第5話 調査三日目
一昨日、昨日と続けて調査を行ったが、結局有力な証拠は見つからなかった。まだ三日目。焦る必要はない……とは言えないだろう。文化祭まで二週間を切っている。文化祭では、学外からの来客もある。その中に「柚月ひな」を探している人間が紛れ込む可能性があるのだ。特定を急ぐ必要があるだろう。
それにしても、本当に彼女が久瀬高校の生徒である証拠などあるのだろうか。「柚月ひな」の動画をいくつか視聴したが、彼女は発言に気を使っていたように思う。その彼女が、所属高校などという大事な個人情報を口にするだろうか。
ともすれば、僕が視聴した動画の中に、推理し得るだけの情報が既に揃っていたのかもしれない。僕の推理力が足りていないだけで。
「……」
いや、やめよう、と小さくため息を吐く。溝口先生も言っていたように、学校に届いたメールは単なるイタズラかもしれないのだ。深追いして徒労に終わる可能性も考えておく必要があるだろう。
とにかく今は調査を進めるべきだ。まだ調査三日目。文化祭まで時間が無いとはいえ、たったの二日で特定するなど冷静に考えれば無謀だ。もう少し彼女の動画を調査する必要がある。
放課後、文化祭の開催が近いこともあり、校内では多くの生徒が慌ただしく動いていた。気が早いのか、或いはサイズを確認するためか、文化祭用の衣装と思われる格好で校内を歩く生徒もちらほらと見られた。
まだ準備段階であり完成には程遠いが、こうして文化祭に向けて校内がカラフルに彩られていく様子を見ると、少しだけ心が躍る。お化け屋敷に喫茶店に展示会。定番のものからちょっぴり突飛なものまで、看板を見ただけでも様々な出店があることがわかる。
ちなみに僕のクラス展示のテーマは「消化」である。入口を人間の口に見立て、客には食べ物役を担ってもらう。食物が消化されていくメカニズムを解説しながら、体内を模した順路を案内するのだ。途中には様々なミニゲームを用意し、大人から子供まで楽しむことが可能である、なんとも学問的な素晴らしアトラクションなのである。学生の鏡のような展示だ。
……これは、クラスメイトが気づいているのか定かではないのだが、入口が人間の口で、そこから消化のメカニズムを辿るというのならば……当然ながら、出口は肛門ということになる。
つまり、我らが一年五組を通過した者は糞になるのだ。そして何の因果か、一年五組の教室の目の前には便所が存在している。僕達の展示を訪れた人間はそのままトイレへと吸い込まれて、たちまち流されてしまうかもしれない。
その光景を思うと、文化祭が俄然楽しみになってくる。我らの一年五組が快便となるように、僕も尽力しようではないか。さながら便秘薬のように働くとしよう。
そのためにも、「柚月ひな」の特定を早く済ませる必要がある。熱心なクラスメイトが早速体内のオブジェクトの作成を行っているのを横目に、部室へと向かった。
文化祭の気配は至る所に現れていた。普段は、春から放置されたままの日焼けたポスターが、数枚貼り付けられているだけの掲示版だが、今は少しでも客を増やすために、新しいポスターが所狭しと並んでいる。
「僕達もポスターを作った方がいいのかな」
カラフルな掲示板を見つめて呟く。僕達文芸部も文化祭で部誌を販売する。部費の獲得のためにも売り上げが多いに越したことはない。
ただでさえ部員が少ない上に、元々地味な文化系の部活だ。こちら側から働きかけなければ客も来ないだろう。
それにしても、他の部活のポスターを眺めてみると中々面白い。鉛筆で書かれた雑なメモもあれば、企業が作成したかのようなポスターもあった。こうして並べて見てみると、目に優しいポスターを作ることが如何に困難であるか思い知る。素人が作ると、どうも雑然としてしまうらしい。
「あれ?」
ふと、とある掲示が目に留まる。それは、広告として優れていたわけではない。寧ろ、肝心な文字が蛍光色になっており、ひと目で情報を得ることが難しい。広告としては不出来と言っていいだろう。しかし。
