第9話 伊良湖(紛争禁止エリア)

 左手に太平洋、右手に三河湾、遠く正面は伊勢湾か。三つの海の交わるところ。それが伊良湖岬だ。海は凪ぎ。心地よい風が吹く。とてものんびりして気持ちいい。前にこんなにゆったりとした時間を過ごしたのは、いつだっけ?思い出せない。

「でも、思いだすだけでもなんかこう、緊張感が甦るって言うか、どきどきしますねー。なんか-、深ーい時間を過ごしたってゆうか…」

 バーベキューコンロの上に粗挽きフランクを乗せながら李苑さんが言う。

「確かに。凄く濃密な時間でしたね」

 トウモロコシを置きながらブラックさんが言う。

「ホント、長いのか短いのか。記憶が曖昧なんだけど体の中にはしっかり刻まれてるって言うか」

 お肉を乗せながら俺も言う。

「あのときのホーキングさんの声、びっくりしたけどなんか説得力あったなー」

 俺と李苑さんとブラックさんは、伊良湖岬の先端の岩の上で、バーベキューをしている。事の次第はこうだ。


 『スリーアロウ』が終了したのを、俺は認識できなかった。オルレアンの乙女が弁天の顔を砕いたのと時を同じくして、精神の限界に達し、俺の意識は拡散していった。ゆっくりと降下してゆくイータをアルファたちが受け止め、マザーに収容した。イーター内で蘇生のための緊急措置が取られるが、俺の意識は回復しなかった。コクピットからマザー内に設けられた集中治療室に移送され、二日後、やっと意識が戻った。その後一日間をベッドで過ごし、四日目、やっとブリッジに戻ることが出来た。

 俺の意識が回復したとの知らせを受けて、ブラックさんと李苑さんが訪ねてきてくれた。俺はまだ万松寺から出ていなかった。二人もずーっとここで待っていてくれたのだ。俺たち三人は、この戦いで全ユニットレベルが20になった。楽毅はレベル37、オルレアンの乙女はレベル35になった。生き残ったプレイヤーのユニットは、大幅なレベルアップを獲得したようだ。

「ホーキングさん、李苑さん、戦勝記念オフ会しませんか?」

「えー、リアルで会うんですかー」

「いえ、リアルじゃないけどリアル、オフ会だけどオン会というか」

「それって、どういうことですかー??」

「実は、紛争禁止エリアというところがあるそうです。ここはシステムエネミーが登場しません。それに、プレイヤー間の戦闘が禁止されています。もし、戦闘行為を行った場合、レベルダウン10以上というペナルティーが科せられます。進入できるプレイヤーの条件は全ユニットレベルが15以上です」

「へー。だから今まで見たこともなかったし、行くことも出来なかったんだ。で、この紛争禁止エリアでオフ会ですか?」

「そうです。バーベキューなどどうでしょう。泳ぐことも出来ますよ」

「おお、プールですか?」

「いえ、海です。紛争禁止エリアは伊良湖岬なんですよ」

「いやー、抜群のロケーションですね。面白そう。やりますか」

「うーん。ちょっと面白いかもー」

「全員、水着着用ですよ」

「えー。そんな、私、水着着れません」

「大丈夫ですよ、李苑さん。私もおっさん丸出しですから」

「僕もおっさんですよ。ルックスは無視って事で」

「えー私、女子ですよー。男子と一緒にしないで下さい!」

「これは掟です。海でバーベキュー、当たり前、水着ですよ!!!」

 なぜか今日に限って、異様に熱いブラックさんの押しに抗う統べなく、李苑さんも承諾せざるを得なかった。俺も異存は無い。日時は日本時間で19日月曜日、午前10時と決まった。

 夕方に7BOXから抜けた。なんとか子供達と妻が帰ってくる前に。さてと、BBQの食材を買いに行きたいが、今は無理。どう考えても月曜日の朝、妻と子供が出勤した後しかない。今日も夜勤だ。全く忙しい。俺の体は大丈夫なのだろうか?

