第4話 担任

 松井つばきは元気に毎日を過ごしていた。新しい学校でどんな生活が始まるか少し不安があった。だが、実際に来てみたら、自分が期待していた以上に毎日が楽しい。

 まず、授業が落ち着いている。担任の須藤先生は特に大きな声を出して怒るわけでもなく、どちらかというとのんびりしていて、一言で言うとアルパカのような感じだ。背が人一倍高くて、めがねをかけている。年齢のわりに細い。よく知っているおじさんたちはおなかがぽっこりしてたりするけど、須藤先生はすらーっとしている。

 年齢は何回聞いても答えをはぐらかされる。

「たしか……二十五かな」

「絶対うそ!」

 休み時間に須藤先生は教室の自分の机のところで肘を机についてぼんやりとしていることが多い。ぐったりしていると言う方が合っているかもしれない。

「体力がもうない。みんなは元気があっていいなあ」

 私たちが休み時間にはしゃいでいるとそれを机のところから見て笑っている。

 そんな須藤先生だから最初は、みんなが先生に話す言葉使いも話す内容も、つばきには戸惑うものだった。みんな平気で須藤先生に意地悪ななぞなぞみたいなことを言ったり、中には「もうつかれたあ」と言って先生の目の前で横になって先生の脚にしがみついている子もいる。

 前の学校で小岩井先生も子どもたちとよくしゃべったけど、こんな感じではなかった。小岩井先生とはもう少し、気が張った雰囲気があった。小岩井先生の周りには澄んだ空気が立ちこめていて、私たちは小岩井先生の持っている素敵な空間を楽しんでいた気がする。

 須藤先生は本当はもう定年が近いのだと思う。髭に白髪が交じっているし、笑うと目元にしわが出る。だけど、それがなんだか私たちに安心感を分けてくれて、先生の近くにいると、何にもしてなくても心がふわっとする。

 授業で須藤先生は今までに体験したことや、お家でしたこと、出かけていって見てきたことなんかを話してくれる。その話に、クラスのみんなが一緒に耳を傾けて、思い思いに言いたいことを言って盛り上がっていく。

 みんなは須藤先生は怒ると怖い、って言うけど、つばきはまだ須藤先生が怒ったのを見たことがない。

 だけど、それは何となく分かる気がする。まじめに考え事をしている須藤先生を見るときがある。いつも私たちと馬鹿なことを言ってふざけているけど、まじめな顔をして考え事しているときの先生は肝心なところは外さない先生だと感じさせる。

 きっと怒ったときは声を荒げるとか、大声を出すとかではなく、私たちの心の中にぐさりと突き刺さり、重くのしかかってくるような怖さを出すのだと思う。それをみんなは怖い、と言っているのだろう。


「学校はどう? 楽しい?」

 うちに帰ると美智子おばあちゃんが訊いてきた。いつも私の顔を見ると私が笑っているかどうかを確かめるようにして訊いてくる。

「まあ前の学校がねえ」

 学校であった出来事をおばあちゃんに話すと、おばあちゃんは目を丸くしたり、目を細めたりしながら聞いてくれる。

「何かあったら言いなさいよ、黙ってじゃだめだからね」

 この言葉もおばあちゃんの決まり文句だ。つばきは自分のことを心配してくれているおばあちゃんが大好きだ。おばあちゃんが悲しまないように、私も新しい学校でがんばろうと思っている。

「須藤先生はどう? 元気かしら」

 おばあちゃんは須藤先生のこともよく訊く。

「今日もいろいろ話してくれたよ。前の日曜日に温泉に行ったんだって。体と頭を洗って湯船に行こうと立ちあがったらね、二つ隣のシャワーのところで須藤先生をじーっと見ている人が座っていたんだって」

 つばきは今日の朝の会で須藤先生が話してくれたことを思い出して、おばあちゃんにも訊かせてあげたいと思った。

「須藤先生はね、じっと自分が見られているから、何か自分がその人にしたのかなあって思ったんだって。例えばシャワーのお湯がかかっちゃったとか、体に泡がまだ着いているのに湯船に入ろうとしていたとか」

 美智子おばあちゃんはコーヒーを飲みながら聞いてくれている。

「そりゃ、変な人だねえ、人をあんまりじろじろ見るのはいけないよね、気味悪いしさ」

「で、須藤先生は勇気を出してそのじっと見ている人に聞いたんだって。何かありましたか? って」

「うん、なんだって答えたの? その人」

「笑っちゃうんだけどね」

 つばきはその話をしているときの須藤先生の顔を思い出して、話をしながらまた笑いそうになった。

「その人はまさかそんな風に聞かれると思ってなかったらしくて、須藤先生にきかれて、びっくりして、『ええっと、ええっと』って顔したんだって。目が泳いでいるというかそんなふうに」

「そりゃそうだよね、聞かれるとは思わずに見てたんだろうから」

「須藤先生もしつこく訊いたんだって。じっと見られて気分悪いし。がんばったんだって」

 おばあちゃんもつばきをじっと見ていた。

「もう一度、何かありましたか? って聞いたらね。その人なんて言ったと思う?」

 おばあちゃんはコーヒーを一口飲んでちょっと考えたけど、分からないみたいだ。

「その人ね、須藤先生を見てね、『幽霊みたい』って言ったんだって」

 つばきはもう笑いがこらえられなかった。風呂場で裸で立っている須藤先生とどこかとぼけたおじさんが二人で顔を見合っている瞬間。二人が見つめ合っている様子を思いうかべただけで笑えてくる。しかも、そのおじさんが言った言葉が「幽霊みたい」だ。

 おばあちゃんが持っていたコーヒーカップを慌ててテーブルに置いた。コーヒーをこぼしそうになったからだ。

「先生もその言葉を聞いて何も言えなかったって。『幽霊』って言われて、『死んだ人?』しか言えなかったって。そのまま湯船に入って湯船につかりながら頭の中で『幽霊ねえー』の声がリピートしていたって言ってたよ」

 クラスのみんなが須藤先生の話を聞いて笑った。温かな温泉に入っているような気分だった。私の新しいクラスは温かい。改めてつばきは思った。

「だからさ。まあ、学校は楽しいです」

 つばきはそう言っておばあちゃんが入れてくれたホットミルクをおいしくいただいた。


 だけど、おばあちゃんはとっても悲しそうな顔をしてたんだ。

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