第12話

 木曜日、放課後。今週は二年生までの三者面談があるため、面談がある生徒以外は帰宅している。そんな人口密度の減った鯉ヶ谷高校の、用事がなければ滅多に立ち寄ることのない視聴覚室で、滝田はイケメンと評される顔を間抜け面にしていた。


「なーんで俺がこんなこと……」


 既に今日予定していた保護者との話を終えた滝田には重たい疲労が浮かんでいた。しかしこれがあの時の借りを返すことになるのなら安いものだろう。彼らは滝田から見ても、イマイチ何をしでかすかわからない生徒たちだからだ。


 最終下校時刻の一時間前にガラガラと視聴覚室の扉が開いた。待ち人がようやく訪れたことに滝田は安堵する。教師を蔑ろにする学生は多いから、もし待ち合わせをドタキャンされてもおかしくないと思っていたのだ。

 訪れたのは学校指定のセーラー服を着た女子生徒だ。山猫のような吊り目で、ショートカットの黒髪は陸上部のようなスポーティーな印象を与える。鼻の周りには目立たないがそばかすがあり、滝田から言わせれば少し芋っぽい感じだった。

 そんな失礼は喉奥に封じ込め、滝田は作り笑顔をした。


「よ、芦間。いきなり呼び出して悪かったな」


「どしたん、先生。ウチなんか悪いことした? 家でおとなしゅうしとったのに。それに今、三者面談の期間やろ。先生、担任持っとるよね?」


 少し低めの声から紡がれる関西弁は、鯉ヶ谷高校では珍しい。毎年入れ替わる生徒たちを覚え切れていない滝田の中でも。芦間は印象の強い生徒だった。


「うちのクラスは放任主義でな。一人当たり五分で面談は終わりなんだ。あと悪いことしたか聞く生徒ってのは、大概にして何か思い当たる節があるもんだ」


「何の根拠があるん?」


「実体験ってやつだな」


 滝田の言いぶりに対して、芦間は「やれやれ」と首を振った。彼のだらしなさは教師らしからぬほどに流布してしまっていた。タバコの疑いの時、まともに擁護してくれる人が居なかったのがその証拠である。


「安心してくれ。今日呼んだのは説教とかそういうんじゃない。ただお前に会いたがっている生徒が居てな」


「会いたがってる生徒……ウチに?」


「そろそろくるはずだ。よく知らんが、何か準備があるんだとさ」


 台詞の半分は本当で、半分は嘘だった。滝田はどうして芦間を呼び出す必要があるのかを聞いている。

 芦間も黙り、一分くらい気まずい空気が流れるものだから、滝田はタバコでも吸いに一度外へ出てやろうかと思った。しかし、コンコンコン、とお手本のようなノックの後、内側の合図も待たずに扉が開く。


「失礼します」


 透き通るほど澱みのないブロンズの瞳に、あらゆる人間が吸い込まれそうになる。すらっとした体格と糸を通したような鼻筋が芸術作品のような印象を与え、ただの一つ結びが気品溢れるシャム猫の尻尾のようだ。

 芦間も、錦野から話を聞いていた滝田すらも唖然と少女を眺めてしまった。ここに彼の同級生が居たなら、きっとこんな話をしていたはずだ。昔活躍していたあの女優にそっくりだ、と。


「うわあ、ごっつ美人さんやん」


 思わず漏れ出た芦間の呟きで、滝田の思考は現代へと帰ってくる。好きだった女優の面影を感じる顔に睨みを向けられており、近づいてくる女子生徒を慌てて紹介しようとした。


「こいつはあま……」


 里巳は滝田の向こう脛を蹴った。威力は弱かったが、当たりどころのせいで衝撃が骨を突き抜ける。悶絶する男性教師を無視して里巳は挨拶した。


「オオエヤマ・リミと言います。初めまして、芦間先輩」


 弁慶の泣き所を抑えながら跳ね回る滝田を見て、芦間は短い髪をケラケラと揺らした。


「これはこれはご丁寧に。よろしくね、オオエヤマさん」


 お辞儀する芦間を里巳はじっと見つめる。彼女は『バツ新聞』の発行者として最も怪しい人物だ。警戒心を露わにしないほどの演技の練習なんてしたことがなかったが、どうにか無害な人間であると繕ってみる。


