パザエフ急襲
ダークエルフたちにとって、悪夢というのはこの日のようなことを指すのだろう。
アシュラミド・パザエフが投下され、戦局は一気に逆転した。
漆黒の森に激しい銃声が響き、サブマシンガンで虐殺されたダークエルフの血飛沫があがり、肉がはじけ飛ぶ。
サブマシンガンはトリガーを引くだけ。弓とは発射までの時間が比較にならない。
ダークエルフたちが構える間もなく、その浅黒い身体は次々と銃弾で穿たれ、原形を留めないほどに破壊しつくされた。
「引くな! 結界を張れ!」
若き弓矢部隊の長が味方を鼓舞する。
だが、次々と放たれるサブマシンガンの銃弾は、結界をガラスのように割り、まったく付け入る隙を与えない。
魔導士たちが攻撃魔法で応戦する。
それも焼け石に水で、あっという間に距離を詰められると、サブマシンガンの餌食になった。
「若い女は殺すなよ。ダークエルフの性奴隷なんてそう手に入るもんじゃないからな」
パザエフは酷薄な笑みを浮かべる。かつて世界を救った者の言葉とはとても思えなかった。
「暴虐者め……」
樹木の裏に隠れた戦士が呻く。
姿を見せれば撃たれる。だが、出ないとますます敵軍は漆黒の森へと侵略してくる。
闘ったところで勝てそうにもない。
ジリ貧だった。
――その時、曇り空の向こうから、身の毛もよだつような咆哮が響いた。敵味方関係なく、空を見上げる。ビリビリと痺れるような、世にも恐ろしい咆哮だった。
耳鳴りが止まらない。ライオンですら子猫ぐらいにしか思えないような、途轍もない音量だった。
曇り空に雷鳴が響く。急激に雲が集まり、周囲が一気に暗くなる。漆黒の森は、その名の通り黒く塗りつぶされた。
黒い空を引き裂く、白い光の筋。
轟音――激しい雨。あまりに急激な天候の変化で、誰もが戸惑い気味に空を見上げる。
もう一度咆哮が響く。
それとともに、暗黒の空から翼の生えた生物が降りてくる。
異常なほどに発達した筋肉で覆われた、一匹のドラゴンだった。
「
帝国軍の兵士が叫ぶ。
浅黒い肌のポニーテールが、刃物のような眼光で竜の背に乗っている。
「レインか!」
救世主の到来を知った途端、ダークエルフたちが一斉に快哉の声を上げる。
たった一人の戦士が乱入しただけで、戦地の士気が完全に入れ替わった。
レイン・ハンネマンの操るドラゴンは大空を旋回して、帝国軍の前衛を見下ろした。
曇り空が小型の太陽に照らされたように白くなっていく。
次の瞬間、ドラゴンの口から直径2メートルほどの火の玉が吐き出される。
火の玉は光の筋を引いて、漆黒の森へ侵攻してきた兵士たちの所へ猛スピードで迫っていく。
悲鳴。炎の玉は地表にぶつかり、爆発した。
轟音とともに周囲は吹き飛ばされ、帝国軍の兵士たちが黒焦げになって砕け散る。火の玉が直撃した箇所には、小さなクレーターが出来ていた。
炎は次々と地面へと吐き出され、あちこちで爆発が起こっては悲鳴が上がる。端的に言って爆撃だった。
パニックになって逃げだす帝国軍兵士たち。
だが、その行き先にもドラゴンの吐いた炎は襲いかかる。
熱い炎。耳朶を打つ爆音。
轟音とともに、木々や肉体が破壊され、吹き飛ばされていく。
ドラゴンは虚空で威嚇するような声を上げて、地表の敵を
その背に乗ったレインは、すさまじい闘気をまとっていた。
「ありがとう。あなたは帰って休んでいなさい」
レインはアマリリスを撫でると、その背中から飛び降りた。
着地とともに、局所的に重力を反発させ、ふわりと戦地に舞い降りる。
その背中からは透明な翼が生えていた。
静まり返る帝国軍兵たち。人の目の前をサメが横切ったように、全身が動かなくなっていた。
