族、エロ地区改どう?

北見崇史

族、エロ地区改どう?

 街金融の顧客管理というのは、実績のある取引先に対して更なる融資を強要する営業職だ。悪い言葉を使うと、{借金漬けにして骨の髄までしゃぶりつくす}のが、俺の部署となる。

 勤め始めて一年半になる金貸し会社は、いちおう違法ではない金融業であるが、じっさいにやっている業務はグレーであって、法律だけではなく倫理的にも道徳的にもスレスレを飛んでいる。いろいろと金にまつわる修羅場に立ち会わせてもらったが、それらが人生を豊かにする経験かと問われれば真逆であると答えるだろう。知らなくていい悲惨は、知る必要のない悲劇なんだ。


「おい、吉原」

 毎朝恒例の極体育会系ヤクザ的な気合入れ朝礼のあと、営業部長に呼び止められた。

「新規の申し込みがきてるんだ。山奥の温泉街で遠いんだけど、ちょっと行ってこいや」

「いや、でも俺は顧客管理で新規を扱ったことはないですけど」

 新規開拓は、新規専門の営業員がやる。仕事の手順が違うし顧客管理は新規用の書類を作成できないので、俺が行っても融資の話はまとまらない。 

「岡島も滝沢も忙しくてな。話を聞いて名刺を置いてくるだけでいいから」

 同業他社に取られないように唾だけはつけておけ、ということだ。

「ええーっと、客は温泉ホテルですか」

「それがハッキリしないんだ。いちおう温泉組合だっていうんだけどな、名簿にもないし、ググってもあやふやのしか出てこない。まあ、それとなく探ってこい。どうせ{とぶ}連中だからな。ムリそうだったらテキトーにやって、風呂にでも入ってから帰ってこいや」 

 うちの会社に連絡してくるぐらいだから、すでに借金まみれで銀行や信金からは相手にされていない客だろう。急ぐ必要もないと思いがちだが、もたもたしていると闇金融がつき刺さってしまう場合がある。あいつらがかき回すと、すぐに夜逃げや行方不明が続発する。生かさず殺さず全てを奪う、が金貸しの業のモットーなのに、みすみすもったいないことになってしまうんだ。

 その温泉街の名は知っているが、じっさいに訪れたことはない。山奥の隠れ家的な立地がウケて、一時期はにぎわっていたと聞いたことがある。けっこう遠くて、営業車で二時間くらいかかる。今日は残業になるかもしれないが、事務所で電話営業するよりはマシか。 

「吉原さん、知らないの。あそこはピンク温泉街だったんだよ」

 出がけに営業事務員が教えてくれた。彼女はなかなかの事情通であり、猥談でも平気で話してくる。さすが金貸し屋の事務姉さんで、どっしりと肝が据わっている。

 ピンク温泉街ということは、売春やそれに類した性行為が頻繁に行われていたのか。いまどきはデリヘルばかりなので珍しいと思ったが、交通の便が悪い山奥なので自前で用意していたのだろう。

「でも、やり過ぎて警察の手入れがあったみたいよ。それから過疎っちゃって、一部廃墟になっているって彼氏が言ってた」

 きっと彼氏は、その温泉街でピンクコンパニオン遊びをしたんだな。

「コンパニオンがババアで、金の無駄だったって」

 しかし、ピンクなサービスの質は良くなかったようだ。

 これはひょっとすると、客は風俗関係者となるか。ヤクザとも繋がりのある連中なので、融資の話がこじれると厄介だ。こちらは様子を窺いに行くだけだが、向こうはすぐにでも金を出せと言いそうだ、いや言ってくるだろう。

 担保物件や連帯保証人の査定をしてからだと説明すると、キレて絡んでくることがよくある。一人で営業するのは荷が重いが、部長の命令を断れるはずもなく行くしかない。営業車の燃料を満タンにしてから街を出た。



 国道を抜けてから田舎道に移り、さらに一車線もない山道を慎重に走っている。一部獣道みたいな個所もあって、本当にこの道で合っているのか不安になった。車のナビは正常に作動しているので、間違ってはいないはずだ。にぎわったこともあるらしいから、もっと整備されていてもいいはずなのだけれども、過疎になるとインフラ整備もままならなくなるようだ。

 結局、行程二時間の見積もりが三時間を超えてしまった。温泉街には、まだ着かない。いいかげん腹が減ってきたが山の中ではコンビニもない。イライラしながら運転していると、ガソリンスタンドの残骸だと思われる跡地の横に物置小屋みたいな店があった。カップ麺かパンぐらいはあるだろうと立ち寄ってみる。 

「いらっしゃい」

「うわっ」となった。

 水着姿の女が出てきた。なんというか、露出度が高めでかなり煽情的なビキニである。乳首の部分はかろうじて隠されているが、下のほうはほとんどヒモであり、少しばかり陰毛が出ていた。

「お客さん、今日は暑いねえ」

 すごく問題なのは、店主とおぼしきそのビキニ女性が、中年真っただ中のおばさんだということだ。田舎で田畑を見回っている農家の主婦そのまんまで、色気を発揮していい年齢と体形ではない。樽のような体は、全体的に贅肉がつきすぎてだらしなく、特にヘソの上と下の肉に皺が寄っているのが醜かった。二の腕と太ももの脂肪がたれ下がっていて、まるでタコ足の膜みたいだ。いろいろと間違っているぞ、と注意したかった。

 店主はニコニコと笑顔を振りまくが、俺とは微妙に目を合わさない。ブヨブヨとした体を抱くようにして両腕を回し、さらに身をよじりってポーズをとっているが、いかにもな羞恥心が見え隠れしている。言い訳するように壁を指さした。

「ほら、いまこれやってるから」  

{乗腰温泉エロ地区改強化月間}と記されたポスターがあった。上半身裸の若い女がピースサインしている。ネットで拾ったエロ画像を勝手に使ったのだろうな。いかにも素人が作りましたって感じが漂っていた。