 日曜は夜勤明けで帰ってすぐ布団に入った。夕方に一応目が覚めた。とても眠たいが妻が外食に行こうというので、くるくる回る寿司を食べに行った。帰りに妻が言う、久しぶりね、家族が全員揃ったの。そのとおり。俺は勤務時間と曜日が世間一般からずれている。子供達も部活が忙しくなり、土日もほとんど練習だ。妻も平日は仕事。家族の予定がばらばらなのだ。家族全員での外食も、なんかルーティンワークのよう。埋め合わせ的な、帳尻を合わせるというか。こんなもんなのかな。ハンドルを握りながら、今日の任務は終了、と心の中で敬礼していた。

 月曜の朝が来た。妻と子供を見送った後、生鮮コンビニにとっとこ走り、BBQの食材購入。特に分担はせず、自分が食べたいものを買おうということになっている。道具は勿論言い出しっぺが持ってくる。たまねぎ、にんにく、フランスパン、キャベツ、鶏肉、あらびきウインナーあとチューハイ。キャンプに行くみたいだ。眠気も昨日よりはまし。気持ちがうきうきしてるのが自分で分かる。7BOXが送られてきてからリアルで三週間ほどたった。でも俺が実際に過ごした時間は2ヶ月半ぐらいかな。とびきり濃密な時間だ。箱の中にいるときの方が生きてるって実感がある。これから『オンなのにオフ会』だ。しかもBBQ。伊良湖岬でだよ。こんなの考えられるかい?あやうく月曜日の朝からスキップを踏みそうになった。

 三人でいろいろ戦ってきたが、実際に会うのは今回が初めてだ。俺は今までオフ会なるものには参加したことがない。出会い系も未経験なので、見たことがない友達?知り合い?と実際に会うということに対して、抵抗があると思っていた。しかし、このBBQに対しては全く抵抗がなかった。なんか自然に決まっていた。不思議と言えば不思議だ。よくよく考えてみれば全然不思議じゃない。俺たち三人は「戦場」をともに駆け抜けてきた「戦友」なのだ。一杯やろうぜと思うのは当たり前のこと。今の俺には、俺たちには7BOXが当たり前のことなのだ。

 日本時間19日月曜日、午前9時59分。俺は箱に入った。

「愛李、おはよう。さっそくだが伊良湖岬に進入してくれ」

「分かりました。紛争禁止エリアですね。マスターおめでとうございます。堂々とこのエリアに入ることのできるレベルに至ったこと、愛李、心からお祝い申し上げます」

「ありがとう。今日は『オンだけどオフ会』なんだ」

「存じております。ごゆっくりお過ごし下さい」

「おう、忘れ物はないなと。んじゃ行ってくれ」

「了解しました。伊良湖岬に進入します」

 伊良湖の天気は晴れ。雲がぽつぽつ浮かんでる。右手に灯台、左手に恋路ヶ浜が見える。さっそく音声チャットが入る。

「ホーキングさーん。遅刻ですよー。もう準備終わってます。はやくー」

 灯台の近くに二人の部隊が集まっている。

「はやっ。俺時間通りですよ」

「いい大人は15分前に集まるものですよー。自覚が足りないなー」

 いきなり李苑さんにダメ出し喰らった。

「すいません。すぐ行きます。愛李、最大戦速。いや、俺出るわ」

 俺はそそくさとイータに乗り込み、カタパルトから射出された。一直線に二人の下に飛んでいった。二人がBBQ。コンロに火をつけているのが見える。すぐそばに降り立ち、コクピットを開け、イータの掌に飛び乗りコンロの脇に向かう。

