03 魔法のお勉強(前半)



 わたくしが生まれたラシュレー家は、レヴェイヨン連合王国の端に位置する領地を治める辺境伯でございますの。

 辺境とは言いますけれど、それはあくまで「王都から遠い」だけであって、栄えていないわけではありません。

 豊かで危険な生態系を育む"黒の森"に面した我がラシュレー家は、冒険者が狩猟したモンスター素材の交易によって栄えておりますから、お金はあるほうでございます。

 お屋敷は大きく、使用人もたくさん。まだお屋敷の敷地外に出たことはありませんけれど、にぎわっていると聞いておりますし。


「そんなお家に生まれたわたくし、勝ち組ですわ!」

「レオお嬢様、だめですよ。勝ち組だなんてはしたない言い方は、おやめください。富める者には富める者の責務があるのでございます」


 お屋敷の前に広がるお庭のテーブルでまったりとお菓子をいただくわたくしに、側に立つメイドさんがそう注意いたしました。癖の強い赤毛をおさげにして丸眼鏡をかけた、十三歳のメイドさん――名を、ブリジット・バイイ。わたくしの教育係ですわ。

 聖女認定の儀から十日が経ち、すっかり日差しも春めいてまいりました。太陽がぽかぽかと体を温めてくれて、なんかもう、このまま溶けてしまいたい気持ちでございます。


「貴族の責務と言われてもォ、わたくし、まだ六歳の幼女ですしぃ。ハァ……困ったなァ、まさかこの世界には大好きなラーメンがないなんてェ……。もうやる気が出なくて、ぜんぜん動けなくてェ」

「"天上"のお食事が恋しいのはわかりますけれど、今朝はパンを十五個も食べたじゃないですか。ご満足いただけませんでしたか?」


 天上教会の教えによって、転生者が元居た地球は"天上"と同一視されています。酒池肉林の夢のような楽園だとも、争いの絶えない神々の国だとも思われております。あくまで宗教観ですから、わざわざ否定はしませんけれど、実際の"天上"は机と椅子しかない塩湖みたいな場所でした。

 そして、実際の地球は……、まあ、楽園とは言い難いですわよね。


「ドニおじさまの焼くパンは、ふわふわでめちゃうまですもの、大満足ですわ。でも、一番の好物にありつけないのは、やっぱりツレェですの」

「あ、また言葉遣いが乱れて……もう! 怒りますよ!」


 ブリジットの怒り顔には、ぷんぷん、という音が似合いますの。かわいいです。……そうですわね、丁寧に言い直すとしましょうか。


「ええと、料理長シェフ・ドニの焼くパンはとっても美味しいですけれど、"天上"にしかない好きな食べ物をいただけないのは、やはり寂しく感じてしまいますの」

「まあ、よいでしょう。……それにしても、よくお食べになりますね、レオお嬢様は。今も、お菓子をぺろりと」

「そういう体質ですもの」


 魔臓【飢餓のテクセリア】――食べれば食べるほどに魔力を蓄えるチート能力。女神様から頂いた、サービスのお品。

 今のところ、魔臓のことは両親にしか話しておりませんから、ブリジットからは「はちゃめちゃにメシ食うガキ」だと思われていることでしょう。

 どれだけ食べても太らず、際限なく魔力だけを貯めこめる能力ですけれど……、この【飢餓】にはひとつ、欠点もございますの。


 ……どれだけ食べても、満腹にならないのです。


 よくて腹八分、というところでしょうか。これは由々しき事態ですわ。腹ァはち切れるくらいいっぱい食べたくても、絶対にそうはならないのですから。

 "ちょうどいい量"を超えたら、即座に魔力に変換されてしまうのでしょう。おかげで、わたくしは常にちょっと小腹が空いている、はらぺこお嬢様なのです。

 今も昼過ぎのお菓子として、全粒粉に近い粗挽きの小麦粉を水で練った生地を薄く焼き、ラズベリーのジャムを塗ってくるくる巻いたものを一ダースほどいただきました。クレープの亜種……、というか原型のようなものなのでしょう。

 満腹にはなりませんけれど、ひとまず食べ終わったわたくしを見て、ブリジットは丸眼鏡のつるをくいっと上げました。


「さて、お茶の時間も終わりましたし……」

「お昼寝の時間ですわね! ブリジットも一緒に芝生に寝転んで、惰眠をむさぼりましょう! ぜってー気持ッちィですわよ!」

「いえ、お勉強の時間でございます。レオお嬢様は、いずれラシュレー領を継ぎ、経営に携わることになるのですっ。貴族として恥ずかしくない教養を身に着けていただきませんと!」


 ブリジットは拳を握った両腕を胸の前で小さく「むん!」と掲げてやる気を示します。

 食べてすぐ寝るのは最高ですけれど、ブリジットはなかなか厳しい教育係で、許してくれないのです。隙あらばお小言を差し込んできますし。クラスにひとりはいる優等生キャラって感じですの。


「むう。わたくし、経営に関する算術は、ちゃんとできているではありませんか。"天上"で十二年間も勉強して、短大出たあとの五年間は立派なオフィス・レディとして電卓叩いたりもしておりましたのよ?」

「デンタクがなにかはよくわかりませんけれど、それはレオお嬢様が生まれる前の話でございましょう? 私は現実の話をしております」


 ばっさり。……"天上地球"での人生は、この世界の人々にとっては理解しがたいことが多いらしく、「立派な大人だった」と言っても「はいはい」程度の反応しかしていただけないのです。

 「赤ちゃんが生まれる前にいる楽園」くらいの認識なのかもしれません。


「本当のことですのに……」

「たしかに、算術に関してはお見事です。けれど、それ以外のことが、あまりよくできておりません。特にマナーは、レオお嬢様はその、ええと……、控えめに申し上げて、下の下ですから」


 言い淀んだあげく、出てきた形容詞が「下の下」ですか。わたくしのマナーはそれほどバッドなのでしょう。でも、お勉強はメンドくせェのです。ぷくっと頬を膨らませてカワイイ幼女攻撃を仕掛けてみますが、ブリジットには通用しません。


「う……、か、かわいいお顔をしても駄目ですよ。ぶりっこしていないで、お部屋に戻りましょう。……駄目ですってば、もうっ」


 気弱そうな見た目で、実際に気弱な方ではあるのですけれど、仕事には真面目な性格で……、わたくし、いつも小言を連発されておりますの。やれスカートをたくし上げて走ってはいけませんだの、言葉遣いに注意してくださいだの……。

 聞けば、元はどこかの貴族の娘だったそうで、没落して辺境伯のメイドになったとか。世知辛いですわねー。


「やァだやァだ、お昼寝したいですの」

「もう、困りましたね……。本日から魔法の修練を始めたいので、作法や経営のお勉強は、なるべく早くに終わらせてしまいたいのですけれど……」

「そういうことなら、張り切って勉強いたしますわ!」


 魔法! わたくしも魔法少女に憧れていた時期がございます。退屈な計算は勘弁ですけれど、魔法なら喜んで勉強いたしますとも。

 部屋に戻って、面倒な座学はさっさと終わらせてしまいましょう!


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