 乗腰温泉は、これから俺が営業に行こうとしている場所だ。すでにその地域に入っているのは朗報だが、遭遇したくない生物を見てしまったのは悲報である。微妙な空気に戸惑っているのか、ビキニおばさんがモジモジしている。

「うちの店も加盟してるから、ほら、やっぱり協力しないとね、なにかとマズいでしょ」

 エロ地区改強化月間なるものに興味があったが、この豚ビキニのおばさんに訊くのはやめておこう。 

「ええーっと素晴らしいですよ、そのビキニ」

 かわりに、心にもない事実とはまったく異なるお世辞を言ってしまった。閻魔様に舌を抜かれてしまうなと、営業マンの習性に我ながら辟易してしまう。

「まあ、歳のわりには悪くないでしょう」

 あくまでも社交辞令で言っただけなのだが、あんがいと本気にしている。ランウエイを歩くファッションモデルのように、クルッと一回転して両手を広げた。おばさんの満面の笑顔が俺の背骨をぶっ叩いて、立ちくらみがした。この光景は記憶のアーカイブに残してはいけないと本能が警告を発している。気分を切り替えて訊いてみた。

「乗腰温泉に行きたいのですけど、もうちょっとですかね」

「店の前の一本道を行けばいいよ。二分も走ったら橋が架かってるから、渡ればそこが乗腰温泉だから」

 ビキニおばさんの脇腹の皮膚がぼつぼつと赤く腫れていた。あせもにしては症状が重いような気がする。帯状疱疹だろうか。痒いのか、ニコニコしながらしきりに搔いていた。

 その店ではコーラと菓子パンを買った。お釣りを手渡される際に、手製おにぎりを一つサービスでくれた。車に戻って食べてみる。中の具材はタクワンのみじん切りで一瞬ガッカリしたが、塩加減が絶妙であってプチプチして美味かった。

 食事を終えてから車で数分進むと、ビキニおばさんの言った通り橋があった。山間の上流域なので渓谷みたいに深い。橋の上からは、けっこうな高さがあった。流れの速い渓流に大きな岩がごろごろしている。

 そこを渡りきると乗腰温泉があった。切り立った崖というか山を背景に、その下にへばり付くように建物群が続いている。右側は川なので左側が温泉街だ。適当な空き地に車を停めて、外へ出て眺めてみた。

「さびれてるなあ」

 温泉宿が数軒つらなり、それらの間に土産物屋や食堂らしき店があるのだが、どこもシャッターが閉まっている。この温泉街は全体的にくすんだ灰色であり、明るさがまったくない。ピンク温泉街だったのなら、せめて色づかいは派手にキメてほしいところだ。

 パパラ、パパラ、パパパー、ブフォーーン、ブフォーーン。

「うわっ、なんだ」

 突然、派手な爆音が響いてきた。どこかで聞いたことがあるが、良識ある市民ならば近づきたくはないだろう。

「おー」と、思わず唸ってしまった。

 おかしなバイクが一台、ゆっくりとやってくる。ヘッドライトがお玉を立てたようにデーンと天に突き出していて、ライトからエンジンへとカウルが続いているのだが、目に沁みるほどの派出な模様なんだ。リヤシートには年寄りでも背筋が伸びるような長い背もたれが屹立している。マフラーが短く切られていて、そこから爆音が吐き出されていた。

 これは、いわゆる暴走族のバイクだ。乗っているのは若い女である。ヘルメットをしておらず、顔は日本人だが金髪がまぶしかった。服装はピンクのツナギだ。難しい漢字が刺繍されているが読むのはやめておこう。

 女がエンジンを切ると、その場が瞬時に静まった。族バイクの存在感、恐るべしである。

「金貸しの人?」 

 バイクから女が降りて、俺の前に来た。背はそれほど高くない。前時代的な化粧がけばけばしいが、意外にも美形なのはヤンキー女あるあるだな。

「ええーっと、乗腰温泉組合の方ですか」

 この族女が客であるとわかった。俺を見てすぐに金貸しと言ったからだ。

「ちょい待ってて。いま名刺だすから」

 内ポケットに収まっている名刺を取り出すためか、ピンクツナギのファスナーをヘソのあたりまで下げた。族のレディースといえば、胸に巻く真っ白なサラシが定番のような気がするが、なんと彼女に下着は存在しなかった。だから胸が丸見えであり、形よくやや大ぶりなお椀が、そのピンクの突起まで含めて露わになった。

 あきらかに丸見えなのだが、族女は気にしていない。内ポケットが下のほうにあるのか、ファスナーが限界まで下がり陰部まで見えてしまった。さっきのおばさんはボーボーと毛深かったが、こっちは無毛でツルツルだった。少女の匂いがする。

「はいこれ」といって、やはりピンク色な名刺を差し出してきた。人肌のぬくもりがあって、思わず匂いを嗅ぎたい衝動にかられたが、そこはぐっと抑えた。

 名刺には乗腰温泉組合理事長という肩書のあとに、丹前舞子とあった。

「ええーっと、たんぜん、さん。たんぜん理事長さん」

 めずらしい苗字なので、正しい読みになっているか若干の不安があった。

「マイでいいよ。ダチはそう呼んでっから。あんたの名刺もちょうだいよ。もっと見せようか」と言って、ツナギの開口部をさらにひろげた。

 念のために言うが、裸を見たくて名刺を渡していないのではない。たんに面食らって忘れていただけだ。

「いや、まあ、いまは仕事中なので」

 我ながら間抜けなリアクションだとは思った。

「いまさあ、うちの温泉街のイベント中なんよ。エロいことで盛り上げよー、ってやってんだ」

「エロ地区改強化月間、でしたっけ」

「あんた、なんで知ってんの。スパイか、スパイ」

「来る途中で、ポスターを見かけたから」

 自分の名刺を差し出した。胸と陰部を露出した族女がひったくった。たいした情報が記載されているわけでもないが、穴があくほど見つめていた。 

「あたしさあ、カラダに自信はあるんだけど、あんまエロくないって言われんのさ。ねえ、どうよ」と言って胸を張った。

 女性の裸を、その本人を目の前にして客観的に評価するにしても、お互いの人間関係がまったく醸成されていない。返答に困ってしまう。

「陽菜の乳がめっちゃエロいって、ヤロウどもに人気なのさ。あたしに言わせればたれてんだけど、そこがエッチだっていうんだよ。ただのババアじゃん」

 陽菜なる人物が誰なのかの説明はないが、そういう見方もわかる。

 このマイという名の族女、胸がきれいすぎるんだ。エロという感情を湧き出させるには、多少の疲労感っていうか、生活臭さがあったほうがいい。もしくはそれらを吹き飛ばすような官能美で誘わなければならない。中途半端に整ってしまっているし、開けっぴろげすぎる。

