第3話 調査一日目

 溝口先生が退室した後、僕達は早速調査を開始した。

「と言っても、中々に難しい依頼じゃない? これ。メールの差出人は一体何を見たのか、それを明らかにしろってことでしょう?」

 先ほどまで、少しだけ不満げな様子だったが、調査が始まってしまえば一柳さんは協力的だった。

「もし、たった一つの配信で口が滑った、なんてことだったら、かなり厳しいわよね」

「……そうだね」

 検索したところ、「柚月ひな」がこれまでにアップロードした動画は三百を超えていた。そして一つの動画あたり、約一時間の長さがある。これら全てを調査するのは、さすがに無理があるだろう。

 その上、アップロードした動画は、投稿者の意思で取り消すことが可能である。「柚月ひな」が個人情報をうっかり口にしていたとしても、それに気づいた彼女が動画の公開を取りやめてしまっているかもしれない。

 そうなれば、骨折り損のくたびれ儲けだ。ならば。

「まずは、『柚月ひな』の特定を先に進めた方がいいかもしれないね」

 もし彼女の特定ができれば、本人から漏れた情報の心当たりを確認できる。その方が、配信全てを確認するよりも楽だろう。

「……? 彼女が漏らした個人情報がわからないと、特定は難しいんじゃないの?」

「いや、そうとも限らないよ」

 首を傾げる一柳に説明する。

「だって、僕達は久瀬高校の生徒だよ。『柚月ひな』と同じ高校だ。それは、特定する上で大きなアドバンテージだよ。例えば……」

 言って、僕は溝口先生から借りたノートパソコンで「柚月ひな」の動画を流す。

「例えば、この声、とかさ」

 『柚月ひな』の外見は、アニメーション調のキャラクターだ。現実の肉体は一部も晒していない。

 だが、声は違う。彼女は声を加工することなく、そのままの声で話している。

「『柚月ひな』を一から特定することは難しい。それこそ、同じ声の人物を日本中から探すなんて、無謀だよ。だけど、僕達は違う。『柚月ひな』が久瀬高校の生徒だというのなら、同じ声の人を探すことは不可能じゃないと思う」

 声の他にも、同じ高校に通う者だからこそ発見できる情報があるはずだ。「柚月ひな」がうっかり漏らした情報の発見なんぞより、彼女自身の特定の方が遙かに簡単かもしれないのだ。

 一柳さんは「なるほどね」と、小さく頷いた。

「でも、声による特定は難しいんじゃないかしら」

 一柳さんは申し訳なさそうにして、小さな声で言った。

「え? そう? だって、『柚月ひな』の声は特徴的じゃないか。こんな声の人、そうそう居ないと思うけど……」

 言って、気づいた。

 特徴的だからこそ、そうそう居ないからこそ、難しいのだ。

 僕の様子を見て、一柳さんは頷いた。

「この声は、作られた声なの。彼女は『柚月ひな』の時、声色を変えている。この声から、元の声を辿ることは難しいと思う。それに、久瀬高校の生徒は千五百人。日本の総人口よりかは圧倒的に少ないけれど……でも、調査するには、決して少なくない数字だよ」

 確かに、配信上の声は「柚月ひな」の声であって、「久瀬高校の生徒」の声ではない。彼女はアニメーションのキャラクターのように振る舞う。元の声を知ることは難しいだろう。正直、「柚月ひな」の正体は一柳さんでした、と言われても、「こんな声出たんだね」と納得してしまうだろう。……まあ、流石に一柳さんではないだろうけれど。

