸い少しは効いていたため大きな事故にはならなかった。


 涼夏は地面に転がり、私はブロック塀に叩きつけられた。


「痛っっったぁぁ〜。」


「楽しかったね涼夏。」


「どこがよ!!凛の意地悪!」


「意地悪で結構。」


「むうう。」


「ふふっ、前もこのやり取りやったね。」


 嗚呼楽しい。涼夏といると本当に楽しい。


「自転車捨てて、港を歩こうよ。」


 気づいたら私は、そう言っていた。


「もちろん!凛とならどこでも行くよ!」


『廃品回収〜廃品回収〜やってるよ〜』


 そう爆音で鳴らす、廃品回収の軽トラが都合よく近くを通った。


「すいませーん、おじさん。この自転車回収できます?」


「えぇ?何だって?」


 アナウンス音消せよ!


「こ、の、自転車!回収!!できますか!!」


「ああ出来るよ。」


 ガシャガシャと軽トラに乗せられ、鉄くずは持っていかれた。


『廃品回収〜廃品回収〜やってるよ〜』




「さっきの凛、すっごい剣幕だったね。」


「そうかな?久しぶりにあんな大声出したよ。」


「おじさん耳悪かったね〜」


「だね。」


 あははっと2人で笑う。そして歩き始める。


 この町に来るのも何年ぶりなんだろう。


 唯一の親友の涼夏を失ってから、ここに来ることもなくなった。


 他の友だちに誘われたこともあるが、行こうとはしなかった。


 ほんの数百メートルなのに、私のこころの距離とは遠く離れていたんだろうね。


 それもまた、仕方ないのかもしれない。


 この港町こそが、8月31日の花火大会の開催する場所なのだから。


「ねぇねぇ!猫ちゃんいるよ!か〜わいいね!」


「ホントだ、子猫も。母猫なのかな。」


「ぽいね〜。ありゃりゃ!逃げちゃった。」


 やっぱり涼夏は子供っぽい。そこがいいのかもだけどね。


 そんな涼夏に私は提案する。


「せっかくだし、何か食べない?ほら、海鮮丼なんかもあるよ。」


「良いね‼ちょうどお腹減ってたんだ〜」


 私たちは、近くの海鮮丼屋に入った。


「いらっしゃい。何名だい?」


「「2名です。」」


「2名様ご来店でい!!」「「「「「ウェオーイ」」」」」


 もはやなんて言ってるのか分かんない。野球部かよ。


「あっ!夏樹じゃん!」


 お前は誰だよ。


 坊主頭の野郎が私の名字を呼ぶ。


「凛の知り合い?」


 涼夏は不思議そーに聞いてくる。


「いいや、全く知らない人。」


「それはないだろ!酷い!」


 うるさいタコだ。誰か焼いてくれないかな。


「俺だよ俺っ!山富だよ!」


「あ、オレオレ詐欺なら間に合ってるんで。」


「なんでだよぉっ!」


 なんだっけ、あぁ提出物届けにきた変態か。


「凛、あの人かわいそうだよ。」


「うん。かわいそうだね、頭が。」


「あれは、ハゲてるんじゃないと思うけど?」


 涼夏ちゃんよ、残念なやつだって意味だったんだけどな。


 無理もないか、今の涼夏は小6の延長だもんね。


「頭が悪いってことだよ。涼夏。」


「凛、それも酷いよ!」


「聞こえてるんだけど?」


 眉間をぴくぴくさせてタコは見ていた。


 ゆでダコになっちゃうぞ。


「おい大介!ナンパしてないで手伝えっ!」


「げぇっ親父っ!」


 店主さんに怒られてタコはさっさと退散していった。


「おまたせ、海鮮丼2つだ。後コレは、ウチの息子が迷惑かけたお詫びだ。ゆっくりしていってくれ。」


 そう言うと、店主さんは、たこ焼きを私たちにくれた。


 タコはもうとうぶんいいかな……


「涼夏、たこ焼きあげるね。」


「えっ?良いの!いっただきー!」


 パクっと口の中に含む。熱いだろうに。


「あひっあふいっ!ほ、ほ、っほ。ふぅ〜。」


「いわんこっちゃない。」


「だってアツアツのほうが美味しいもん!」


「でも、味分からなかったでしょ。」


「あ、たしかに。」


「バカだなぁ涼夏は。」


「バカじゃないもん!」


 また笑みが溢れる。面白いなあ。





「ありあっしたー!」「「「「「ありあっしたー!」」」」」


 やっぱり何言ってるのか分かんない野球部たちの声に送られ店を出た。


「めっちゃ美味しかったね〜。特にたこ焼きとか。」


「それ涼夏しか食べてないじゃん。」


「凛が私にくれたんだから、文句言わない!」


「まぁそうだけど。」


 うーん、変なこと思わず食べればよかったな。後悔。


 涼夏はもの珍しそうに辺りを見回している。


「ここで花火大会があるんだよね?行ってみたいな〜」


「そっか。まだ涼夏は行ったこと無いもんね。」


「うん。だから今年はこそは、凛といっしょに浴衣着て行くんだ!」


「っ…そうだね。絶対行こうね。」


 嬉しさと共に恐怖が芽生えた。


 涼夏といっしょに花火大会に行きたい。


 でも、この幻想はいつまで続くのか分からない。


 怖い。不安だ。


 明日、教室に行っても涼夏はいないかもしれない。


 そうなれば私は、町中を探すだろう。


 茶色の長い髪が目に入るたびに、どんな背格好でも涼夏だと思ってしまうだろう。


 この日々が終わってほしくない。


 この愛惜いとおしい日々が。


 なくなってしまうのなら神を恨むだろう。


 常識で、あり得てはいけないことなのは知っている。


 嗚呼、駄目だ。まただ。またネガティブになっている。


 忌々しい性格は天からのものであり、治らない。


 考えても無駄だ。諦めよう。


 きっとこの気持ちも憂鬱も暑さのせいで、杞憂なのだと思い込もう。


「帰ろっか。あの駄菓子屋でアイスでも買おう。」


「おお!もちろん奢りだよね?凛さん?」


「良いよ。奢ってあげる。」


 うっひょーい、なんてはしゃいでいる。


 ゆっくりと坂道を登っていき、日は後ろからジリジリと差している。


 汗ばむ時間帯。陽は南にいる。


「あっつーい。凛なんとかしてー」


「なんとか出来たらとっくにしてるよ。」


「だよねー」


 力ない2人は坂を登りきり、踏切を越え、駄菓子屋にたどり着く。


「おばちゃんアイス2つーー」


「はいはい、待っててね。」


 おばあさんがアイスを渡してくれた瞬間、封を開け涼夏は舐め始める。


「んー!美味しい冷たい大好き!」


「流石に速過ぎるでしょ。」


「だって、暑すぎるんだもーんだ。」


 無邪気に涼夏は笑う。


「そうだけどねぇ。」


「若い子が楽しそうで何よりだよ。老いぼれは暑さで死んでしまいそうじゃ。」


「おばちゃん死なないでねー!絶対だよ!」


 涼夏がそう言う、君は死んじゃったのに…。


 良くないことをどうも考えてしまっている。


 気持ちがマイナスなのか、暑さのせいなのか、最早わからない。


 最近の私はどうも良くない。疲れてるのだろうか。


 少し、寝たい。


 省くようだが、いつものように涼夏とは校門で別れた。














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