 いやいや、俺はなにを考えているんだ。ここには仕事をするために来たのであって、初対面の女性と猥談をしている場合ではない。

「陽菜、呼んでやっか。たれてっからさあ、ちょっともんでみればいいんだ」

 たれた胸をじかに確認しても、あまり得るものはない。業務に集中したいと思う。

「融資の件を訊きたいのですが」

「ああ、そうだったね。じゃあ、事務所に来てよ。お金の話をするから」

 ピンクツナギの文字を読みながら彼女の後につい歩いた。左側にある煤けた温泉施設をチラ見しながら、どういう流れで話そうかと考えていた。

「うちの温泉街、五年くらい前までは繁盛してたんだけど、いまはさあ、すっごいサビれてんのよ」

 乗腰温泉組合の事務所は、工事現場の詰め所にあるような簡易的な二階建てのプレハブだった。

「じいちゃんがさあ、サツにパクられてからこのザマでさ。まあ、やりすぎちゃったんだよねえ。もとが馬喰(ばくろう)でさあ、人の話を聞かねえっつううか、突っ走り過ぎる人っていうか」

 マイの説明によると、前理事長であった彼女の祖父が独自のピンク温泉街という営業形態を考案して、乗腰温泉を活気づけた。しかし度を越えてしまい、風営法違反やら売春行為やらで警察の手入れに遭い逮捕されてしまった。どこかで競走馬の売買をして儲けていたらしく、その資金でエロくてピンク趣向な温泉街をプロデュースしたとのことだ。

「そんで、あたしが引き継いだんだ」

 今現在は、マイが乗腰温泉組合の理事長を継いでいる。両親についての言及はなかった。

「ま、でもさ、ふつうにやってもこんな山の中に客なんて来ないわけよ。ショボイのは来るけど、金になんねえし。やっぱ大儲けするにはエロでしょう、つうことで、じいちゃん路線を改良してさ、盛り上げていこうとしているわけさ」

 それで資金的な需要が発生して、うちの会社に連絡してきたわけだ。

「こんどはサツに目えつけられねえように、売春とかはナシにしてんだ。だけどエロくねえと男どもが来ねえからさあ。多少はやるわけよ」  

 ただし、以前のようにやっては逮捕されてしまうので、軽めなエロ演出でやっていくらしい。

「いちおう、ケツ持ちとは話がついてるし、ちょっと変わったエロい企画も考えてんのよ。ただ銭がなくてさあ、いろいろ物入りなんだよ。だから」

 うちが貸し出す限度額を要求された。借主は乗腰温泉組合ではなくて、マイ個人になりそうだ。はたして、この二十歳そこそこの女の子にその額を担保する物件があるのだろうか。

「マイさんは不動産とか所有していますか」

 たとえ土地建物があっても、この山奥の寂れた温泉街では資産価値などないだろうし、あってもどうせ抵当だらけだろうな。

「ねえわ。じいちゃんの馬なら一匹いるけど。とし食っててさあ、ガリガリなんだ」

 競走馬なら価値がありそうだが駄馬ではどうしようもない。

「保証人を付けてもらうことになりますが」

 連帯保証人を取るのがうちのメインだ。不動産担保よりも回収しやすい。そのかわり、第三者を巻き込んでしまうので、客の人間関係が取り返しのつかないほど破滅的なことになる。金を借りた本人ではなく、連帯保証人となった者が首を吊ることもままある。

「ダチならけっこういるから、大丈夫じゃね」

 金融屋にとって、連帯保証人は誰でもいいというわけではない。おもな回収先となるので資産を持っている人物が望ましい。族仲間などは論外だ。前科はあっても金はないだろう。

「いちおう、保証人は身内の方にもなってもらうことになりますけど」

「身内って、バカ兄貴しかいねえけど」

 第三者とは別に身内を連帯保証人にするのは、不動産を分けている場合があるからだ。金貸しは逃げ得をさせない。

「あと、じいちゃんは刑務所だし」

 受刑者はどうにもならない。保証人としては死人に次いで価値なしだ。

 これは新規担当が来るまでもないかな。この若い暴走族に融資は無理だろう。残念ながら、ということをそれとなく匂わせておこうか。あんまり期待されると断った際の逆ギレが厄介だからな。

「まあ融資のことは、そんな急いでねえから。とにかくさあ、あたしの考えた乗腰温泉エロ地区改強化月間をちょっと見ていってよ」

 空気を察したのか話題を変えられてしまった。意外と機転が利くぞ、この族女。

「いや、仕事で来ているので、それはちょっと」

「ちょっとぐらいだったらいいじゃん。体験していきなよ。安くしとくからさ」 

 エロいことは嫌いではない。たいていの男と同様、いや彼ら以上に好きだと言っておこう。半年前に別れてしまったので彼女はいないし、風俗も嫌いではないので、ちょっと覗いていきたいとのスケベ心がムクムクと大きくなってきた。ひょっとして、儲けの大発見があって融資話につながるかもしれないからな。これは仕事だと割り切ろう。