 それに、仮に似た声の人物を見つけることができても、確証が持てない。所詮「似た声」の域を出ないからだ。

「確かに、声から特定するのは無理そうだね。何か、他に決定的な証拠があるといいんだけど……」

 僕達は、目の前のノートパソコンを覗き込んだ。画面の上では、「柚月ひな」が明るい声で視聴者と話していた。

『今日は朝からずっとゲームしてたよ! あ、嘘。ごめん。起きたのが十二時だから、お昼からか』

「おやおや。昼に起きるなんて、怠け者だね」

 半笑いで軽口を叩くと、一柳さんが呆れたように言った。

「よく言うよ。石澤くんだって、夏休み中、いつも午後になってから部室に来てたじゃない」

 そうでした。

「まあ、夏休みに早起きする理由なんてないし」

「理由なんてなくても生活リズムくらい整えなよ」

「……」

 全くの正論で、一切の反論ができない。しかし議論で敗北したからといって治るものでもない。僕の怠惰な生活は続くだろう。休日限定で。

「……あれ? ちょっと待って」

 先ほどまでの無意味に思えた会話の中に、「柚月ひな」を特定する上での鍵があった。それほど重要な情報でもないが、彼女に関する情報を、一つだけ確定できるかもしれない。

「一柳さん。この配信が行われた日時っていつ?」

「え? ええっと、大体二週間前かな」

「曜日は?」

「えっと……火曜日ね」

 火曜日。なるほど。

「一柳さん。『柚月ひな』が久瀬高校の生徒はどうかはまだ判断しかねるけれど、少なくとも、彼女が学生である可能性は高いよ」

「え? どうして?」

 首を傾げる一柳さんに説明する。

「だって、彼女が起きたのは十二時。それも火曜日だ。彼女が社会人であるなら、平日に昼過ぎまで寝ていられるわけがない」

 一柳さんは首を傾げた。

「それは学生も一緒でしょ? 学校があるんだから。寧ろ社会人の方が、融通が利きやすいと思うけど」

「一柳さん。二週間前はまだ八月だよ」

 言って、一柳さんは納得したように手を打った。

「そっか、夏休み」

「その通り」

 学校から解放される夏休み。早起きを強制する者は誰もいない。ならば惰眠を貪って、お昼過ぎにのそのそと布団から出るのが、学生というものではないだろうか。

「でも、だからといって高校生かはわからないし、そもそも、学生って確定したわけでもないでしょう?」

 一柳さんの言う通りだ。

 学生と一口に言っても、小、中、高、大、エトセトラ……の可能性がある。声の調子からして小学生ではないとしても、中学生と言われればそんな気もするし、大学生と言われても納得するだろう。見た目からでも年齢の判断など困難を極めるのだ。声だけで歳を当てるのは不可能だろう。

 それに、学生と確定できるわけでもない。社会人だって、平日に休もうと思えば休むことはできるだろう。そもそも、働いていない人だっている。火曜が定休日となっている職種だって少なくないだろう。

 しかし。

「確定するのはこれからだよ」

「え?」

 僕はノートパソコンに目をやる。もはや見飽きた「柚月ひな」からは一旦目を逸らし、画面の左端を見つめた。そこでは小さな文字が画面上にスクロールしながら表示されていた。

「ビンゴだ」

 僕はそこに流れたとある文章を見て、ほくそ笑んだ。

「何を見ているの?」

 不思議そうな顔で一柳さんが覗き込んだ。

「コメントだよ。一柳さん」

 U Tubeには、コメントの機能がある。コメント機能では投稿者がアップロードした動画に対して、感想や意見を書くことができるのだ。これもまた、U Tubeのアカウントさえあれば、誰でも自由に書くことが可能だ。

 そして、ライブ配信においてもコメント機能は存在しており、こちらのコメントは、生配信中、リアルタイムに打ち込むことが可能なのだ。

 配信者のライブ配信を見て、その感想を随時書き込む。そしてそのコメントは当然配信者も見ることができる。配信者がそのコメントに対して反応を返すこともある。

 つまり、コメントを用いることで、配信者と視聴者の間でコミュニケーションをとることが可能なのだ。

「そんなこと言われなくてもわかってる。そのコメントの、何を見ていたの?」

「うん、これだよ」

 僕は画面上に映ったとあるコメントを指し示した。

『いいなー。ひなちゃんは夏休みなのかな?』

 視聴者はコメント機能を用いて、コミュニケーションを図る。彼女に好意を伝える手段になるだろうし、気になることがあれば訊ねるだろう。

 平日の昼間に起床する、というややイレギュラーな状況に、誰かは反応するだろうと思っていたのだ。

 そして

『そうだよ! ひなはバーチャル高校生なのです! 今は夏休みで、もう毎日お昼起き! 最高~! 助けて~!』

「わはは」

 昼起きは最高だが最悪。止めることは不可能だが、しかし助けて欲しい。そんなパラドクスに共感し、思わず笑ってしまう。憐れ、憐れ。そんな僕を一柳さんが冷たく見つめた。

「……まあ、なんでもいいけど。でも、今確かに言ったわよね。『ひなは高校生』って」

「うん。言ったね。これで少なくとも彼女が高校生であることは確定したわけだ」

 彼女が自発的に言わないことでも、視聴者が引き出すこともあるだろう。そして繰り返すようだが、コメント機能は誰でも使える。つまり、僕にも使える。必要があれば、僕が知りたいことを直接訊くことも可能なのだ。もっとも、彼女が僕の質問に答えてくれるかは彼女次第だが。

 それにしても。

「『柚月ひな』はあっさりと高校生であることを白状したね」

「ええ、この子、脳天気すぎるんじゃない?」

「どうだろうね」

 正直、高校生なんて日本中に何人だっているのだし、その程度の情報を開示したところで個人情報が特定できるとは思えない。

 しかし、この調子で訊かれたことに対して、次々に解答している可能性もある。それこそ、高校を特定できるような情報を開示しているかもしれない。

 僕達は「柚月ひな」の配信を見続けた。

『え~? 高校生っぽくない? もっと年上だと思ってた? なにそれ! 老けてるってこと~? ……え? 大人っぽい? もう、なんかうまく煙に巻かれたような気がするんだけど! 気のせいかな』

