episode3 隠者と魔女のささやかなお茶会
町の喧噪から一歩踏み出すと、名もなき森が広がっている。
灰色の髪をした老婆はその光景を一瞥だけしてから、森の奥へと踏み込んだ。見た目からすればただの老婆かもしれないが、彼女の杖は魔法使いの持つそれだ。じろじろと周辺を見やった後、そこから更にまた歩き、そして杖をグッと持ち直した。目の前にはただの茂みが広がっている。路はなく、獣道すらない。ただの茂みだ。
だが老婆は杖の先に魔力を籠めると、茂みの広がる空間にかざした。紙を火であぶるように、じわじわと空間に穴が開き始め、そこに不意に違う景色が現れた。
「ふん。相変わらず厄介な結界を張りおって」
老婆は悪態をつきながら穴の中に入っていく。やがて、その後ろで空間が元に戻っていった。
勝手知ったるなんとやら。老婆は目の前に急に現れた塔へと目をやると、挨拶のひとつもすることなく中へと入り込んでいった。塔の中は最上階に向かって階段が続いている。眉間に皺を寄せた。仕方なく階段をあがっていき、途中で立ち止まっては腰を叩くことを繰り返した。
そうして最上階の扉の前にたどり着くと、老婆はひとつ息を吐いてから、勢いよく扉を蹴り開けた。
「おう、元気かい、ジジィ」
老婆は中に居た若い青年へと言った。
「扉を蹴っ飛ばさないでくれないか、ばあさま」
「ああ? なんだって?」
老婆の杖の先がぐりぐりと青年の頬を抉る。
「最近耳が遠くってなあ。もう一回言ってくれないか?」
「ちょっ、やめっ……、痛い痛い!」
何度か頬をぐりぐりと痛めつけてから、老婆は杖を下ろした。
青年は涙目になりながら頬を手でさする。
「二百年前は生意気だった小娘がいまじゃこんなに老獪になっちゃって……。僕は悲しいよ」
「喧嘩売ってんのかい、アンタ」
老婆は勝手に椅子のひとつに手をかけて座り込む。
「ほら、ジジィ。見た目だけなら若いんだから、レディにお茶のひとつでも出すことだね」
「はいはい、レディ・メルセ。いまお茶を持ってきますよ」
青年は――トゥラエルは渋々といったようにキッチンへと赴いた。
それからトゥエラルがトレイに二人分のお茶とポットを持って戻ってくると、カップのひとつを老婆――メルセの前に置いた。メルセは少しだけ自分の前にカップを引き寄せて、両手で持って冷ます。
「まったく、わざわざこんな塔の上に住むなんてね。当てつけかい?」
「まさか!」
トゥラエルは自分の席につくと、改めてメルセを見た。
「それより、何の用かな。タイジュ=クドーが懐かしくなったい? それともコスタズが僕みたいなジジィを引っ張り出すほど魔法使いに飢えてるわけでもないだろ?」
「ふん。馬鹿馬鹿しい。でも、お偉方は上へ下への大騒動だよ。このところ毎晩ね」
「へえ、何かあった?」
「アンタが知らないわけないだろう、すっとぼけるんじゃないよ、隠者……いや賢者トゥラエル。《深夜同盟》だよ」
メルセはそう言ってから茶をぐっと飲み込んだ。
喉がじゅうぶん湿ると、湯飲みの底を見つめながら続ける。
「魔王があんなに喋ってるだけで大騒動だ。なにか重要なことを、口を滑らせるんじゃないかって毎日聞きかじってる。それでなくても世界中の――厳選されているとはいえ、ニュースなんか配信してるんだ。どっちを中心に聞いたらいいかわからんだろうよ」
メルセは茶を飲み干すと、お代わりを要求するように湯飲みを差し出した。受け取ったトゥラエルは湯飲みに茶を注ぎながら笑う。
「僕にとっては魔王があんなに振り回されているだけでも毎日楽しいけどね!」
「そりゃアンタはそうだろうよ」
「僕としては、出会いの話を聞きたいんだけれど――」
渡し返されたお茶を貰いながら、メルセはその言葉に顔を顰める。
「言うと思うか?」
「そんなに面白い話じゃない、って言いながらはぐらかしてるけどねえ」
トゥラエルはそれからようやく自分の茶を飲んだ。
「というより、たぶんあれは本当に自分達は面白い話じゃないと思っているタイプだよ」
「……はあん。そうかい」
「おそらくだけど、ほら、最初に魔王が言っていたことがあっただろう。最初に魔王の城にたどり着いた者の願いを叶える」
「ああ、あれか。……えっ、あれが本気だったと?」
ますます顔を顰めるメルセ。