「……上手だな」
思わず、声が漏れる。ポスターの中心に大きく描かれた男女の絵。こちらに手を差し伸べた二人が、あおりで描かれている。背景には、紅葉で囲まれた久瀬高校が描かれていた。色は塗られておらず、斜線とスクリーントーンで影と色を表現している。
その漫画テイストで描かれたイラストに、釘付けになってしまった。凜々しくも優しい目をした男子、ふわりと柔らかい所作を思わせる女子。静画であるのに、次の瞬間をありありと想像させる、ダイナミックなイラストだった。その難しい構図であるにも関わらず、崩れた部分は無く、非の打ち所のない絵だった。
これほど上手なイラストを描く人間が久瀬高校にいる。この、才能に溢れた人間が存在しているのだ。きっと夏休み中も努力をしていたのだろう。何もせずに、無為な時間を過ごしていた僕と違って。
……ふと、考える。
これを描いた人間は漫画家を目指すのだろうか。探偵などという存在しない夢を追い続ける僕とは異なり、明確な目標があるのだろうか。この作者は、到達点を見据えて、進むべき道も見えているのかもしれない。
そのことを考えると少しだけ焦る。存在しない夢に現を抜かす愚か者は、僕達くらいしかいないだろう。他の生徒達は、将来をもっと現実的に見ていて、そのためにすべきことなんて、高校に入る前から知っているのかもしれない。そして今まさにその道を歩んでいるのかもしれないのだ。
もしも、取り残されているのが僕達だけだったら。停滞しているのが僕達だけだったら……。そう考えると、大変恐ろしい。
小さくため息を吐いて、もう一度ポスターに目をやる。蛍光色で書かれた文字をぼんやりと目で追う。
すると、予想外の文字が目に入った。
「……ラノベ研?」
イラストは漫画調で描かれていたので、僕はすっかり漫研のポスターだと思い込んでいた。しかし、そこに書かれた文字は
「来たれラノベ研! 僕等の文集を手に入れろ!」
であった。
「文章も書けて、絵も上手な生徒でもいるのかな」
いや、違うか。恐らく漫研に依頼してイラストを描いてもらったのだろう。思えば、昨日来た宗谷さんはラノベ研で、漫研の橘さんと友達だったはずだ。宗谷さんが橘さんに頼んだのかもしれない。
そう考え、何気なく他のポスターにも目を通す。様々な部活動のポスターが貼られている。その中に、漫研のポスターを見つけた。
「あれ?」
思わず、顔を近づけて凝視する。
ラノベ研のポスターは、漫研の部員が描いたものだと思っていた。もしそうであるのならば、漫研のポスターも、上手な絵が描かれているはずである。
しかし。
「漫研のポスターは、そこまでじゃないな」
決して下手なわけではない。どころか、上手であると思う。だが、ラノベ研のポスターに比べてしまうと、幾枚か落ちる。
ラノベ研のポスターと漫研のポスターは、明らかに別人が描いたものだ。それ自体には何の疑問も無い。漫研が両方の制作を請け負ったとしても、一人で二枚も描くには大変だろうし、分担もするだろう。
しかし、一番上手な人間がラノベ研のポスターを描いて、漫研のポスターがおざなりになってしまっているは、一体何故だろう。
今回のポスターは文化祭の客引きのために貼られている。そして、その客足が部費獲得に直結するといっても過言ではないのだ。そのポスターで、敵に塩を送るような真似をするだろうか。
であるならば、ラノベ研のポスターを描いた人間は、漫研の部員ではないのだろうか。
「……まあ、なんでもいいか」
僕は今「柚月ひな」の正体を突き止めるという依頼を抱えている。ポスターに気を取られる余裕はないのだ。
掲示板から目を逸らし、ようやく僕は部室へと向かった。昨日の様子から考えるに、一柳さんは既に部室で僕を待っているかもしれない。僕は少しだけ急いで歩いた。
「あ、石澤くん。やっほ」
予想通り一柳さんは既に部室にいた。
「ごめん、待った?」
「ううん。私も今来たところ」
荷物を下ろし、先生から借りたノートパソコンを開く。