レインの背中から生えていた透明な翼は、肩甲骨へと格納されるようにその姿を消した。
腰でクロスした二本の鞘から、ぞっとするほど美しい光を放つ小太刀を抜く。レインは小太刀を目の前でクロスさせた。まるで、罰の象徴のように。
「罪深き者たちよ、その愚かさを地獄で悔いなさい」
冷たい眼。帝国軍兵たちに戦慄が走る。
刹那、兵の一人の首が飛んだ。
まるで、玩具のように。
帝国軍兵たちが固まる。誰一人として、その瞬間を見ることができなかった。
二人目の首が飛ぶ。時間差で、残された肉体から噴水のように血が溢れ出る。
帝国軍がようやく我を取り戻す。
「撃て、撃て!」
すかさず周囲からサブマシンガンの弾が飛んでくる。
結界すら無力化する、文明の利器。
だが、レインは信じられないスピードで森を駆け抜ける。銃弾の射線がレインを負うが、速すぎてまったく追い付かない。
木々の間をすさまじい勢いで駆け抜けるレインは、樹木の裏に隠れる敵兵を一人ずつ殺していく。たとえ木の裏に隠れていても、木ごと小太刀で一刀両断した。
あちこちで悲鳴が上がり、血が噴き出しては首無しの死体が転がっていく。
レインが無双するとともに、周囲からスコールのような矢が降り注ぐ。
先ほどまで劣勢になっていたダークエルフの弓矢隊が活気づいた。それとともに魔導士たちも攻撃呪文を詠唱しては後方から炎や氷の呪文で援護してくる。
パニックになる帝国兵。一気に立場は逆転した。
レインはすさまじいスピードで小太刀を振るい、目の前にいる敵の首を次々と斬り落としていく。
向こう側に帝国軍のアシュラミド・パザエフが見えた。
パザエフは忌々しそうな眼でレインを睨んでいる。勇者の一員であった男にとっても、レインの存在は目障りだったらしい。
冷たい眼。
レインはなおも敵を斬り倒していきながら森を進んでいく。信じられない速度で木々の間を移動する。まるで樹木が透けているようだった。
パザエフの姿が見えた。
小太刀を構える。接近すればパザエフの命は無い。
だが、パザエフは邪悪な笑みを浮かべていた。
「なめるなあああ!」
パザエフが叫ぶとともに、耳をつんざくような轟音が響く。
鳥の群れが空へ逃げていく。
先ほどとは比較にならないほどの破壊力を持った銃弾が、数えきれないほど一気に射出された。
――ガトリングガン。
パザエフが用意した、漆黒の森攻略の秘密兵器。
サブマシンガンよりもさらに大きな銃弾が、何発も放たれては木々や地面を穿っていく。
ガトリングガンは大砲並みの大きさで設計されており、その砲身は10メートルほどあった。勇者を支えてきたマッドサイテンティストは、平和な世の中になってからその才能を危険な方面へと伸ばしていた。
凶悪すぎる兵器――轟音とともに敵兵の肉体を破壊していく。
悲鳴。今度はダークエルフたちから発せられた。
漆黒の森の木々が、土壁が一気に削られていく。土煙が上がり、追いかけるように血飛沫と悲鳴が上がる。
「はははははは!」
狂気の笑い。
帝国軍の兵士たちも明らかに巻き込まれていたが、パザエフはお構いなしに巨大なガトリングガンを周囲へ打ち続ける。その姿は明らかに狂人だった。
五月雨のように降り注ぐ無慈悲な銃弾は、漆黒の森を、ダークエルフたちを砂の城のごとく破壊していく。
「はっはー! 死の天使なんてお笑いだぜ!」
パザエフはハイになりながらガトリングガンを乱射する。特性のステロイドで強化した肉体は、ガトリングガンの反動をものともしない。轟音は、薬物で増幅した闘争心をさらに高揚させてくれる。
何万発もの銃弾をレインに向かって撃ち続けた。
土煙でその先は見えないが、レインがいると思しき箇所を、ひたすら撃ち続ける。