「ええっと、どんな感じなのかな。そのう、強化月間の内容は」

「乗腰温泉エロ地区のツアーだよ。じいちゃんもやっていたけど、あたしのは、その改良版ね」

 エロいツアーということだ。温泉と風俗を合体させた斬新な企画だと、マイは自信ありげに胸を張って露出させた。

「吉原さんは、特別にあたしがコースを案内してあげるよ」

 ツアー企画者がガイドをしてくれるそうだ。断る理由はない。さっそく、マイと一緒に事務所を出た。

「ケツに乗りなよ」 

 族バイクの後部に乗った。背もたれがいい具合で、見た目は無茶苦茶だが実用性があるのは発見だな。

「ほら、最初はここ」

 灰色の建物の前に止まった。そこは映画館だという。それらしい看板はないが、真ん中に出入り口のドアがあった。つぶれかけのスナックみたい感じだ。

「まだお日様が高いからさあ、本格的なお楽しみは夜になってからのほうがいいっしょ。その前に」エロい映画をみて欲情を高めておく、という趣向みたいだ。

 マイに手をつかまれて映画館へと連れていかれた。ドア横に小窓があって、そこでチケットを買うシステムである。  

「四千円」と、小窓の向こうから不愛想に言われた。

「たかっ」映画にしては高いと思った。

「エロ映画を映画館でみられるっから、お得でしょ。しかもさあ、二本立てなんだよ」

 昔はエロ映画を映画館でみられたらしいが、いまは聞いたことがないな。たしかに珍しい体験には違いない。

 チケットには{新ポッパ国王と乳首}・{がんべたかり}と、タイトルが手書きで記されていた。それらのエロ映画がどのような内容なのか、題名からはまったく想像できない。

「終わったころに迎えに来るから」

 マイは随伴しない。山奥の温泉街に爆音を響かせながら行ってしまった。

 映画館の中は狭く、ほんとにスナックほどの広さしかなかった。パイプ椅子が五つあり雑に並んでいた。真ん中に座り上映を待っている。カップ麺の匂いがするなと思っていたら、唐突に照明が落ちた。エロ映画の始まりである。そして、三時間ほどが経過した。

 結論からいうと、{新ポッパ国王と乳首}はおもしろかった。

 東欧か、その辺の映画だろう。愚鈍で優柔不断なポッパ国王が、最後の最後に見せた漢気と自己犠牲が涙を誘った。たしかにエロくはあったが、それ以上に物語としての出来が良かった。もう一度みたいくらいである。

 対して、{がんべたかり}は酷い内容だった。

 全身が腫瘍だらけの男を、全裸の女が自慰行為しながら切り刻むというだけの悪趣味なストーリーだった。スプラッターの描写が緻密でリアリティーがあり、特に内臓をかき回すシーンには吐きそうになった。ただただグロテスクであって、あれがエロい映画なのかと問われれば否と答えたい。ただし、凶器を振り回す全裸女の演技は秀逸だった。

 照明が消えた時と同様、唐突に明るくなって上映が終了となった。

「終わりだよ。面白かったでしょ」

 映画館の係員がやってきた。痩せすぎた中年の女性であり、なぜかヒモビキニ姿だった。冬の枯れ木に布が引っ掛かっているようで痛々しく見えた。

「ほら、いまうちの温泉、これやっているから」と、壁に貼られているポスターを指さした。この光景、ちょっと前にもあったな。気恥ずかしいのか口元に手を当てている。いや、隠すならもっと下にしろと言いたかった。

「お兄さん、エロいのみたから良かったねえ。ほら、もう行って」追い立てられるように外へ出されてしまった。

 余韻もクソもあったもんじゃないな。ツアーは始まったばかりなので、これで終わりというわけではあるまい。映画に四千円も取られて、得たものが枯れ木ビキニのおばさんの半裸体では割に合わない。次を期待してマイを待っていると、爆音を響かせながらバイクがやってきた。

「どう?おもしろかったでしょ」

 相変わらず、ツナギの前は開けっぴろげだ。映画の感想はテキトーに流した。

「次はねえ、混浴温泉だから。すんごいのが背中流してくれっから」

 風俗店に入る前の期待感が出てきた。とくに混浴というワードには反応してしまう。男とは哀しい生き物だな。

「乗りなよ」

 マイのバイクに跨った。背もたれによしかかっていると、つんのめるようにして停止した。乗車時間は一分もない。

「今夜はここで一泊だから」

 日帰りの予定なのだが、せっかくのエロいツアーを中途半端で退場したくない。会社に戻って報告しないと部長にどやされてしまうが、メールをしておくことにする。直接電話をかけると帰ってこいコールがかかるからな。

 温泉街のホテルにしてはみすぼらしく、温泉旅館にしては少し無骨な造りの宿に入った。

「二万円にまけておくわ」

 高いような気がしたが、これからのサービスを想像すると安いかもしれない宿泊料金である。現金が足りないのでカードで支払った。いや、まてよ。ツアーといいつつ、いちいち金をふんだくられるのも災難だぞ。

「この部屋にいるよ。ネットで有名な女の子が背中を流してくれっから」

 この際、金のことは目をつむろう。マイからは、あとで力の限りむしり取る。金貸しの営業力を思い知らせてやるんだ。

「じゃあ、楽しんでよ」

 マイとは廊下で別れた。二呼吸ほどおいて、軽くノックしてから部屋へ入る。すると、浴衣を着た女が正座して出迎えてくれた。 

「いらっしゃいませ」

 なるほど、きれいな人だ。マイよりは年上で二十五ぐらいだろう。髪が長くうりざね顔であり、和室に合う和風な美人である。ただし、ネットで有名っていうのがわからない。芸能人やモデルではなさそうだし、動画配信者だろうか。

「では、お風呂に入りましょうか」

 この部屋には客室専用の露店風呂がある。高い旅館では定番の設備だが体験するのは初めてだ。温泉宿の大浴場とはいかないが、混浴ならば狭いほうが捗ることもあるだろう。割引して二万円の価値を存分に楽しみたい。