「芦間先輩を呼び出したのは私です。どうしても聞きたいことがありまして」


「聞きたいこと?」


 芦間はオウム返しで聞いた。本題に入りそうな雰囲気を感じ、仕事を終えていた滝田が外に出ようとする。


「俺は行くぞ。これ以上ここに居たら、今度はどこを蹴られるかわかったもんじゃない」


「滝田先生、ありがとうございました」


 里巳は端麗な顔を下げ、背筋の伸びたお辞儀をした。自分に向けて礼節ある感謝だなんて珍しく、滝田は面食らって頭をぽりぽりと掻く。


「わざわざ改まるな。今のお前に言われても演技臭くて敵わん……ま、借り一個分だ。頑張れよ」


 いつかのお礼として里巳、ひいては錦野から提示されたのが芦間恋奈の呼び出しであった。最初こそ滝田も渋ったものの、真剣な生徒の頼みとあらば応えたくなるのがダメな大人にも残っている教師のさがであった。


 滝田が出て行った視聴覚室で、里巳は芦間恋奈と向き合った。せっかく滝田に無理を言って作ってもらったチャンスだ。ここを逃す手はない。


「ほんで、どないしたん? ウチせっかちやから、話ならさっさと済ませたいんやけど」


 芦間が言うので、こちらも望むところだ、と里巳が核心に向けて打って出る。


「では単刀直入にお聞きします、芦間恋奈さん。あなたが偽物のエックス新聞の発行者ですね?」


 猫の目を大きくし、ショートカットの女子生徒は驚いた。そして質問に質問で返す。


「オオエヤマさん、もしかして新聞部の人? それともエックス新聞の方?」


 里巳は無言で答えを待つ姿勢だった。芦間は勝手に納得したように、真一文字に結ばれた唇を見て頭を抱える。


「あちゃあ。やっぱバレとったんか。さすがに強硬手段過ぎたもんな」


 あっさりと認めた上級生に僅かな驚きと、そこに入り混じる様々な感情が少女の脳裏を巡った。今は冷静に話をするべき、と我を殺して言葉を紡ぐ。


「やっぱりあなたが……」


「せやで。二枚目・・・の偽新聞。犯人はウチや」


「え……二枚目、だけ?」


「そ。二枚目だけ。一枚目の犯人はウチも知らんよ」


 里巳は困惑するしかなかった。バツ新聞の内容は一貫して宮路否定であった。しかし芦間の言いぶりでは、バツ新聞には複数の発行者が居て、彼女は便乗して宮路を貶めたように聞こえる。


「それなら、どうしてあんな記事を追加したんですか。宮路先生や、かつて所属していた美術部を恨んでいたんですか」


「何や、そんなことまで知っとんか。オオエヤマさん凄いなあ」


「答えてください。念の為に言っておきますが、このままいけばあなたは宮路先生に名誉毀損で訴えられてもおかしくないんですよ」


「訴えられへんよ。だって二枚目の新聞を作ったんは宮路先生の指示なんやから」


 は、と里巳の顔があんぐりする。近年稀に見る間抜け顔に、芦間は笑いながら「順繰りに説明しよか」と優しく微笑みかけた。


「まずウチがこのことを知ったんは、最初の不倫記事が出た時や。その時は『あの宮路先生がなあ』って疑っとただけやったけど、その後に連絡をもろて」


「連絡? 誰から?」


「もちろん、宮路先生やで」


 これもあっさりと答える。里巳には芦間が素直な事実を告げているのか、腹芸が得意な人間なのか全く判別がつかなかった。


「では、あの不倫記事の相手は、少なくともあなたではないと」


「そらそうや。ウチ、どっちかと言えば年下の方が好きやし。おっさんは恋愛対象外やなあ」


 聞いていない、といつもの減らず口を叩いている暇はなかった。芦間はすぐに話を戻す。


「宮路先生は何や帰り道に階段から落ちた言うて、不倫記事が出た日から入院しとったんよ。だから学校からこの話を電話で聞いたんやて。ホンマ、間の悪い先生よな」


 からからと笑いながら言う芦間にどことなく錦野っぽさを感じた。人の不幸話を気兼ねなく笑えるところもそうだが、話がフェイクニュースばりにでき過ぎていまいかと思えてしまうのだ。


