畑を耕し、そこにSSをばらまく

おてんと

プロローグ とある田舎の未経験者

 「あ、生徒会長。おはようございまーす」


 「おはよう」


 穏やかな春の日。四月に入り、数日が経った今は、ほとんどの桜が葉桜と化している。


 日中は暖かく、日が沈むと涼しい。何事にも活動しやすいこの時期は、今を生きる者たちにとって好まれる季節と言っても過言ではない。


 陽を拝む植物も、繁殖を怠らない虫も、求愛行動に命を賭けている動物も春の訪れを待っていた。待ち望んでいた。


 故に春が来ればすぐさま活動し、子孫を残そうと生物たちは奮起する日々を送っていた。


 無論、人間も例外ではない。


 出会いの季節と言えば、春。


 そう言われるくらい、春という季節は人間にとっても特別視されてきた。


 年中発情期の人間も他の種族と同様に、春という季節に出会いを求めている。今も昔も変わらない、遺伝子レベルで引き継がれてきた、抗うことのできない衝動だ。


 パートナーに出会い、子孫を残すべくして行為に走る。


 走って、走って、走りまくる。


 いや、もう春とか関係ない。


 先述したが、人間は季節に関係なく、ムラムラしてしまう生き物だ。


 それが至極当然な生き物だ。


 故に人はムラムラすると、肉体的欲求を満たすために性行為を繰り返してきた。


 乾いた喉を潤すべく、湧き上がる性欲を性行為をもって鎮めてきた。


 しかし世の中にはその行為に走れなかった者も居る。


 ゴールテープが見えず、スタートラインに立っているかさえ危うい者だ。


 人はその者を――“未経験者しんぴん”と呼んだ。


 「おはようございます」


 「おはよう!」


 「うす」


 「おはよう!」


 「おはようございます〜」


 「おはよう!」


 ここ、市立 学々高等学校にて、とある男子高校生が今も尚、登校してくる生徒たちに次々と挨拶を交わしていた。


 場所は校門前、比較的中央に位置する所で男は仁王立ちし、優しげな笑みを浮かべて挨拶の言葉を口にする。


 そんな男子高校生は生徒会長だ。


 今年、三年生の春を迎えた生徒会長は、天は二物を与えずという言葉を裏切るような男であった。


 黒髪黒目、特に美容に気をつけていることもないが、イケメンかどうかを駅前でアンケートを取って集計すれば、大凡の人がイケメンと回答するくらいには容姿が整っている。


 また男には、そのイケメンに補正値がかかるような肉体的な美が兼ね備わっていた。


 学生服の上からでもわかる筋肉質な体躯。遠目からでもわかるような逆三角形は、世の男性が抱く理想の体型なのかもしれない。また育ち盛り真っ只中の男は、身長が百八十に達していた。


 故にそんな男子高校生が笑みを浮かべて挨拶すると、一部の女子生徒が顔を赤くすることも珍しくはない。


 そしてルックスだけではない。その者は才にも恵まれていた。


 成績は常に上位に位置しており、得意分野の学問に関しては、毎回の定期試験で一桁から溢れたことは無かった。


 女子生徒たちからは恋慕の情を。


 男子生徒たちからは嫉まれるほどの憧れを。


 その男は一身にそれらを集めていた。


 が、しかし――


 「おは――」


 「おはよう!」


 ――生徒会長は“未経験者しんぴん”だった。


 「生徒会ちょ――」


 「おはよう!」


 「お――」


 「おはよう!」


 「おーい、生徒会長ぉ。そろそろ終わりにして――」


 「おはよう!」


 登校してくる生徒たちに挨拶されると、自動で笑みを浮かべて挨拶を返すくらい、男の頭の中は童貞に関連する内容でいっぱいであった。


 後ろから先生に、本日の校門前での挨拶運動を切り上げていいと言われても、生徒会長はかまわず挨拶を返すくらい切羽詰まっていた。


 そんな生徒会長の頭の中には、


 (なんで俺は童貞なんだろう。イケメンと言われたことがあるのに童貞。頭良くて、運動神経良くて、モテそうなのに童貞。徹頭徹尾童貞。ヤりたい。でもどうやって童貞を卒業すればいいのだろう。“童貞”ってなんなんだろう)


