第3話 紙切れ

 客が少なくなる時間帯になった。昼を過ぎ夕方までの間に一瞬だけ客足が減る時間がある。その間に、代わる代わるレジを交代して品出しや、店内の整理、買い物かごの移動をすることになっている。

 あけみは野菜売り場に行ってみた。ネギの値段が気になっていたからだ。旬のものがきれいに並べられている中に、ネギが三本ずつで透明なセロハンにくるまれて棚に並べられていた。ネギの前に貼ってある値札はたしかに一二〇円となっていた。

「きのうは一二五円だったのに」

 あけみは舌打ちした。あの客のくそばばあの方が正しかったことが腹立つ。

「値段が変わったのならちゃんと言えよなあ」

 腹ただしさの矛先は山崎に向かっていた。

 野菜売り場から調味料売り場に行く途中に山崎が段ボールから商品を出して棚に置いているのを見た。腹立ちが収まらないまま、山崎のところまですたすたと行き後ろから声をかけた。

「ネギの値段変わっていたの、あたし、ちゃんと知らせてもらってなかったんだけど」

 山崎は後ろから急に声をかけられ、驚いたように振り向いた。そこにあけみがいるのを見て山崎は苦笑いを浮かべた。

「ああ、さっきの」

 山崎はまた商品を並べだした。従業員がどうでもいい、くだらないことを言ってきた、と言わんばかりだ。

「確かに間違えた私が悪いけど、ちゃんと知らせて置いてくれんとなあ」

 口調は少し柔らかくしてみた。自分に少し不利だと感じたからだ。

「久保さん、もう何年もやってるんで間違えないと思ったんですけど。レジのところに値段が変わったものは一応、表にも変わったことを書き込んでおいたんだけど」

 確かに赤マジックで書き込みあったのをあとから見た。ほかのレジ打ちは知らされていたみたいで、だれも間違えたとは聞いていない。

――見ておかなかった私も悪いけど、ちゃんと言えよなあ。

「そうだけどさあ、まあ、これからはちゃんと言って」

 なんだか自分だけのけ者にされているような気分になって不快になった。

 この場所にいつまでもいると山崎としこりが残るような気がしてきてその場を離れた。


 そろそろ退勤の時刻になるころ、あけみはレジにいた。客がまた増えてきてレジの前に数人の列ができはじめた。

 レジをうちながら、列の先を見ると先ほどのネギの婦人がまた並んでいるのが見えた。サングラスをかけている。

――ちっ、また来やがった

――今度は何だ? 

買うものを忘れて一回の買い物で済ませられないことがあるが、なんかまた言ってきたらやだな。

 その婦人の順番が来た。あけみは初めて会ったかのような顔をしてしらばっくれた。

「いらっしゃいませ」

と買い物かごを引き寄せると商品が入っていない。そのかごの中に紙切れを丸めたものが入っていた。

「あのー。お買い物のものは?」

 あけみが訊くとその婦人はその紙を指さした。かごの底に丸めて入っている,何かのメモ用紙のような小さな紙だ。

 あけみがその丸めた紙を取り上げ、婦人の顔を見た。目で「中を見ろ」と言っている。

 あけみは中を開いて見てみた。

「許さん」

 鉛筆書きで、力いっぱいの握力で書いたような字であった。

 あけみがその紙切れを見たのを確かめるようにじっと見てから、その婦人はレジを通り過ぎ、店を出て行った。

 あけみはその紙切れをレジの横に放り投げるように置いた。くそばばあの怨念が込められているようで怖かった。わざわざ紙に書いて、わざわざまたそれを持って店まで来る、そのくそばばあの執拗な意地が伝わってきた。

 次の客が待っている。いつまでもこの紙切れのことに構うことはできなかった。

――許さんって……。

 その後の客の対応をしながらも、頭の中にその言葉がこびりついて離れなかった。

 客の切れ目を迎えたとき、あけみのパートの時刻もちょうど終わった。


 人の運命は分からない。

 久保あけみは、当たり前であるが、自分と自分の家族にこれから何が起きるか知らない。

 空に向かって毒づいていたことを、この後、後悔する間もなく、事件は起こり、すべては終わる。

 

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