「ここはそのう、本番とかアリなのか」

 服を脱ぎながら訊いてみた。浴衣美人は裸になりつつある俺を見ている。この手のことを確認しておかないと、後々揉めることになるからな。

「以前はそうでしたけど、いまは新しい理事長の方針でご法度となりました。エロい雰囲気を味わう秘湯の温泉、というのがコンセプトらしいですよ」と言ってニコリとした。

 あきらかな売春行為をやると、また警察の手入れを呼び込んでしまう。裸を見せる程度で客から金を取れればいい。リスクを最小限にして利益を貪ろうとする魂胆だが、はたしてうまくいくのかな。

「お背中を流しますので、先に入っててくださいな」

「一緒に来ないのかい」

「お楽しみは後からのほうがよろしいかと」

 自信があるような言い方だった。手慣れている印象がある。そういう流儀なのかと納得して先に行くことにした。

 部屋の露天風呂は、当然ながらこじんまりとしていた。温泉を通す配管類がむき出しで、家庭で使うような安物の発砲マットが敷いてあり、旅館としては貧乏くさい印象だ。浴槽はヒノキらしき木材だが、触ってみると水垢でツルツル滑る。用心しながら足のつま先を入れて、そうっと全身を沈めた。お湯の温度が高すぎて、すぐにゆでタコ状態になってしまった。

 ただし、露天風呂からの景色はよかった。早々に湯船から出て、使い込まれたまな板みたいな椅子にちょこんと座り、渓流のせせらぎを聴いていた。山間の森の中でヒグラシが鳴いていて、なんとも風流である。

 背後に人の気配が近づいてきた。いよいよ女がきたか。振り向こうとする前に背中へ感触がきた。ざらざらというか、凸凹みたいのが表面をなでる。ツボを刺激する道具でも使っているのだろうか。だとしたら効果が弱く微妙だな。

「どうですか、お客さん」

「なんか、こそばい感じですよ。ちょっと物足りないかな」

「では、騎乗位でしますか」

「それはうれしいけど、ダメなんだろう」

 そういう行為は禁止となっている。マイ理事長の方針だ。

「わたしは、かまわないですよ。なんでも受け入れますので」

 そうだろうと思ったんだ。本番禁止の風俗でも、交渉次第でなんとかなる場合もある。口止め料と追加のサービス料次第だ。

「いくら払えばいいかな」

 もう一万くらいだろう。いや、もっと高いか。

「お金はいりませんよ。わたしで楽しんでいただければ、それでいいのです」

 そう言って、俺の背中に抱き着いてきた。女の柔らかさは久しぶりなんだけど、何かが違うんだ。さっきのザラ付き感が増している。あきらかな違和感があり、失礼だと思いつつ鳥肌を立ててしまった。

「昔、ネットで有名だったんですよ、わたし」

 グイグイと胸を押し付けてくるが、性的な気持ち良さがまったくない。かえって逆の感触にゾワゾワとする。

「いや、ちょっと待って」

 女から体を離したのは本能だった。つんのめるようにして四つん這いで進み、あらためて振り返った。

「・・・、あ、」

 絶対に存在しえないであろうモノに直面すると、考える軸線がこんがらがってしまい、言葉が詰まってしまうことがある。俗にいう脳がバグるという現象だ。

「わたし、ネットで有名なハス女なのですよ」ほらほらと、素っ裸の女が両手両足を広げてアピールしていた。

 ブツブツだった。

 女の体にたくさんの穴が開いていた。それらは二の腕や太もも、乳房に集中していた。一つ一つは大きなホクロぐらいの大きさだが、多数が密集しているので、ひどく気色が悪い。

「ギャッ」となった。

 鳥肌が鮫肌に変わり、さらに蕁麻疹みたいな突起だらけとなった。集合恐怖症ではないが、この穴だらけの女の体には戦慄せざるを得ない。見ているだけでパニックになりそうだ。

 これはなんだ、皮膚病なのか。どうやって皮膚が穴だらけになったんだ。こんなカエルがいたな。背中にある穴ぼこにオタマジャクシを入れて子守をするやつだ。

「ハス女なので、ハスの実ですよ。ネットで有名だったでしょう」 

 ハス女は知っている。ネット上で一時期、ハスのブツブツとした種子を人の体に埋め込んだコラージュ画像が出回ったことがあった。集合恐怖症を煽ったミームであったが、あれはあくまでも合成画像であって、穴だらけの人間など存在しているはずがない。実在することのないただのフェイクなんだ。

「ハス女なので、こうすると実があるんですよ」

 女がブルンブルンとその身を震わせた。胸から太ももまで、ブツブツと穴だらけの肉体が妖しく揺れた。

「うわっ」

 すると、穴の中に種子らしき粒が現れたではないか。

「わたしのこれって種だと思うでしょう。でも違うのです」

 女がググっと近づいてきた。数十センチの距離しかなく、彼女のすべてが見える。無数の穴から吐息を吹きかけられているような錯覚をおぼえた。ゾワゾワと産毛が逆立った。

「動いてる、動いてるぞっ」

 穴の中にある黒い粒が蠢いているではないか。種だと思っていたが、よく見ると尖っていた。粒ではなく嘴みたいな形状だ。

 これは知っている。驚愕の事実に気づいてしまい、思わず口に出してしまった。 

「フジツボだ」

 その途端、女が抱き着いてきた。俺の首に両腕を巻き付け、胸から下の陰部までを、イヤになるほど押し付けてきた。

「おおおー」

 女体の柔らかさもあったが、それよりもチクチクとした感触のほうがよっぽど気にかかった。たくさんの穴の中にある豆粒ほどの嘴が俺の全身を突いている。快楽などではけっしてないが、ある種の心地よい刺激があった。