「じゃあ、早速調査を始めようか。今日は何を見る?」
雑談、歌配信、ゲーム実況に台詞朗読。そしておうちデート配信。「柚月ひな」は様々な企画で生配信を行っている。そのいずれかに、彼女の正体を突き止める証拠がある……かもしれない。
そして動画を選択する段階で、証拠を掴めるか否かは決まっているのだ。慎重に選ばなくてはならない。
それを一柳さんと協議しようと考えていたのだが。
「あ、ごめん、石澤くん」
一柳さんは申し訳なさそうに手を合わせた。
「今日はちょっと用事があるの」
「用事?」
「うん。文化祭関係で、ちょっと、ね」
一柳さんは少し目線を逸らしてそう言った。
「……そっか」
先ほど見た通り、文化祭の準備は既に始まっている。一柳さんのクラスの企画は和風喫茶店だったはず。一柳さんの長く伸びた黒髪に、和服はよく似合うだろう。一柳さんは喫茶店企画の主役を担っているのかもしれない。そうであれば忙しくもなるだろう。
「いいよ。忙しいもんね。行ってらっしゃい。今日の調査は僕一人でやるね」
「うん、ありがとね。……って言っても、元々私が居ても役に立てそうになかったけど」
「そんなことないよ。一柳さんの視点があった方が絶対いい。……何せ、手がかりが一つもない」
彼女は少し苦笑して
「違いないね」
と言った。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「うん。またね」
しかし、用事があるというのなら先に言ってくれればよかったのに。何となく当番制になってしまった鍵係だが、一柳さんは今日、鍵を開けるためだけに職員室と部室を往復する羽目になってしまった。それに、僕が来るまで待たせてしまった。言ってくれれば鍵当番くらい代わる。
そんなことを考えていると
「瞳―?」
廊下から、少し騒がしい声が聞こえてきた。
「瞳いるー?」
がらりと乱雑に部室のドアが開かれた。
「ああ、いたいた。遅いってばぁ」
「あ、由香。ごめん、今行くから」
僕がポスターなんぞに気を取られていた所為で、一柳さんが遅刻してしまったらしい。四人のお迎えが文芸部の前に来てしまった。
「ごめんね、一柳さん。僕が遅くなったから……」
「ううん。いいの。じゃあ、今度こそ行ってくるね」
手を振り、一柳さんを見送る。
「んじゃ、そういうわけで、瞳借りてくから。バイバーイ探偵くん」
見送りの一人が安いウインクを僕に飛ばした。
「……」
僕は部室の椅子に座ったまま、彼女達を見送った。
「……?」
それにしても、少し奇妙だ。一柳さんは文化祭関係の用事だと言った。だから僕はてっきりクラス出店の用事で駆り出されたのだと思った。しかし。
「あれ、うちのクラスの小西さんだったよな」
お迎えに来たのは四人。先ほどウインクを飛ばした女子生徒(由香と呼ばれていたか?)とは面識がない。どこかで見掛けたような気はするが、名前も知らない。一柳さんのクラスメイトかもしれない。
しかし、その奥。廊下で待っていた三人の内の一人は、僕のクラスメイト、小西さんだった。久瀬高校に入学して約半年。さすがの僕でも間違えるはずがない。
「なんで小西さんが一柳さんと?」
僕は一年五組。そして一柳さんは一年三組だ。クラスが違うので当然文化祭の企画も異なる。ならば、なぜ小西さんが一柳さんを呼びに来るのだろう。
「……」
別に大した真相ではないのだろう。クラスの違う女子を呼びに来る理由など、ざっと考えてもいくつか思いつく。次の日には忘れてしまうような、どうでも良い理由に違いない。
……それなのに。それなのに、どうも胸をざらりと撫でる、嫌な感覚がある。「文化祭関係の用事」と、少し言葉を濁した一柳の表情。何か、明確な意図をもって僕を遠ざけた……ように感じた。
そういえば、二日前。溝口先生が依頼に来る直前。一柳さんは、僕に何かを言いかけていた。確か、文集が薄くなってしまうという話で、僕に何かを伝えようとして、何か後ろめたそうに口籠もっていたのだ。
先ほどの表情は、その時の顔と同じだった。