 ……それにしても。

『そうだよ! ピッチピチの高校生です! え? はいとくかん、でドキドキする? なに? はいとくかんって。あ、あ~。禁断の恋的な? あは、そうですよ。みんな手を出しちゃだめですよ~』

 ……きっと、「柚月ひな」は脳天気なんかじゃない。寧ろ……

「あ、見て。このコメントで、新たに情報が得られるかも」

 一柳さんがとあるコメントに注目した。その声で我に返り、僕も画面を見つめた。

『ひなちゃんって、何か部活に入っているの?』

 見知らぬ誰かのコメント。

「確かにこれがわかれば、『柚月ひな』の特定はうまくいくかもね」

 部活動を絞ることができれば、調査する人数は格段に減る。直接「柚月ひな」を見つけ出すことができるだろう。そして

『ん? ひなの部活?』

 そのコメントは「柚月ひな」の目に留まり

『ごめんなさい! 部活動は秘密です!』

 はぐらかされてしまった。

「あれれ」

 高校生であることを開示しているのだ。部活動を公開など、躊躇うはずがないと思っていたのだが。

『乙女には秘密の一つや二つ、あって当然なの!』

 とのことらしい。

「困ったね。まあ、乙女の秘密なら仕方ないよね。乙女の秘密なんだから」

「……バカにしてる?」

 冷ややかに睨む一柳さんの視線を無視し、「柚木ひな」を見る。

 乙女の秘密。部活動は不明のまま。彼女は訊かれたことを、手当たり次第に答えているわけではない。答えたくないことは答えない。彼女の個人情報に繋がる情報を引き出すことは難しいのかもしれない。

 そして、その予想は当たる。

『ちょっと、その質問には答えられないかな? ごめんね!』

『え? うーん。内緒!』

『駄目です! 教えません!』

 「柚月ひな」が高校生である、という話題から、彼女の高校に関する質問が幾つか飛んだ。それこそ、彼女の出身地を訊く者だっていた。しかし、結局彼女が明かした情報は、「彼女が高校生である」というものだけだった。

「ま、そう簡単にはいかないよね」

 一柳さんは小さくため息を吐いた。

「考え無しかと思っていたけど、そんなわけないよね。だって、配信だもん。最近はインターネット上のトラブルなんて日常茶飯事だし、実際に事件も起こってる。『柚月ひな』だってリスクは承知のはず。ああ見えて、上手に立ち回っていたのね」

「そうだね。じゃなきゃ、三百個も動画を出せてないだろうし」

 今日、アーカイブを一つ見て、彼女の配信には隙などないことを確認した。彼女は自身に繋がる情報は一切開示しなかったし、質問を断る際も躊躇いを見せなかった。きっと、予め開示する情報と秘匿する情報を決めていたのだろう。

 「柚月ひな」の配信は健全とは言いがたい。高校生の彼女は、顔も見たことがない視聴者のことを恋人と呼び、インターネットでデートを行う。その行為の危険性がわからないはずがないだろう。彼女が高校生だというのなら尚更だ。彼女はそのリスクを承知で、配信を行っているはずだ。

 ならば、個人情報については細心の注意を払っているのだろう。

 ……だが。

「でも、情報は漏れた」

「……」

 彼女が久瀬高校出身という情報が、漏れている。

 当然、その情報が誤りである可能性も高い。今日の彼女を見ている限り、誰かのイタズラであると結論づけてしまいたくなる。

 しかし

「もし、本当に彼女が久瀬高校出身だとしたら」

 一体いつ、どこで漏れたのだろう。

「……」

 考えている内に、

『じゃあ、今日の配信はこれでお終いです! 最後までありがとう! 高評価、チャンネル登録をお願いします! おつヒナ!』

 「柚月ひな」の元気な声と共に配信は終わってしまった。そして同時に、下校時刻も近づいていた。

 僕は仕方無くノートパソコンを閉じた。

「高校生、ね」

 一柳さんにも聞こえないほどの小さな声で呟く。「柚月ひな」は、自らが高校生であることを明かした。断定はできないが、口調からして彼女が高校生であることは、普段から公言しているのだろう。

 それは迂闊なことだろうか。間抜けな決断だろうか。

 ……それは、多分違う。別に高校生であることを公言したところで、その事実に特別な意味はないはずだ。

 だから、問題は

『ひなちゃんって高校生だったの?』

『背徳感でドキドキする!』

 その事実に、色を付けてしまう人ではないだろうか。

 今日見たアーカイブの再生回数は二千三百。彼女のチャンネル登録者数は、一万人。もし、「柚月ひな」が高校生であることを普段から公言しているのならば、視聴者の中にその事実を知っている人間もいたはずだ。

 その事実を知りながら、彼女とデートを重ねる者がいる。否、その事実を知ったからこそ、かもしれない。

「……」

 結局、その日は有力な情報を得ることができないまま、僕達は部室を後にした。

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