「ね、すごく気持ちいでしょう」

 この女と交わってはいけない。だけど、抗いがたい気持ちがあるのはなぜだろうか。

「いや、違う」

 ハス女から離れようとするが、ガッチリと抱き着いているので容易にはいかない。押し返そうとすればするほど、逆の力で締め付けてくる。アマガミのようで心地よかった嘴の突きが確固たる痛みに変わってきた。皮膚に突き刺さるを通り越して抉っているんだ。

「うわー、は、離せ」

 ジタバタと暴れてみるが、ハス女の桎梏が強烈だ。「わたし、すごくいいでしょう」と耳元で囁きながら数百キロ単位の力で締め付けてくる。どうしても解けない。刺すような痛みが、すでに激痛の域に達していた。

「があああああ」

 抱き着かれたままだが、どうにか立ち上がることができた。全裸のハス女を抱きかかえたまま風呂場を出て、部屋を突っ切って廊下を走った。駅弁なんとかの体勢であり、端から見ればエロいのであるが、俺自身は死ぬほど恐慌状態になっている。

「本番、よろしいですよ」ハス女のお誘いが止まらない。

「くっ」

 くっ付いたまま走っているので、ゆっさゆっさと女の体が揺れる。すると局部同士が擦れ合うのだが、硬く鋭い感触が先っぽに当たって絶望する。俺の神聖不可侵な部分を、小さな嘴たちがガリガリと削っているんだ。

「んごーーー」

 走った。とにかく廊下を進み、階段があったので迷わず駆け上がった。ハス女とは密着したままであって、どう足掻いても外れる気がしなかった。この建物、こんなに階があったかと思ったとき時、つま先が段のへりに引っ掛かってバランスを崩した。なんとか前へと頑張ったが、結果は逆方向に倒れてしまった。それからは覚えていない。気づけば、あの族女が俺を見下げていた。

「ようやく目覚めたかよ」

 ハッとして起き上がった。どこかの和室で布団に寝かされている。入浴したままの状態で走ったから裸だったはずだが、浴衣を着ていた。いや、着せられたんだな。

「ハス女と一緒に階段から落っこちたんだよ。覚えてるっしょ」

 覚えている。体中が痛いが骨折などはしていないようだ。俺はいいとして、あの女はどうなったんだ。

「あれはもうダメさ。ブツブツを作るのに、けっこうお金がかかったんだけど、もう使いものになんないさ。廃棄処分」

 階段から転がり落ちて、ハスの実のような、フジツボのような穴が壊れてしまったとのことだ。最後の言葉が気になったが、あえて訊く勇気はなかった。

「彼女は、そのう、あれは、なんだったんだ」

「ネットで有名なハス女だよ。あのブツブツがたまんないってお客がいるんだよ。明日も予約が入ってたのに大損だよ、ったく」

 マイは損害の金を要求するわけでもなく、淡々と愚痴を言っていた。ハス女がどうなったのかは知らないが、すごく申し訳ない気分になった。

「そのう、すまない。壊すつもりはなかったんだ」

 相変わらず、ピンクのツナギは前面がおっぴろげだった。乳首も陰部も丸見えだが、エロさを感じられない。 

「べつにいいよ。あたし、嫌いだったから。商売だから仕方なくやらせてたんよ」

 発案者といえども、やはりあのブツブツは気色悪いのだな。

「あいつさあ、ダメだって言ってんのに本番やるからさあ。せっかくブツブツにしてやったのに」

 そっちかよ。ブツブツは嫌いじゃないんだ。

「メシ食いなよ。用意してっから」

「あ、ああ」

 窓の外を見ると、すでに暗くなっていた。温泉宿の食事は楽しみなのだが、疲れきってしまい気分がのらない。でも、腹はへっているので頂くことにする。

「コンパニオン呼んでっから。ピンクコンパニオンだよ」

 それを喜んでいいのかは微妙なところだ。さっきの女を考えると、ここの人選には大きな問題があるように思える。改良したエロ地区の解釈が独自すぎて辛い。

 マイに連れられて、夕食の支度がしてある部屋へと向かった。途中、歩きながら体を検分した。胸から太ももにかけて無数の傷がついていた。ハス女の嘴に突かれたためだ。一番大事なところがどうなっているのか気になるが、見るのが怖くて躊躇ってしまった。 

「そこは大丈夫だよ。なんにもなってないから」

 ということは、すでに確認済みということなのか。

「チンポの皮がえぐられて血だらけになってる客もいたっけ。まあ、そういうのがいいらしんだよ。ヘンタイだよね。あたしは痛いのはイヤだけどもさ」

 俺もイヤだ。なにが悲しくて気持ちの良いことを想定しながら苦痛を受けなければならないんだ。倒錯しているのにもほどがあるぞ。

「ほら、ここよ。新人だから、やさしくしてやってね。サービス料は後からもらうから」

 また金をとられるのか。こいつ、金融屋よりもがめついな。料金を訊くと一万円だという。あとでカード払いとなった。

「じゃあ、楽しんでね」

 マイが行ってしまった。ふーと息を吐き出してから部屋の引き戸を開けて中へと入った。和室に一人分のお膳が用意してあり、その横に女らしきモノが、ちょこんと正座していた。

「いらっしゃいまし」と言う。

「ああーっと、コンパニオンのかた?」と問うてみた。

 コンパニオンではなくミイラかと思ったからだ。足のつま先から顔まで、包帯でグルグル巻きになっていた。素肌に直接施されているようで、服は着ていない。血液ではないが薄い桃色の体液が滲み出ていて、小汚いシミとなっている。これがコンパニオンというなら、たしかにピンクコンパニオンだ。

「亜美です」と名乗った。

 当然だが、ちっともエロくない。逆に痛々しさと薄気味悪さに溢れている。顔は目なし帽をかぶった強盗のようであり、充血した目玉がギョロリとしていた。十二分にホラーだ。ブツブツの穴だらけ女に抱き着かれた後だから耐性ができたのか、鳥肌が立つような生理現象は起こらなかった。ただ、どうしても医学的な観点から見てしまう。