「ホーキングさん。水着ですよ!」

「あっ、しまった。すいません。一回戻ります」

 焦っていたので水着に着替えてなかった。またコクピットに飛び乗りマザーに向かう。

「マスター。落ち着いて下さい」

 愛李にも怒られる。嬉しすぎて遠足当日にトラブる小学生みたいで、とても恥ずかしい。もぞもぞしながら海パンをはき、Tシャツを羽織って再びコンロ脇に立つ。

「お待たせしました。ホーキング到着しました!」

「では、全員揃ったところで、不肖ブラックインパルス、乾杯の音頭を取らせていただきます。皆さん、グラスをお持ち下さい。では、万松寺の勝利に乾杯!!!」

 ブラックさんは鍋奉行ならぬ幹事奉行か。いつもと違って完璧に仕切り屋モードだ。

「へへーっ。んじゃさっそく、焼きましょー」

 袋の中から李苑さんがフランクフルトを取りだし、ボトボトっと金網の上に豪快にぶちまけていく。

「ちょ、ちょっと李苑さん。乗せすぎですよ。しかも一種類の食材ばかり。バランスというものがBBQのはあるんですから」

「もー、好きな物を各自が焼きましょうって話ですよねー。堅いこと言わないの」

「ですが物には限度という物が…。野菜ですよ野菜!トウモロコシ、これmustでしょ。それに焼きなす、アスパラ、レンコン…」

 なんか二人は騒がしい。どんどこ金網に食材を乗せている。まるで陣取り合戦だ。俺はチマチマと肉を焼きながら、缶酎ハイをごくごく飲む。うまい!すかさず酔いが回ってきた。


「おい、なんだあれ。何してるんだ」

「うん?えーっ!BBQやってるよ。あんなの見た事ねーよ」

「どこのどいつだ。紛争禁止エリアでBBQやらかしてる強者は!」

 上空を飛んでいる二人のプレイヤーが俺たちを見つけたようだ。旋回している。

「あーっ、あいつら、あいつらだ」

「だから誰なんだよ」

「万松寺の三英傑だよ」

「えっ、マジ。『猿殺し』、『生還王』それに『一直』か」

「そうだよ、あの機体『一直』だ。間違いない。敵に向かって一直線に突っ込んでいくから目立つんだよ。盾持ってるし」

「あの横のラプターが『生還王』でロボットが『猿殺し』だな」

「おー、余裕だな。BBQか俺も喰いてえ」

「俺たちもしようぜ」

「そうだな!よし、今から買いに行こうぜ」

 そんなこんなで俺たちの周りで、一組、また一組と、BBQが始まりプレイヤーがどんどん集まってきた。1時間もすると伊良湖の岩場は、オートキャンプ場と化した!

「なんかにぎやかだな!ブラックーさん。どうなってるの」

 俺は完璧に出来上がっている。

「いい感じです!これこそBBQの本懐。群れる人、食べる輩、飲む輩。皆の衆!さらに焼くのだー!!」

 ブラックさらにワケ分からん。

「なにー。曲がる必要ないでしょ!ていうか私、曲がれないのー」

 李苑は横の男子に絡んでる。酒乱痴だ。

「おーい。三英傑の通り名がこれじゃ台無しだ。ただの酔っ払いトリオだぞ」

「まったく、あんた達何してるんだい。でも楽しそう」

 空中からスピーカーを通して声が落ちてくる。空を見上げると、中世フランス軍に空母打撃軍が停泊していた。ジャンヌが優雅に降りてくる。シコルスキー少し遅れて着地した。

楽毅とオルレアンの乙女の登場だ。周りのプレイヤー達から歓声が上がる。

「すげー、『万松寺の合戦』の英雄達が勢揃いだ」

「こんな機会滅多にないぞ。写メ取れ」

「祭りだ祭りだ!みんな飲めー」

「楽毅さーん。なんかしゃべってくれー」

「オルレアンさん写メ取らせて」

 二人の登場でBBQ場(?)のボルテージが一気に跳ね上がり、お祭り気分が辺りに満ちあふれた。

「いやー。ホーキングさん、大盛況だねBBQ。今システムメッセージ見てきたんだけど、こんなに人が集まってるとは思わなかったよ」

「えー?システムメッセージ?」

「ああ。GMが流してるよ。主催ホーキングって」

「違います。それは大きな間違い。GMに抗議だ!主催は私、私ことブラックインパルスです」

「そうだったんだ。すまん」

 ブラックの勢いは天をも突き破ったか。今の彼に怖れるものなどない。


 ゆったりとした、そして楽しい時間が過ぎていった。たぶん、7BOX始まって以来のまったりイベントになったに相違ない。

 ここが俺の居場所であると、深く思うことが出来た一日だった。

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