「そうでもなきゃ、彼女が殺される事もなくいまなお配信が続いているわけがない。これは奇跡みたいなものだ。魔王サイドでさえ、彼女の行動は毒にも薬にもならないと思っているんだろう。でも彼女はなんらかの事情であの城に最初にたどり着き、配信をはじめたんだ。魔王も巻き込んで」
「……なんのために?」
「それはちょっとわからないけど……、きみだって、アーシャ・ルナベッタの正体にそろそろ気付いてるだろう?」
「正体って言うほどでもないがね。アンタだったら何か悟ってるんじゃないかい」
メルセは意味ありげにトゥラエルを睨む。
睨まれたトゥラエルは少しだけ口角をあげてから、息を吐いた。
「アーシャ・ルナベッタ。聞き覚えのある名前だったけど、最初は思い出せなかった。その理由がわかったのは、このアーシャという娘が、99番目の王位継承者だと思い出してからだね」
99番目なんてのは、王位継承権の証明書が届くギリギリだ。おまけに去年は101位だか102位だかで、毎年そのあたりをウロウロしている一般人。毎年、王位継承権の確認をしているトゥラエルでさえ、そういえばそんな名前あったな、ぐらいの感覚である。
そんな娘が魔王のところにいる。
魔王のところに居て人類に反逆、というのなればまだ理解もできる。自分が王になるために魔王に味方する、これもまた理解できる。だが、この娘がやっていることといえば、反逆どころか魔王軍がどの程度の情報を集めているのか報告してくれている。しかも全世界に向かってだ。
「アーシャ・ルナベッタは、アカデミーでは勇者の研究をしていた。これは彼女の父親もそうだった。研究者一家なんだ。彼女から見た祖母が研究者に嫁いで貴族から一般に下った。貴族といっても既に子爵まで下っていたから、もうほとんど血は薄い」
「ふん。そこまではこっちでもわかりきってるさ。だが、その後だ」
「……」
トゥラエルは少しだけお茶を飲んで、喉を湿らせる。
「彼女が勇者の研究者だったというところがポイントだ。彼女は『配信』という言葉を使っているだろう。それは、タイジュが残した資料にいくつか残っている言葉だ」
「……ああ、ええと、なんだっけ。タイジュがいうところの……」
「そう。彼の言葉で言うのならば――転生前の記憶、というやつだね」
「……」
タイジュ=クドーは、自分が転生した人間であると一部の人間に話したことがある。
かつては工藤大樹という人間だったのだと。その前世の知識とやらはかなり残っていたらしく、魔力を使って前世にあったものを再現し始めた。有用なものは受け容れた結果、今がある。魔力パネルだってそうだ。これも前世では実際にあった連絡用の機器を再現したものらしい。
「……転生という発想にはずいぶん助けられた気がしないかい」
「そんな言い方をするんじゃないよ」
メルセは少しだけ苦い顔をした。
「それはアタシ達が背負うべき業なんだ。タイジュがどう思っていたとしても」
「……わかった、話を戻そう」
首を振るトゥラエルに、メルセは思考を戻すように少しだけ頷いた。
「しかしまさかと思うが、そのためにだっていうのかい!?」
「僕だって、まさかとは思うよ。《配信》という行為を研究・再現するためにこんなことをしているなんてね」
肩を竦める。
一番信じがたい推測だが、それしか浮かばない。
「でも、配信を聞いたかい、メルセ。あんなに振り回されている魔王を聞いたのは、この二千年、いやその前からだって見たことない」
トゥラエルはいかにもおかしそうに笑っていた。
それは他の人間と変わらない。振り回されて怒り、狼狽し、それでもくだらないことに付き合わされている魔王という存在に対しての笑いだ。
しかしトゥラエルのその目は僅かに輝いていた。まるでほんの少しの希望を見つけたように。しかし反面、メルセはじっとりとした目でその様子を見ていた。
「期待を持つのはやめな、隠者」
メルセはどことなく遠い目でトゥラエルを見た。
「アンタだって、タイジュ=クドーにすべてを賭けただろう。そのタイジュですらダメだったんだ。実際に魔王は蘇ったじゃないか」
「……レディ・メルセ。それでも。……それでも」
トゥラエルは自分の魔力パネルに視線を向けた。
「魔王の心ですら、二千年前にとっくに折れてしまっているとしても。もしかしたら……」
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