「大怪我をしたのか」

「ヤケドです。全身が焼け爛れてしまいました」

 そんな状態で仕事をするなと説教したいが、どうせ差し迫った事情があるのだろう。

「借金で首が回らないんです。働かないといけないんです」

 金貸しの営業をしていると、毎日のように聞く言葉だ。俺の給料は、彼女たちの苦悶から絞り出される。

「お父さんが製材所に火をつけて自殺したんです。ネズミも死にました。私は死に切れませんでした。マイさんに稼げって言われて働いているんです。ネズミはどうしてるんでしょうか」

「製材所?」と聞いて思い当たるフシがあって、「ネズミ」でハッとした。

 俺はこの女を知っている。営業先の社長の娘ではないか。零細な製材所を経営していて、うちの会社から融資額の上限いっぱいまで借りていた。たしか手形が落ちなくて不渡りを出したはずだ。そうすると即倒産である。自己破産ですむならいくらかマシだが、たいていは連帯保証人を巻き込んでの、すったもんだの大騒動になる。それは当人たちにとっては悲惨に尽きるドラマだ。自殺者が出ることもある。 

「お料理お食べになりますか。おいしそうですよ。私は食べていません。ネズミがお肉をかじりましたから」

 娘もサラ金からの借金だらけだったが連帯保証人にした。不動産の筆を分けていたので、取りっぱぐれがないようにがんじがらめにしたんだ。

「お酒をどうぞ」

 お酌をしようとするミイラ女から生ゴミのような臭いがしてくる。どのくらいの期間、包帯を取り替えていないのだろうか。

「私、晴れてピンクコンパニオンになりましたよ」

 連帯保証人の書類へ署名・捺印をさせる説明を社長にしていた際、台所で料理をしていた娘が、ネズミにバラ肉を齧られたと騒いでいた。来客である俺に向かって、わざわざ肉を見せにきた。この女、連帯保証人の意味もわからないバカなのかと思ったが、声をかけると素早く座って黙々とペンを走らせた。まるで印刷しているかのようなきれいな楷書で署名した。これから自分が辿るであろう運命を十分に知っていて、あのような行動をしていたんだ。

「私、踊りますよ。ピンクコンパニオンは踊るのです」

 ミイラ女が立ち上がり、俺の前に来た。日本舞踊を嗜んでいたと言い、踊り始めた。

 本物を見たことはないが、いま目の前で体を揺らしている包帯女のそれは違うと思う。伝統的な舞踊というより、どちらかというと地下アイドルの素人ダンスに近い。

「私が脱ぎますよ。ネズミもビックリなのです」

 ネズミの話はもうたくさんだ。それに脱ぐといったって、そもそも服など着ていないじゃないか。まさかその汚い包帯を解くのか。滲みだした体液でびしょびしょに濡れた布切れを、よりにもよって客の前で剥ぎ取るというのか。

「そうです、ほどきますよ。♪ ちゃらららら~ん ♪」

「うわっ、くっせ」

 ぶわっと、キツメの臭いが鼻を突いた。真夏の生ゴミに香ばしさを足したような悪臭だ。ミイラ女は下腹の包帯をとってヘソを出していた。生乾きでじくじくと湿っているヤケド痕が見るからに痛々しかった。下手くそな地下アイドルダンスは相変わらずだ。

「こうやって、こうするんです。痛いけど、借金があるから我慢なのですよ。包帯と癒着しているので、すっごく痛いのですけど」

 徐々に包帯を剥ぎ取っていた。止めようとしているうちに胸まで露出させたが、貧弱な盛り上がりが赤く爛れている。香ばしい生ゴミ臭が、さらにキツくなった。

「もういい、止めろ。いいかげんにしろっ」

 強い口調で言ってやった。もし応じなければ力づくても止めさせようと思った。するとピンクコンパニオンが黙ったまま突っ立って、俺を見ていた。

 包帯で巻かれているので、ミイラ女の表情が読めない。俺の制止に対して憤慨しているのか、落胆いているのか、困惑しているのかはわからなかった。たしか、けっこうな美人だったと記憶している。

 ミイラ女が部屋を出ていった。やはり怒ってしまったようだ。ピンクコンパニオンなどいないほうがゆっくりメシを食えると安心していたら、ダーッと引き戸を開けて彼女が戻ってきた。

「これにサインしたので、私は踊らなければいけないのです」

 生臭い息を吹きかけながら差し出してきたのは、乗腰温泉組合との契約書だった。印刷されたような楷書の署名があった

「♪チャラン~チャラン~♪」と、うすら寒いBGMを口ずさみながら踊っている。すでに、体に巻かれていた包帯の大部分が解けていた。予想した通り、いや想像以上の重傷であり、しかもほとんど治癒していない。全体的に赤くベロベロしていて、直視したくない光景だった。 

「ほらほら、ちゃんと書いたのだから」と言って、今度は違う紙を差し出してきた。

 それは俺が書かせた連帯保証人の契約書だった。彼女がこのような姿になり、この温泉街で働かざるを得ない状況に落とし込んだ元凶である。

「本番、やりますか。エロ地区改強化月間中なので、お安くしときますよ」

 そう言って抱き着いてきた。いままで接触したどの女よりもヌルヌルしていて、その感触はたしかにエロいのだが、体臭が強烈すぎて鼻の粘膜に絡みついてくる。強いワキガも混じっていて、息をするのが大変だ。 

「借金かえしますよ。借金、借金」

 ミイラ女が顔の包帯を解いた。炎にあぶられて引きつった痩せ顔を寄せてくる。キスを求めているのだとわかって絶望した。さらに彼女の頬が俺の頬をこする。すりすりしているうちに、ヤケド痕に滲み出ていた汁が泡立って糸を引いてきた。