「話を続けていただけますか」


 一旦疑問は隅に追いやり、最終下校時刻の近づく教室の中で芦間を急かす。彼女は「ごめんごめん」と言った後、吊り目をブロンズの瞳と交える。


「ウチは翌週に連絡をもらって見舞いに行った。そしたら宮路先生が言うたんよ。『今回の騒動で狙われているのは私じゃなくて美術部だ』って」


「なぜそんなことがわかったんですか?」


「宮路先生いわく、教師を潰したいなら他にも手段がいくらでもあるから、とか何とか。今、先生の肩身狭い言うしな。確かに暴力でも何でもええところを美術部名指しで、かつ援交ってなってたら、美術部の方も悪いって世間から叩かれるように仕向けたと思ってもおかしない」


 宮路の言い分にはスジが通っているふうに聞こえる。ただし『風』止まりだ。憶測ばかりで僅かに釈然としない。里巳にはその説明が、まるで彼女を丸め込むための言い訳に聞こえた。

 今は宮路の嘘を見抜いている暇はない。里巳は別の質問も投げかける。


「あなたが事件を知った経緯はわかりました。でしたら、あなたと宮路先生の関係は何ですか。入院先に呼び出しなんてかなり深い関係に思えますが」


「せやなあ。一言で表すなら、推し友?」


 里巳は今度こそ怪訝な顔を隠しもせず「推し友……?」と呟いていた。説明不足であることはわかっていた芦間が続ける。


「ウチら二人とも、大伴ちゃんの大ファンやねん……大伴美羽ちゃん。知っとる? 三年の」


「はい。とても綺麗な絵を描いている方ですよね」


 里巳が頷いたのを見て、突然芦間は嬉しそうに「せやねんせやねん!」とテンションを上げた。


「さっきオオエヤマさんにも言われたけど、ウチは一年の時だけ美術部におったんよ。けど大伴ちゃんの絵を見て、こりゃ敵わんわ! って諦めてん」


「だからあなたは大伴さんの居る美術部を恨んで今回の騒動を起こした。私はそう思っていましたが」


 芦間はしばらく考えた後で「なるほどなあ」と呟いた。自分が疑われる要因に気づき、画材選びと同じくらい慎重に言葉を紡ぐ。


「うーん。そりゃ嫉妬もあったけどな。でも人間、本気で感動するくらい見事な作品を見たら、同じ土俵に上がろうと思わんよ。仮にウチが努力してその域に達したとして、その頃には大伴ちゃんはもっと高いところにおるんやから」


 芦間の話に、里巳は乙部のことを思い出した。人は自分にないものでないと誰かに期待はしない。それが圧倒的な才能であったなら尚更だ。芦間の言葉はあたかも乙部や錦野の気持ちの代弁だった。


「だから恨みつらみよりも先に、陰ながら応援することにしてん。ウチにとって大伴ちゃんは、美術の教科書に載ってる画家たちと同じ括りやった。本当にそれだけやで。美術部辞める時、宮路先生にもその話をしたんよ。ギリギリまで渋られたけど最期は折れてくれたわ。いやぁ、あれが一番キツかったで」


 少女は卒業を間近にして、遠い思い出に再びからからと笑った。


「けど『また描きたくなったらいつでも言ってこい!』言うてな。公立高校はいつ転勤があるかわからんから、内緒でケータイのメアドもらったんよ」


「それがあなたと宮路先生の関係だったんですね」


「そういうこと。そこから一年くらいはまともに絵を描くことはなかったんやけど……もう性分なんやろな。ふと何か描きたくなってしもうて。だけど大伴ちゃんと同じような絵画はやる気にならん。だから言われた通り宮路先生に相談したんよ。それが確か二年の半ばとかやね。その時に、違うジャンルならって他の先生を紹介してくれてん。ウチ、元々イラストとかデザインにも興味あったから、今はその先生に良くしてもろうとるよ」


