月光浴
Danzig
第1話
月光浴(げっこうよく)
月の出ている夜に、私は散歩に出かける。
私の大好きな月光浴の時間
月は
「二日月(ふつかづき)」
から
「明けの三日月(あけのみかづき)」
にかけて、
日々形を変えて、
いろいろな光を私に届けてくれる
その移り行く月の形は、静寂(せいじゃく)の中に
月の息遣(いきづか)いを感じさせる
ゆっくりと
優しく
そして仄(ほの)かな温もりのある
そんな息遣い
それが何とも、私にとっては心地よく
愛(いと)おしく感じる
月を愛おしく感じるのは、なにも私だけではない。
月は古くから、私達を魅了してきた。
平安の貴族も
戦国の武将も
明治の文豪たちも
月に想いを馳(は)せ
月を見ては、それぞれの物語を思い浮かべてきた
古(いにしえ)より
人を惹(ひ)きつけて止(や)まない月・・・
そんな月の光を浴びる
それが月光浴
かつて、クレオパトラも
月光浴を欠(か)かさなかったといい
スリランカ発祥の伝統医療、アーユルヴェーダにも
月光浴の記述がある。
西洋でも
月のオーラによって
人の身体に共鳴(きょうめい)現象が起こると
考えられて来たようだ
洋(よう)の東西を問わず
月は人を魅了し
そして癒(いや)してきた
今日は、私の好きな月光浴の話をしましょう
「二日月」から「明けの三日月」
どんな月の形でも、月光浴は出来る。
でも
やはり私は
満月の光を浴びる月光浴が好き。
満天の空に輝く満月は
28の顔を持つ月のなかでも
なんとも不思議な魅力がある
そして満月は、ちょうど日を跨ぐ12時頃
南の一番高い位置まで昇(のぼ)る
その時間を目指して
私は月の光を浴びれる場所へと移動する。
用意は何もいらない
一人であれば言葉さえもいらない
ただ月の声に誘われるように出かければいい
月光浴をする場所は、月の光を感じられる所
そんな場所であれば何処(どこ)でも構わない
ビルの屋上でも
部屋のベランダでも
歩道橋でも
車の中でも
どこでもいい
自分の心が月へと向かう場所であれば・・・
その中でも私は、公園に行くのが好き
人気のない公園は、月光浴には絶好の場所だと思う
ベンチや芝生・・・
横になれる場所を探して寝転がる。
寝転ぶ場所がないならば
ブランコにでも座ろうか
そして、月をじっと見る。
瞳(ひとみ)の中に、月の光が満たされたような
そんな感覚が現れたら
手を広げて、目を閉じる
遥(はる)か、遥か、遠くから
降り注ぐ月の光は
優しく
まるで
とても薄い、黄金色(こがねいろ)をした
絹のベールが
ゆっくりと身体に被(かぶ)さるような感覚を
顔から腕や身体、足の先まで感じさせてくれる
月の光はじんわりと
少しずづ身体に染み込み
すり抜けていく。
そして、身体を抜けた光は
地面へと溶けてゆく・・・
光が身体を抜ける時
自分の心の中の蟠(わだかま)りも
一緒に連れ去ってくれるような感じがする。
そんな時に私は
私が私でいるという存在感を感じる。
月光浴は、私自身を取り戻す為の癒(いや)し。
身体(からだ)に染みてい行く
月の光を感じながら
私は思う
およそ300年前
ホイヘンスは
「光は波である」と言った
同じころ
かのニュートンは
「光は粒である」と言った
そして、この二つの学説は
長らく決着がつく事はなく
200年後の
アインシュタインの登場を待つことになる。
およそ今から100年程前
アインシュタインは
「光は粒であり波である」と言った
しかし
それから100年経(た)った今でも
まだ光については分からない事があるらしい
光とは、そんなとても不思議な存在。
でも、私にとっては
月の光が粒であろうと
波であろうと
どちらでも構わない。
この優しい光が
ゆっくりと体をすり抜けていく感覚は
多分
方程式で解けるようなものではないと思うから
昔から、月には兎(うさぎ)がいるという
そんな話の方が、私には似合っている
月光浴
夜と私と特別な時間
完
月光浴 Danzig @Danzig999
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