隠し事と言っても、何か悪意をもって僕を陥れようとしているわけではないと思う。実際、彼女はその秘密を僕に打ち明けようとしていたわけだし、その時に僕を気遣っていたようにも見えた。
だからこそ、僕は恐怖する。その些細な秘密が、僕の自尊心だとか自己肯定とか、そういった僕の本質的な基盤を、決定的に破壊してしまう気がしてならないからだ。
だって、彼女の表情を説明するならば、それは「憐憫」という他なかった……。
一柳さんの行動に違和感を覚えたが、しかし予感は予感でしかない。結局のところ根拠の無い不安だ。その上取り除く術も持ち合わせていない。考えるだけ無駄だろう。
僕は一人の部室で、「柚月ひな」の調査を進めることにした。文化祭の足音は聞こえ始めている。急がなくてはならない。
さて、彼女の特定を行うにあたって、一体どの放送を見るべきだろうか。昨日まではあまり深く考えずに選んでしまっていたが、もう少し慎重に候補を絞るべきだろう。
そして僕は少し考え、
「やっぱり、雑談配信かな」
約二週間前に放送された雑談配信を開いた。
当然ながら雑談配信では言葉が多くなる。単純に考えても、雑談で彼女が発する情報量は他の企画と比べて多くなるだろう。
それに、雑談では台本が用意されていない。大まかな話題は決まっているのかもしれないが、基本的にその場で考えたことを口にしているはずだ。
だからこそ、雑談配信では気が抜けてしまう。以前見た雑談では、まるで友人と話すかのように、視聴者のコメントに反応していた。うっかり身の回りの話をしていても不思議ではないだろう。
言葉が多い上に、台本が無く、「柚月ひな」の気も緩んでしまう雑談配信でこそ、情報を漏らしてしまった可能性が高いはずだ、と僕は推理したのだ。
『はい! こんヒナ! 柑橘類系ライバーの柚月ひなです!』
最早聞き慣れた声で、配信の開始を告げる挨拶が聞こえる。
『もう夏休みが終わっちゃうよ! 私、まだ宿題も終わってないんですよね。ホント、ヤバいよ。そういえば、みんなって学生さんなのかな。夏休み中だよってリスナーさんいますか?』
配信された時はまだ夏休み。僕はそのアーカイブを追っている。
『まあ、宿題なんてどうでもいいか! 今はみんなとのお喋りが大事だもん!』
こうして「柚月ひな」の配信が始まった。僕の推理通り、「柚月ひな」の気は抜けているようだった。百人もの視聴者に向けて話しているのに、緊張している様子は微塵も感じられない。この調子で、うっかり口を滑らせるかもしれない。
そう期待したのだが。
『でね! その時携帯が鳴っちゃって、もう大変!』
『そう! 猫ちゃんだと思って近づいたのに、ポリ袋だったんです! しかも、それをご近所さんに見られちゃったの! もう恥ずかしくって。それにしても、ポイ捨ては駄目ですよ!』
『あー! 懐かしい! 私が子供の時にやってたアニメの話ですよね! え? まだそんなに経ってないはずって……でも十年前ですよね?』
『面白いよね! あの漫画! 私も最近、一気読みしたよ! お陰様で整い始めた体内時計がまた狂い出したけど……』
「……」
配信を聴けども聴けども、有力な情報は何一つ出てこない。箸にも棒にも掛からぬ彼女の日常についての話が続いていくだけだった。
そして
『あ、もう一時間か。じゃあ、今日はもう終わりにしようかな』
「……!」
結局何も情報も得られないまま、動画は終わりに近づいていた。いつも通りの、終わりの挨拶が聞こえる。
『じゃあ、チャンネル登録と高評価をお願いします! じゃあ、おつヒナ!』
「……今日も収穫は無しか」
小さくため息を吐く。核心的な証拠とは言わずとも、「柚月ひな」に迫る情報が少しでも手に入らないだろうか。
……欲を言うならば、彼女がこの学校の生徒ではない、という証拠が欲しい。あのメールがただのイタズラであって欲しいのだ。なんだっていい。出身地でも、登校日でも、無数にある彼女の習慣の中から、僕達の習慣との矛盾点があれば、彼女が久瀬高の生徒でないことが明らかになる。それでこの事件はお終いだ。