銃弾が次々と撃ち込まれ、そして弾が切れた。煙が晴れたら、粉々になった肉体を見つける方が大変かもしれない。
あっという間の全弾発射だった。
「はっはー」
パザエフは狂気じみた笑い声を上げていた。
散々銃弾の撃ち込まれた目の前は、土煙ですっかり見えなくなっている。爆撃を繰り返した跡地のようだった。
その先は何も見えない。だが、パザエフは己の勝利を確信していた。
あれだけの銃弾を撃ち込まれて、無事でいられる者などいるはずがない。
土煙が晴れていく。
パザエフはなおも狂気じみた笑いを上げながら、その様を眺めていた。
静けさを取り戻す向こうで、かすかに放電めいた音が聞こえた。
「は?」
パザエフの笑いが止まる。
嫌な予感がした。
煙の向こうから、桁違いの殺気が伝わってくる。
視界が晴れていくとともに、パザエフの全身に悪寒が走っていく。
「まさか……」
煙の向こうには、険しい顔をしたレインが立っていた。
レインの周囲がバチバチと音を立てながら、結界に守られている。
「嘘だ……。『結界無効化』のスキルが施された魔弾だぞ……」
パザエフはすがるように言う。
目の前の光景を信じたくなかった。
レインが虫でも追い払うように小太刀を一振りすると、張られた結界がガラスのように割れた。
割れたガラス状の結界は、周囲の帝国軍の体へ勢いよく突き刺さり、その肉体を切り裂いていった。
突如の戦死を遂げた兵士たちは、悲鳴を上げる間もなく倒れていく。
生き残った帝国兵たちがパニックになり、その場から逃げ惑う。
ダークエルフの女は、冷たい眼でパザエフたちを見ていた。
「レイニング・ブラッド」
レインが指を鳴らす。
ふいに空が紅くなり、紅い光が雨のように降り注ぐ。
光に当たった者の体が焼け、絶叫とともに絶命していく。文字通り死の雨だった。
「結界を張れ!」
半ば狂気じみた風にパザエフが叫ぶ。
あの雨に当たれば死ぬ。それだけは阻止しなければならない。
帝国軍の魔導士たちが詠唱をはじめ、半円型の結界を張っていく。結界に紅い光が当たるたびに、ビリビリとすさまじい衝撃が走った。
「無駄よ」
レインが呟く。
阿鼻叫喚の地獄絵図に等しい光景の中で、パザエフにははっきりとレインの声が聞こえた気がした。
脳裏に過ぎる無力感。どうあがいても勝てない敵に出会った時、人は冷静に生きることを諦める場合がある。それは自身が捕食される者という役割を受け入れる境地に近かった。
パザエフに起こっている現象はまさにそれだった。
もう少しでこの世から去ると確信しているのに、妙に悟りきった気持ちが出てきた。
懐かしいこの感じ。
忘れやしない。
もう一人の勇者と呼ばれたあの男との出会い。
周辺の一般人を恐怖に突き落とす悪党だったパザエフは、勇者一向に叩きのめされて、彼らを支援する側へと回った。
負けを知らない男の、屈辱を超えた、清々しいほどの屈服だった。
――あの時も、そのような感じを覚えた。
「まさか……」
パザエフは目を見開く。
紅い雨が結界を破る。
魔導士たちが焼かれて、悲鳴を上げる。
「まさか、あなたは……」
パザエフに紅い雨が直撃し、その身が炎に包まれていく。
紅くなる視界。
巨大な火柱が上がり、爆発した。
バラバラになり、焼けた死体が方々へと飛び散る。英雄だった者の、あっけない幕切れだった。
暗闇の中に、亡霊の問いかけが響く。
――あなたは、ティム・モルフェウス……?
誰にも届かぬ、亡霊の声。
パザエフの問いに答える者はいなかった。
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