第2話 血縁
創一と二人で生きていく。千夏は創一と二人で小さなアパートでの生活を始めた。創一は小学校に入ったばかりであったが、父親がいなくなってからの新しい生活にも楽しそうにふるまっているのが千夏にはわかった。母の事情を感じているのだろう。
創一を学校に送り出したあと、千夏は仕事を探して、毎日のように職安に通った。和明からの支援は期待できない。和明も自分が生きていくのに必死であろう。会社が抱えた借金を少しずつでも返済していかなくてはならないのだ。
働き出したら創一には淋しい思いをさせてしまうかもしれないが、それは仕方のないことと覚悟した。
何回かの職安通いでようやく、自分にも働けそうな仕事が見つかった。これで安定した収入が保障されると少しだけ安心した。
地元に古くからある電子部品を作っている会社だ。当然、正社員ではなくパートであるが、大きな会社にいるというのは安心感がある。自分の工場で機械作業をしていた経験が採用の好条件になったと思っている。和明にも就職が決まったことを連絡して置いた。
和明からは「お互いにがんばろう」という返事が来た。
大きな会社である。和明と二人でやっていた工場の数百倍はありそうな敷地と最新の機器を導入した何本もある生産ライン。従業員の数は200人を超えている。
初めての出社の日を迎えた。
「今日からお母さん、仕事に行くからね」
創一が朝ご飯を食べながら「わかった」と答える。
「玄関の鍵は練習したように開けるの。大丈夫よね?」
「大丈夫、何回も練習したじゃんか」
創一が元気よく学校へと向かうと、千夏は社服に着替えて車に乗り込んだ。
会社の駐車場に入る。駐車場は広い。学校の校庭ぐらいの広さの駐車場にたくさんの車が駐まっていた。
私はどこに駐めればいいんだろう?
駐車場をぐるっと一回り廻って、駐車場の一番隅に数台分の空いている場所を見つけた。
――あとでどこに駐めたらいいのかを訊こう。
とりあえずこの場所なら駐めてもいいかと車のハンドルを切った。
千夏が乗ってきたこの車は中古である。地方で働いて、生活していくためには車はどうしても必要だった。バスも電車もあるが、とても生活していく上で便利に使えるようなものではない。車なんて贅沢だ、とも後ろめたさも感じたが、必要経費と考えて和明が乗っていた車を売り、そのお金で小さなこの車を買った。
後ろのドアを開いて荷物をとろうと上半身だけ車に入れたとき、千夏の駐めた隣のスペースに白い高級車がバックで入ってきた。千夏はドアをぶつけてはいけないと、自分の身を縮めてドアを少しだけ自分の体に寄せた。
国産の有名な高級車であったが、車に詳しくない千夏でも、なんとなく品がないなと感じた。よく夜の賑やかな通りで大きな音量で音楽を流しているような感じの車だ。タイヤは大きく、車の高さを低くしている。
その高級車がエンジンを止めて、中から降りてきたのは千夏と同じくらいの歳の女だった。会社の制服を着ている。
「ここ駐めてもいいのかな」
その女は面識のない千夏に唐突に聞いてきた。
茶色に髪を染めている。化粧の濃い女であった。制服は新しそうで、おろしたての折り目が残っていた。
「私、今日、初めての出社なので、分からないんです」
千夏は荷物を胸の前で持ち、その女の様子を窺った。
「そうなんだ。うちも今日が初めてなんで」
――私の他にも同じ日にこの会社に入った人がいたんだ。
髪の色、化粧、車。
――私とは違う世界で生きてる人だ。
千夏は直感した。
――この同期になる人とはあまり関わりたくないな。
千夏はもう一度ドアを開け、車の中に荷物がまだあるような振りをしようと思った。なんにも載ってない後部シートに膝をついてバッグの中身を出したり、入れたりしながら、先にその女が行くのを待った。
その女は自分の車の助手席からバッグを取り、また千夏を見て立っているのが肩越しに見えた。千夏が荷物を取り出すのを待っているようだ。
――先に行ってくれていいんだけど。
その女はそのまま立っていた。
荷物を取り出す振りもこれ以上できなくなって、しかたなくその女と行くことにした。
会社の人事担当の人との電話で聞いたように千夏は会社の玄関に向かって歩き始めた。その女もついてくる。二人で玄関に入って受付の女性に名前を告げた。
千夏が自分の名前を伝えると、千夏に続いてその女も受付に名前を告げた。
「木藤さとみです」
受付の女性は、すぐにこの二人は今日から新しく入るパートだと理解し、二人を連れて二階に上った。
工場とは思えないきれいな玄関ロビーであった。吹き抜けの天井が高く、その下に手すりがステンレスで輝く白い階段がある。千夏たちはその階段を上り二階の廊下を進んで「会議室」と書かれた部屋に案内された。
「ここでお待ちください」
受付の女性はそう言って二人を残して出て行った。
広い部屋には長机がきれいに並べられていて、その正面には社旗が壁に飾られていた。二人で最前列の机につき、並んで座った。
しばらく黙って待っていたが、さすがにそれも気まずくなり、木藤というその女が何か話題はないかと取って付けたように聞いてきた。
「子どもはいるの?」
年齢的に見て、自分と同じくらいの木藤にも子どもがいるのだろうか。その質問には、その辺りから会話を広げていこうという思惑が見えた。
千夏は「ええ」とだけ答えて、詳しいことを話すのは控えた。
――創一は今頃何してるかなあ?
千夏は木藤を意識から外そうと思った。
それっきり話題もなく二人でいすに座って待っていると、ドアが開き男が部屋に入ってきた。上だけ社服で下はスーツのズボンを履いている。二人の前に座ってあいさつをした。先日電話をした人事部の人だった。
男は二人の仕事内容、会社のきまり、出社してから退社するまでのタイムテーブルを説明した。
よくしゃべる人だった。千夏たちのようにパートで入ってきた者たちにくり返し話しているからか、とても饒舌であった。だが、その饒舌な話し方がかえって千夏には事務的で無機質に聞こえた。
――大きな会社とはこういうものなのだろうか。
荷物を休憩室のロッカーに入れ、二人はラインに案内された。
同じ日に入った二人は、同じ部署に配属された。
――関わりたくないと思っていたのに。
――こうなれば、あとはこの女とは仕事上の同僚というだけの関係でいたい。
この女から出る自分との違和感が千夏の自衛本能を呼び起こしていたのかもしれない。
千夏はこの日、そこのラインの担当者に機械の操作と注意点を細々と指導を受けた。少し離れた場所で同じように木藤も別の担当者に指導を受けているのが見えた。
千夏は仕事を覚えることに必死で、まだ気づいていなかった。
この木藤さとみは夫の工場を廃業に導いた木藤工業の娘である。
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