だが、そう簡単には終わらない。彼女は自分について語らない。だからこそ、いつまでも疑念が残る。彼女が久瀬高校の生徒である可能性を否定することができない。
と、その時であった。
『あ、そうだ。もう一個お知らせがあるんだった!』
残りの再生時間は三十秒。その終わり際、彼女は詰め込むように、口早に言った。
『あのね! また漫画を更新したの! うん。五話目! もしよかったら、見てね! 概要欄にリンク載せておくから! じゃあ、今度こそバイバイ!』
そして、今度こそ動画は終わった。
「……漫画?」
突然の情報に少し戸惑う。彼女は配信者。雑談や歌配信など、動画として発信できるコンテンツの提供には納得がいく。しかし、漫画は全く異なる媒体だ。U Tubeは動画投稿サイトであり、当然漫画の投稿は不可能だ。
そのため彼女も「他サイトへのリンクを載せる」という手段を取らざるを得なかったようだ。正直、別のサイトに漫画を投稿することは、チャンネル登録者を増やすことにはほぼ貢献しないといってもいいだろう。もしも新たな視聴者を漫画によって呼び込もうというのなら、それは明らかに失策だ。
「漫画、か」
思い返せば、「柚月ひな」のキャラクターはアニメーション調のイラストだった。柚子がモデルなのだろう。鮮やかな金髪……いや黄髪か。そして頭からは葉っぱのくっついたヘタが生えている。その他、衣装のあちこちに柚子のモチーフが施されていた。
凝ったキャラクターだと思う。しかし、正直に言って、そのイラストはあまり上手ではなかった。素人らしい、歪んだ線で描かれていたのだ。恐らく、「柚月ひな」本人が制作したのだろう。
「それにしても、漫画を描くなんて知らなかったな」
一つ収穫だ。漫画を描くことができる人間など、そう多くはいないはず。久瀬高校の中に限るのならば、かなり候補を絞ることができるかもしれない。
「……少し気になるな」
調査という面以外でも、彼女が描いたという漫画に、少し興味がある。
僕は「柚月ひな」がU Tube上に載せたURLをクリックし、漫画のサイトページを開いた。
と、そこで少し違和感を覚えた。彼女のU Tube上での活動名は「柚月ひな」だ。しかし、URL先に表示されているアカウント名は「カンキツ」だった。
そして、アカウント情報として簡単な自己紹介も載っていたが、そこにU Tubeでの活動のことが、一切書かれていなかった。
それは少し妙だった。U Tubeを見てこの漫画に辿り着くことがあっても、この漫画からU Tubeの「柚月ひな」を知ることはできないのだ。つまり、このサイトでの漫画活動が、U Tubeに貢献することはない。
とはいえ、「柚月ひな」が登録者数を増やすことに、躍起になっていたとも限らない。登録者数なんてどうでも良く、単に様々な活動を楽しんでいる可能性だってあるだろう。
とにかく、調査だ。僕は「カンキツ」のユーザーページから漫画を開いた。タイトルページが画面上に表示される。
題名は「高校オカルト部」。現在、六話まで公開されている。ペンネームは「柚月ひな」ではなく、やはり「カンキツ」だ。U Tubeと名前が違うことに少し戸惑ったが、絵柄が「柚月ひな」のイラストに瓜二つだったため、「高校オカルト部」が彼女の漫画であることは疑う余地もないだろう。
この漫画は久瀬高校の生徒が描いた可能性がある。そう考えると、何故だか、女子のノートを勝手に盗み見ているかのような錯覚に陥る。少し申し訳なく思いながら、けれどもやっぱり胸を弾ませながら、「高校オカルト部」のページを捲った。
「……」
一ページ目を見て、少し落胆した。彼女の画力が高くないことは知っていた。当然「高校オカルト部」の作画も上手ではなかったし、寧ろ、一ページに複数のコマを配置するため、各コマの作画は「柚月ひな」のイラストと比べて、少し乱雑になっていた。
しかし、それは別に構わなかった。絵が下手な漫画が、必ずしも面白くないとも限らないからだ。