「……ここまでの話を聞いて、一層わからなくなりました。あなたはどうして宮路先生が不利になる追加記事を出したんですか」


「それが宮路先生からのお願いだったからや」


 とうとう里巳の頭が混乱し始めた。『開かずの間』に集った者たちの総意では「芦間が大伴の才能を妬み、自らの存在を露見させずに復讐を行った」というのが大筋の予想だったのだ。


「……だけど、そうか。よく考えたら二枚目のバツ新聞は宮路先生にしか焦点を当てていない。大伴先輩を狙うなら援助交際の相手は『学外』じゃなくて『学内』の生徒になるはず。そんな単純なことを見落としていたのね」


「何や納得した顔しとんなあ。普通信じられへんやろ、こんな話。ウチも最初、何言うとんこの人って思ったわ。せやけどワケを聞いて納得した」


 芦間はエラを作るように頬を強ばらせて、あたかも顔の四角い美術教師の真似をした。


「『このままだと美術部が危ぶまれてしまう。だから私が身代わりになる形であのフェイクニュースを本物にしてしまえば、美術部を遠ざけることができるはずだ』って。ホンマ、あの先生らしい考えやで」


「宮路先生らしい、ですか」


「うん。あの先生、生徒のためなら自分のことなんて平気で犠牲にすると思うで。それこそウチみたいなちょっと関わっただけの生徒でも」


 宮路の教師像、人間像は大伴が言っていたことと一致する。錦野のような授業を面倒臭がっている多くの生徒には不評だが、正面から見える世間の評判と人の側面に異なりがあることは里巳の理解するところであった。


「つまり二枚目の新聞は、宮路先生が自らを囮にするために作成したもの。あなたは身動きの取れない宮路先生に代わってあの記事を貼りに来た協力者だった。それが真相だと」


「せや」


「宮路先生を守ろうとは、考えなかったんですか」


 里巳が尋ねると、芦間の陽気さはなりを潜めたように訥々と言う。


「それが最善なんやろね……ウチはウチにできること、よぉわかってるつもりなんよ。学校中に広まった噂の払拭なんてどうやってもでけへん」


 それがメディアという怪物の恐ろしさだ。情報とは劇薬である。一度世に放たれた毒やウィルスを抹消することなんてできない。里巳は彼女の痛感した無力さを誰よりも理解でき、ぐっと歯を食い縛った。


「で。ここまでの話をして、こっちもわかったんやけど……やっぱり宮路先生を叩いたんは本物のエックス新聞じゃないんやな?」


 ここで初めて里巳は探られていたことに気づいた。芦間は見た目よりもずっと強かで、腹芸にも長けているようだった。里巳は素直に答える。


「はい。私は犯人を探しています。これ以上、誰かを貶めるニュースは見過ごせませんから」


「頼むわ、オオエヤマさん。もう手遅れかもしれへんけど、宮路先生を助けられるなら助けてあげて。大伴ちゃんもきっとそれを望んどる」


「これは事件に関係のない質問なのですが、大伴先輩がそこまで宮路先生を慕う理由は何ですか」


「大伴ちゃんはな、色々あって男が苦手やねん」


「……噂は聞いたことがあります。性被害に遭った過去がある、と」


「それが実の父親からの虐待やって話は?」


 聞いたことのない話に里巳は首を振った。芦間は猫のような目をこれまでに無いくらい真剣に向けて「誰にも言うたらアカンよ」とドスの効いた声で念を押した。


「男が苦手な理由を聞いたら話してくれたことがあるんよ。子どもの頃、何度かそういう目に遭わされたんやて。今は逮捕もされてある程度吹っ切れて、作品の糧にしとる言うてた。ホンマ、逞しくってええ子よ。大伴ちゃんは」