 さっきのハス女といい、どうしてここの女たちはヤりたがるんだ。金か。もちろんそうだろう。なにせ借金のために働かせられているんだからな。

「熱い熱い。ねえねえ、熱いよ。私が熱いのです。ほらほら」

 女がひどく熱かった。人の体温ではない。体から熱を発しているようだ。まるでストーブではないか。本気で熱いぞ。俺が焼けてしまう。

「うわあ」

 逃げた。抱き着いて離れようとしない女を蹴飛ばして部屋を出て走った。なんなんだ、ここは。異常な女ばかりではないか。

「借金」と叫びながら女が追いかけてくる。少しばかり残っていた包帯がメラメラと燃えていた。

「しゃしゃしゃ借っ金、しゃしゃ借金、借金借金、シャシャシャシャ」

 よほどトラウマとなっているのか、俺に対するあてつけなのか、「借金」を連呼しながら追いかけてくる。なぜかラップ調になっているのが、かえって不気味だ。

「ちくしょう」

 架空の化け物に追われる夢なら経験がある。汗びっしょりになってとび起きたが、これは現実の中での遭遇だ。目覚める先がなく、どこへ逃げていいのかわからない。俺のケツに火を付けているのは燃えている借金女だ。おぞましく歌いながら迫ってくる。

 左側にドアが少しだけ開いている部屋があった。ためらうことなくとび込んで、転げるように入った。あの女もやってくるだろうと身構えたが、火だるまになった人影が金切り声を張り上げながら真っすぐ突っ走っていった。

 その部屋は窓のない十畳の和室だった。真ん中に布団が一つ敷いてあって、赤っぽい裸の電球が一つ天井からぶら下がっていた。いかにも妖しい感じがする。

「添い寝女ですう。指名していただきありがとうございますう。料金は一万円となりますので、あとでマイさんに払ってください」

 唐突に、女が一人で入ってきた。燃えているのが戻ってきたのかと思ったが別人だった。

「あ?」

 見慣れぬ姿、いや形状だった。それを人体として認識するのに脳というか、感情の機能が追いつかない。またバグッてしまっている。どうしてそのようになったのかを考えているうちに、ひどくぎこちない動きで女が近づいてきた 

「添い寝だけですよ、本番はナシですう」

 ほぼバンザイしている両腕は、通常とは逆方向に折れ曲がっていた。肩の関節からして脱落しており、肘の関節から先も折れてはいけない方を向いている。首も急角度で傾いていた。どうやったらそのようになるのか想像もつかない。

「借金の取り立てが恐ろしくて、死のうと思って飛び降りたんですう。でも死にきれなくて、こんなになっちゃいましたあ」

 地面に激突して、首と腕と足があらぬ方向へ折れ曲がったようだ。問題なのは、その惨たらしい状態で接客していることだ。

「マイさんのもとで働けば稼げるし、借金返したら手術しますう」

 首が折れているじゃないか。いや、生きているからその寸前か。いまにもポッキリしそうだけど、なんとか堪えている様子が危なっかしすぎてハラハラする。

「添い寝するだけだと安いんですう。千円ですよ。こんな体だから稼ぎづらいですう」

 どうしてか、話すたびに腕を振るように動かしている。カクカクとしていて、まるで操り人形みたいだ。両足もよほど変であって、つま先が前ではなく後ろを向いていた。飛び降り自殺の際、どれほどの衝撃があったんだろうか。

 あり得ない。こんなのウソだ。どうして生きていられるんだ。腕だけじゃなくて首の骨まで損傷しているのに、なんで俺の前で色気を見せるのか。尻を振るなよ、乳を揺らすな、色目使いはやめろ。

「マイさんにナイショですが、じつは本番してもいいですよ。五千円の追加料金になりますう」

 抱き着いてきた。折れ曲がった腕が中途半端に俺の首に巻きつく。地獄まで傾いだ顔が、たった五千円でいいからと俺の反応を窺っている。

「うわああああーーーーーー」

 突き飛ばすようにして、女から離れた。ドアを押して廊下に出たところでつんのめって転倒してしまう。

「五千円でいいんですう。金貸しなんだから、たくさん持っているでしょう」

 女も出てきた。より明るい蛍光灯に照らされて、その不格好さがハッキリと確認できた。もはや人間とは言い難く、なにか別の生き物に思えた。黄泉の国か地獄でサービスするコンパニオンなんだろう。

 走った。だけど廊下はずっと先まで続いていて、どこまで行っても出口にたどり着けない。背後からは、あの女が追いかけてくる。手足が折れ曲がっているのでバランスをとれない。だから左右の壁にぶつかり、跳ね返っては天井に頭を激突させるというアクロバチックな疾走だった。しまいには転倒し、それでもバタンバタンと激しく体を叩きつけながら転がってくる。坂道でもないのに勢いがまったく落ちない。

「しゃしゃ借金、しゃしゃしゃ借金。れれれ連帯、れれれ連帯保証人、れれれのれーん体、ヤりたい、おめでたい、ちぇけら」

 ミイラ女も現れた。熱く燃えながら、れいのラップを口ずさんで追いかけてくる。

 爆音が響いてきた。族のバイクが俺の横にきて並走している。跨っているのは乗腰温泉組合理事長のマイであって、相変わらずツナギの前面を開けっ放しにしたエロい格好だ。

「おい、どうなってんだ。後ろの奴らをどうにかしろよ」

 片足で胡坐をかき、体を少し斜に構えて余裕のライディングであった。パパーン、パパパパパーンと、族バイクの排気音がやかましい。  

「乗せてくれ、頼むからケツに乗せてくれ」

 強引に乗ろうしたが、そうするとバイクはスピードを上げて先に行ってしまう。諦めて走っていると、ゆっくりと戻ってきて横にビタリとつけた。

 息が切れて肺が破ける寸前だ。後ろから禍々しい気配と熱波がヒシヒシと伝わってくる。今までの人生で、女性からこれほど強烈なお誘いを受けたことはない。

 マイが俺を見ている。そして、キメ顔で言うのだった。

「あたしのエロ地区改、どう?」

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族、エロ地区改どう? 北見崇史 @dvdloto

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