時間を掛けて一ページ読み、二ページ目へ進む。
「……」
小さくため息を吐き、三ページ目、四ページ目……と流すように捲った。そして、僕の期待は完全に消失した。
その漫画は、下手だった。絵もだが、それ以上に漫画が下手なのだ。
漫画は絵と文字で構成され、複数の場面が一ページに収まっている。また、コマの形はある程度自在であり、シーンに適した構図に合わせ、自由に配置する。
だが、自由といっても、乱雑に配置して良いわけではない。自由だからこそ、読者が読みやすいように……目が滑らないように、構図、アングル、果ては文字の位置に至るまで、細部に気を配る必要がある。
しかし、「高校オカルト部」には、そのような心配りは微塵も感じられなかった。一ページあたり六コマという標準的なコマ割だが、全てのコマにおいて文字が多すぎる。そして画作りも単純だった。
基本的に、胸から上、やや左を向いた人間しか描かれない。その人物から大きなフキダシが伸び、小さな文字が詰め込まれている。そのようなコマが六つ並んでいるのだ。
要するに、「高校オカルト部」は漫画であるくせに、画で説明を行わない。語り手だけを描き、後は全てを文字で説明してしまうのだ。
文字が多いので、読むことに時間が掛かってしまう。画で見せてくれないので、想像が難しい。それは最早、漫画としての魅力を欠いていた。
それでも、僕は数ページ読み進めた。
しかし、いくらページを進めても、似たようなコマ割の、似たような構図が繰り返されている。
「……」
ジャンルは日常ホラー。とある高校が舞台であり、その高校で噂される怪談の正体を追う、というものだった。いかにも一柳さんが好きそうなジャンルである。僕も、日常の謎を追う展開は好きなので、ストーリーには期待を持っていた。
しかし。
「ううむ」
結局、噂通りに幽霊が出てきて、主人公達が悲鳴を上げる。それが一話の内容だった。驚くべき真相も、身の毛のよだつような緊迫感もない。ストーリーに起伏がないのだ。
構図、コマ割、ストーリー。それら全てが拙劣であることで、画力の低さも際立ってしまっていた。彼女が自分で描くことができるのは、やや左を向いた人間の顔だけであるようだ。稀に、全身を描いたものや、俯瞰、あおりで見た人体が描かれることもあるのだが、それは写真をそのまま透写したようで、頭身が現実的なものになっている。
それ単体で見るならば、下手とは言えないのだが、元々のキャラクターが漫画的にデフォルメされていることを考えると、世界感とは合っていない。背景も同じように、写実的なものがある一方で、稚拙なものも目立っていた。その一定しない画力も相俟って、余計に読みにくい漫画となってしまっている。
正直、絵が上手であれば、ストーリーがどれだけ酷くても、読めないということはない。上手な絵はそれだけで価値をもつものだ。
それは逆もまた然り。何か一つでも光るものがあれば、人の目を引くことができる。読者を繋ぎ止めることができる。
しかし、「高校オカルト部」に関しては、何一つ褒めるべき点が見当たらない。僕は数話読み進めたが、脳が理解を拒み始め、遂に読むことを止めてしまった。
「高校オカルト部」は現在六話までの公開で、一話あたり約十ページ。合計で約六十ページ。それほどの量を連載している熱意は、素直に立派だと思う。しかし、だからといって、それで漫画が面白くなるわけではない。
調査の面からしても、やはり有力な手がかりは得られなかった。高校が舞台とはいえ、「高校オカルト部」はフィクションだ。「柚月ひな」の正体に迫るような証拠を得ることは不可能であった。
全くもって、期待外れと言えるだろう。
……それにしても。
僕がここまで彼女の漫画に期待を寄せていたのは、とある理由があった。それは
『ひなちゃんの漫画待ってた!』
『めちゃめちゃ面白いから楽しみ!』
『今商業誌で連載しているやつより面白い!』