「そう……だったんですね。逞しい、です」


「せやけど怖いもんは怖いまま。せっかく共学の高校に来たのに、そないなこと大っぴらにしたら友だちもでけへんやろ? だから内緒にしてたんよ。そしたら一年の最初の方の時、アホな男子どもがオドオドする大伴ちゃんを面白がってからかい始めよって。ウチもぶん殴ろか思ったんやけど……先に宮路先生がブチ切れてな。大伴ちゃんにとって初めて信じられる男やったんよ」


 男が苦手な大伴にとって宮路はヒーローのように映ったことだろう。加えて興味のある分野に造詣が深いと言うのなら、一層師事を仰ぎたくなるのは道理だ。美術室での取り乱しようが可愛く思えるほど彼女は宮路を尊敬していた。


「だから大伴ちゃんは宮路先生を慕っとる。でもあの時にはもう、宮路先生の方は大伴ちゃんの作品に惚れとったんやろな」


 教師、画家という職業としてお互いをリスペクトした二人は、この三年間でさらに絆を深めた。ここまでの話を聞いたら、里巳には宮路という教師が援助交際をするような人物には見えなくなっていた。


「だからこそ宮路先生は今年の大伴ちゃんの作品をコンクールに応募させる気は無いんやって」


「え……どうして、ですか?」


「宮路先生いわく、今回の作品はコンクールに応募したら確実に大きな賞を獲るって言っとった。せやけど『大人』のテーマに沿って大伴ちゃんが描いたんは男女の絵。過去を乗り越えた大伴ちゃんやからこその作品らしいけど、それが世に出るっちゅうことは……」


「世間に彼女の過去が伝わる可能性がある」


 うん、と芦間は悲しげに頷き、肯定した。次のコンクールは美大やプロまで注目する大きなものだと筧が言っていた。タバコの件で美術室に入った時に見た裸で抱き合う男女の絵。あれが大伴の作品であり、彼女が過去を乗り越えたからこそ描けた絵だ。

 しかしそのルーツを調べ上げる人間が居たら、彼女は乗り越えた過去をもう一度トラウマとして呼び起こしてしまうかもしれない。

 里巳もそうだ。いや、彼女は乗り越えられてすら居ない。大伴にそんな恐怖が襲いかかることを肌で実感し、密室の教室で冬空以上の寒気を浴びた。


「芸術家に限らず、クリエイターは作品だけやなくてその人の歴史まで評価される生き物や。だから大伴ちゃんの話だってどれだけ探る奴がおるかもわからん。宮路先生は大伴ちゃんを心配して、今回はテーマ的にも応募を見送ろうかって話をしとったらしい。せやけどそんな理由で世に出られへん作品があるなんて、ウチは可哀想で見てられへんわ。大伴ちゃんの才能やったら過去なんて関係なく、絵の道だけで誰かを幸せにすると思うねん」


 一頻り思いの丈を吐き出した芦間は朗らかだった顔を暗く染めてしまった。親を見失った独りぼっちの山猫が今にも鳴きそうに見えた。

 大伴の影響で美術の道から遠ざかった芦間からすると、騒ぎ立てるメディアには怒りしか湧かないはずである。里巳はそんな彼女に僅かばかりの共感を覚えた。

 推測でしかないことを言うのは不本意だったが、大伴のためにここまで暗躍した芦間にも何かしらご褒美があっても良いのかもしれない。里巳はそう思って、いつかに美術室で見た光景を伝えることにした。


「芦間先輩。先週、大伴先輩は別の作品を描いていたようでした。もしかするとコンクール自体を諦めた訳ではないのかもしれません」


「……ホンマに?」


 芦間は里巳を見た時よりも目を大きくし、にへ、と頬を崩しながら呟いた。


「そっか。ほなら、ええなあ……うん。そやったら、嬉しいわ」


 噂話もたまには悪くない。一瞬だけそんな思考になりかけて、里巳はすぐに自己満足を捨てた。元を正せば誰かが流したフェイクニュースが宮路たちを苦しめている。

 犯人を突き止めなければ。里巳の中で使命感が風船のように膨らんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る