 そんな思考で埋め尽くされていた。


 授業中でも、スポーツをしている間も、その男の頭の中の大半がそんな思考によって埋め尽くされていた。


 それを踏まえて文武両道、眉目秀麗、逆三角形が、この高校の生徒会長の何よりの特徴である。


 「生徒会長だ。おは――」


 「ばッ! よせ!」


 すると今も尚、登校している生徒たちの中で、とある男子生徒が、一緒に登校していたと思しき女子生徒の肩を掴んで、挨拶の言葉を口にするのを止めさせた。


 その一組の男女の周りに友人といった人物は見受けられない。おそらくカップルで登校してきたのだろう。


 そんなカップルのうち男子生徒の方が、相方の女子生徒に向かい合い、言い聞かせるようにして強い口調で言った。


 「おま、知らないのかよ。。声掛けちゃ駄目だ」


 「え? “ヤバい”? ああ、たしかに格好良いし、頭良いし、スポーツもできてヤバイよねー」


 「ちげぇって!!」


 まるで彼氏の主張が伝わっていないような会話だった。


 だから彼氏は仕方なく言った。


 「あの生徒会長、実はなんだって!」


 先述したが、今一度記そう。


 ここ、市立 学々高等学校には、完璧超人と自称しても誰も否定できない生徒会長が居る。


 文武両道、眉目秀麗、逆三角形、そして――


 「え、う、嘘。それってただの噂だよね?」


 「マジだよ、マジ! 実際に一つ前の生徒会長が女子だったんだけど、被害にあったらしい!」


 「え?!」


 ――“未経験者しんぴん”。


 童貞なのに、どこの誰の話をしているのかも不明な、不名誉極まりない会話が生徒会長の前で繰り広げられていた。


 生徒会長は数歩前に歩み出る。


 その足先は、件の会話をしている一組の男女たちに向いていた。 


 「そ、そんなわけ......」


 「だから嘘じゃないって! 部活の先輩たちが皆言ってたんだって!」


 一歩、また一歩。


 特別忍び足でもないその足取りは、歩む音を消し去ってはいなかった。


 しかしカップルたちは気づかない。


 気づかない故に、彼氏は感情的に口走った。


 「だからお前も酷い目に合わないよう距離を置いて――」


 「ひッ?!」


 最初にその存在に気づいたのは、女子生徒の方だった。


 相方の男子生徒の背後から見えたその人影に、声にもならない悲鳴が口から漏れてしまった。


 「あ、ああ、あ」


 「? お、おい、どうした?」


 彼女が何かを伝えようと、口をパクパクとさせるが、彼氏は気づかない。


 次第に交際相手に肩をパシパシと叩かれ、もう片方の彼女の指が、彼氏の背後を指差したことにより、その思いがようやく伝わった。


 彼氏は察した。


 彼女の尋常ならざる青ざめた顔色から、自身の背後には誰が居るのかを。


 気づけば、こちらへ近づいてくる足音は、周りを行き交う生徒たちのものに混じっていても違和感しか無かった。


 圧倒的な重圧感。


 男子生徒は全身に嫌な脂汗が滲み出てくることを感じた。


 「あ、きぇ、ケン、くん」


 「ハァハァ......」


 どうやら彼氏は彼女から“ケン君”と呼ばれているらしい。


 息を荒げたケン君は、自身が立っている場所がいつの間にか日陰になっていることに気づく。


 分厚い雲が陽の光を遮ったのだろうか。それにしては自身が立っている場所だけやけに暗い。まるで自分だけが暗闇の世界に放り込まれたみたいだ。


 いや、考えるまでもない。


 立っているのだ。


 自分の真後ろに、ソイツが立っているのだ。


 先程、交際相手に言い聞かせていた、数々の悪行をした人物が立っているのだ。


 あの――生徒会長が。


 ヤリチンクソクズ野郎が。


 そしてそのヤリチンクソクズ野郎の名は―――。


 「っ?!」


 ケン君は後ろを振り返った。


 まるで錆びついた機械の駆動部を思わせるような、ギギギという音を鳴らして。


 振り返った先で、目が合う。


 先方は優しげな笑みをニコニコと浮かべているが、その目は全然笑ってない。


 むしろその瞳には、青春真っ只中の生気に満ち溢れた若者が宿していいとは思えない程、底しれない闇が宿っていた。


 ケン君は後悔した。


 人目もあるし、朝だし、近くには先生だって居るから、多少思い切ったことを口にしても大丈夫だと油断していた。


 しかし眼前に居る男にはそんなこと関係ない。


 だって眼前の男子生徒は、その頭脳明晰てんさいを駆使して異性を落とし込めるよう計画を立てられる男だから。


 だって眼前の巨漢は、その整った容姿イケメンで異性を、まるで息を吸うかのように誘惑できる男だから。


 だって眼前の悪漢は、その屈強な逆三角形きんにくをもって、異性を快楽のどん底へと突き落とすことで有名な男だから。


 そんな『死んだら地獄行き? モーマンタ〜イ!』と言わんばかりの悪行を繰り返してきた生徒会長が口を開く。


 ゆっくりと。


 はっきりと聞こえる声で。


 「おはよう」


 ――高橋 和馬。


 それがこの高校の現生徒会長の名である。


 童貞なのに、周りからは“ヤリチンクソクズ野郎”と呼ばれる摩訶不思議な一匹のオスの物語である。

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