今日見た雑談配信で、視聴者が寄せた言葉。それらはやはり、彼女を賞賛するものばかりだった。その言葉を受けて僕は期待したのだった。
しかし、歌配信と同様、その言葉は実力に見合わないお世辞であった。
U Tube上で恋人を演じる「柚月ひな」。彼女の行動の全てを肯定する視聴者。彼等の関係に対して僕は、えも言われぬ不快感を覚えていた。
調査を開始してから随分時間が経ってしまった。今日はもう帰ろう、とノートパソコンを閉じようとした瞬間であった。
「ただいま」
部室のドアが開き、一柳さんが入ってきた。
「あれ、戻ってきたんだ」
「うん。部室の明かりがまだ点いてたから」
下校時刻までには、まだ少し時間がある。今からでも、調査を再開するべきだろうか。そんな風に迷っていると、一柳さんが僕の隣に座った。
「今日は何を見ていたの?」
「今日は雑談を見て、漫画を読んだよ」
有力な手がかりは見つからなかったけど、と苦笑する。
「漫画?」
一柳さんは怪訝そうに訊ねた。
「あ、別に遊んでいたわけじゃないよ。『柚月ひな』は漫画も描いていたんだ。彼女が描いた漫画に、何か手がかりがないかと思って」
そう言って、ノートパソコンを彼女に見せる。画面には、まだ「高校オカルト部」が表示されたままになっている。
「ふうん」
一柳さんはそれを覗き込み
「……え?」
絶句した。
「……一柳さん? どうかした?」
僕の問い掛けにも答えず、彼女はページを進めた。そして小さく
「どうして……」
と呟いた。
「一柳さん?」
再び呼びかけて、ようやく彼女は口を開いた。
「……石澤くん。私、『柚月ひな』の正体がわかったかも」
「……!」
まさかと思い、画面を覗き込む。しかし、やはりやはり何か証拠があるとは思えない。
「一柳さん。どこでわかったの? どこに、そんな証拠があったの?」
思わず、前のめりに訊ねてしまう。そんな僕を片手で制して言った。
「落ち着いて。別に推理とか、洞察とかじゃないの。ただの偶然」
「……偶然って?」
一柳さんはマウスに手を掛け、数ページ遡る。
「私、この漫画を見たことがあるの」
「え?」
彼女は僕を見て、確かに言った。
「だからね。この漫画を描いている人を知っているの。その人から、直接見せてもらったことがあるの」
「見せてもらった? この漫画を?」
一柳さんは小さく頷く。信じられない話だが、本人から直接見せてもらった、というのなら間違いないのだろう。一柳さんは「高校オカルト部」を知っていて、そしてその作者を知っている。つまり、「柚月ひな」の正体を知っているのだ。
それにしても、一柳さんの話が本当ならば、一柳さんと「柚月ひな」は知り合いということになる。ということは
「……やっぱり、『柚月ひな』は久瀬高校の生徒なの?」
一柳さんは小さく頷く。学校に届いたメールは正しかった。「柚月ひな」は久瀬高校の生徒なのだ。あのメールはイタズラではなかった……。
つまり、配信から「柚月ひな」の情報を得て、久瀬高校の生徒という事実を特定した人間が、確かに存在している、ということだ。
「ということはつまり、メールを送った人も、一柳さんみたいにこの漫画のことを知っていたってことだよね。だから高校を特定できた。じゃあ、この漫画自体が、証拠ってことか」
ついに突き止めた。推理で、というわけにはいかなかったが、見つかってよかった。一柳さんが調査に積極的で助かった。
と、思ったのだが
「……どうだろう」
一柳さんは目を細めた。
「え? だって、一柳さんだって、この漫画の作者を知っていたからこそ、『柚月ひな』の正体がわかったんでしょ?」
「そうだけど。でも、作者を知っているのは、私が久瀬高校の生徒だからだよ。私と彼女が知り合いで、直接見せてもらったからこそ、私は『高校オカルト部』を知っているの」
「……たしかに」
「柚月ひな」は有名な漫画家ではない。ただの高校生だ。もし「高校オカルト部」の作者を知っているとするならば。
「メールを送った人は、もともと『柚月ひな』の知り合いの可能性が高いってことになるね」
