時をとめるような暖かさ

あいつが死んでから数年が経った。あれからオレは近所のコンビニでバイトを始めた。あまり上手くこなせないけど、ぼちぼち働いた。たまにくそったれな客がやってくる。酒の入ったカゴをレジに投げるように置く。苛つく。レジを打ち終わってから、レジ打ちが遅いだのなんだの言って、全部返品して、暴言だけ吐いて出ていく。くそったれだ。


記憶は不完全だ。オレは今感じているものしか感じられない。今くそったれな気分ならくそったれなことしか感じない。過去にどんな素敵なことがあったとしても今という時間の前には無意味。いつもいつも今だけだ。そして今はくそったれだ。


朝になりバイトを終えて帰路につく。バイクに跨ってエンジンをかける。なかなか掛からない。苛ついた。何度か繰り返してようやくエンジンが掛かる。オレはアクセルをふかしてエンジンを温める。そして勢いよく車道に飛び出した。家に帰る道は2つある。国道を通る道と山の中を通る道。いつもは国道を通るけど、その日は山の方を通ることにした。気分転換に丁度よいと思った。何度か通ったことがあるから、道に迷う心配もなかったし、朝だから危険も少ないはずだった。山道は涼しくて気持ちよかった。さっきまでのくそったれな気分があっという間に消えていった。オレは横目で景色を眺めながらバイクを運転していた。それが良くなかった。落石があったんだ。バイクがそれを踏んで制御を失ってガードレールに突っ込んだ。


夢を見ていたんだと思う。昔いた会社で表彰される夢。現実ではありえないことだ。でも夢の中でくらいいいだろ?同期から羨ましがられた。先輩が褒めてくれた。後輩がオレを慕うようになった。色々なことが好転していく。オレという存在が光を浴びる。そんな夢。欲しかったもの手に入れた。束の間の満足感。でも家に帰ってもあいつはいなかった。オレの手の中には賞状があった。みんなからの称賛があった。でも、あいつがいなかった。あいつが駆け寄ってくることはなかった。満たされていたはずだったのに。あふれるほどの幸せを感じていたはずなのに。一気に消えてなくなった。オレは部屋の扉を静かに閉めた。


違う夢に切り替わった。あいつがいた。オレは軒先であいつを枕にして寝ていた。すごく気持ちよかった。風呂なんてたまにしか入らないからかなり臭いけど、でも毛がふわふわして気持ちよかった。熱いぐらいの体温を感じた。安心感なのか何なのか。よく分からないものに包まれる。もちろんオレが勝手にそう感じていただけだ。あいつは重くて邪魔に思っていただろう。でも動かないでいてくれた。いつも無いものねだりばかりするオレだけど、その時は何も欲しいと思わなかった。満たされていたんだ。不思議なもんだ。ありとあらゆるものを求めるくせに。他人が持ってるものは何でも欲しがる。他人が持っていないものも欲しがる。ほとんど全てを欲しがる。そんなオレが満たされてる。一緒に寝てくれるやつがいるってだけで満たされる。こいつとこのまま眠り続けられるなら全部どうでもいい。そう感じた。


目を覚ましたら病院のベッドの上にいた。いつの間にか服も着せ替えられていた。輸血のパックから管がオレの腕に伸びている。どうやらまたこの世界に戻ってきてしまったらしい。この世界にはもうあいつはいない。オレはまた無いものねだりをしなければならないのか。快楽も名誉も財産も、欲しいものを欲しいまま求めなければならないのか。たぶんきっと、オレの心はオレのためにはないんだ。悲しいくらいに、オレの心はオレを動かす。オレという存在を生かすために、オレを動かし続ける。生存のための機能の一つだってことだろう。心臓が脈打つのと同じ。生きるためにオレの心は外界の全てを求める。そういう機能だ。悲しくなるほど機能的だ。こいつはオレを生かし続ける。そしていずれ用が済めばオレを殺すだろう。オレが何も得られなくなった時。得られる可能性を失った時。こいつはためらいもなくオレを殺すだろう。悲しいくらいに機能的だ。


じゃあ、あれは何だった?あいつと居た時のあれは何だった?何かがオレを満たした。オレの心を機能不全に追いやった。オレは何も求めなくなった。死のうとしたわけじゃないはずだ。感覚が麻痺したわけでもないはずだ。あれを何と呼べばいい?意識や心なんて言葉は使いたくない。もっとおかしなものだ。オレの中にはもっと別の何かがある。オレの制御の及ばない何かがある。何かの器官。肺や胃や腸のような。脳みそからはアクセスできない何か。あいつはそこに触れたんだ。それはオレを生かしはしないだろう。殺しもしないだろう。全く無意味だ。時を止めるような暖かさだけがあった。


終わり

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一人で立っているつもりだった @MeiBen

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