しかし、それでは少しおかしい。僕達は、「柚月ひな」のファンが、彼女を特定しようとしている可能性を考えて行動してきた。だが、元々彼女と知り合いだというのなら、あのメールは一体何だったのか。犯人の目的が「柚月ひな」の特定ではないのなら、一体何が目的なのか。
「柚月ひな」の身を案じてメールを送った、というのはどうだろう。先生に注意させて、活動を辞めさせようとしている可能性はあるはずだ。……しかし知り合いならば直接言えばいいはずだ。わざわざ学校に脅迫めいたメールを送った理由は何だろう。
一柳さんは首を傾げた。
「……メールの内容って、『柚月ひなは久瀬高校の生徒だ』だけだったよね?」
「そうだね」
「それも、少し変じゃない? だって、彼女の知り合いだというのなら、学校だけじゃなくて、本人の特定まで可能なはずでしょ?」
「たしかに、そうだね」
それなのに、何故学校だけを伝えたのか。一柳さんはその鋭い目で僕を見つめた。
「……ねえ、石澤くん。これは私の勝手な想像でしかないけど、私が『柚月ひな』の正体に気づいた証拠と、メールの犯人が気づいた証拠は、別とは考えられない?」
「犯人はやっぱり学外にいて、『柚月ひな』を特定しているってこと?」
一柳さんは小さく頷く。
「彼女の動画や漫画の中に、久瀬高校の生徒である証拠があって、犯人は『柚月ひな』の特定を試みている、って考えるべきだと思うの。……だって、本当に悪い大人が彼女を追っている可能性だってあるはずでしょ?」
もし、「犯人は彼女の知り合いだ」と決めつけてしまったら。そして犯人が彼女の知り合いではなかったら。本当に悪い大人だったら。……犯人から彼女を守れない。
「確かに、他の証拠があると考えた方が、賢明だね」
一柳さんの意見に賛同し、苦い顔をする。調査はまだ終わっていない。そんな僕の表情を見て、一柳さんは得意気に微笑んだ。
「でも、『柚月ひな』の正体はわかっているから、話は簡単だよね」
「え?」
「だって、本人がこの学校にいるんだよ。だったら、心当たりを直接聞けばいい。石澤くんも調査を初めた日に言ってたでしょ。『本人の特定を先にして、あとはじっくり話を聞けばいい』って」
「ああ……」
確かに妙案だ。しかし
「あと一日、待ってくれないかな」
僕がそう言うと、彼女は眉をひそめた。
「え?」
「だって、彼女に心当たりがあるとも限らないんだよ。もしも、彼女も気づいていないところから犯人が情報を得ていたとして、僕等がそれを訊きにいってしまったら、無闇に彼女を怖がらせてしまうだけじゃないか」
「……」
「できるなら、情報漏洩の根拠を示してあげた方が、彼女も納得するし、安心もするんじゃないかな」
「……そうなの?」
彼女は訝しげに僕に尋ねた。僕は力強く頷いて、それ以上の反論を許さなかった。そして、最後の一押しで、
「一柳さん。あと一日でいいんだ。あと一日だけ考えてみよう」
と一柳さんを説得した。
「勿論、それ以降は待てない。文化祭が近いからね。明日考えてもわからなかったら、『柚月ひな』本人に、思い当たることがないか訊きにいこう」
「……ええ。ありがとう」
その一日の差に一体何の意味があるのか、一柳さんは納得していない様子で、渋々頷いた。
それにしても本当にあるのだろうか、「柚月ひな」が久瀬高生である証拠が。あの、とりとめのない雑談の中に、素人らしい歌や漫画の中に、あるのだろうか。
考えてもわからない。しかし、あのメールの内容が本当であることはわかった。イタズラではないことがわかったのだ。
ならば、彼女が証拠を残している可能性は充分にある。もしあるのなら、必ず探し出してみせよう。だって、僕は探偵。この世の謎を解き明かす者だ。他でもないこの僕が、僕だけが、この謎を解ける。
僕が、解くんだ。
そう決意して僕達は帰路に就いた。
こうして、三日目の調査は終了したのだった。
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