決意

 ナタンが「無法の街ロウレス」を訪れてから、かれこれ半年以上が過ぎようとしていた。

 リリエ専属の護衛となったナタンは、彼女の「帝都跡」探索へ幾度も同行し、未知の魔導絡繰まどうからくりの発見や、地図の更新に貢献している。もちろん、それにはフェリクスやセレスティア、ラカニたちの力もあってこそであることを、彼も理解していた。

 法のない街での暮らしには人間同士のいざこざも付き物で、ナタンも時折ごとに巻き込まれることがあったものの、その結果、多少のことでは動じなくなっていた。

 そんな発掘人ディガーとしての生活も、総合的に見れば概ね楽しいものと言えるが、いつしかナタンの中には、一つの思いが育っていた。

 何度目かの探索を終えて迎えた休養日、ナタンは、リリエに自分の考えを告げる決意をした。

 折よく、フェリクスとセレスティアは、街にある雑貨屋で見たい物があると言って外出している。

 宿の部屋で、ナタンはリリエに、二人で話したいことがあると切り出した。

 二人は、向きあって椅子に腰掛けた。

 ナタンの真剣な表情に、リリエは何かを感じたのか、少し不安そうな様子を見せている。

「……俺、そろそろ、クラージュに帰ろうと思ってる。やりたいことができて、その為には、勉強が必要だと気付いたんだ」

 やや逡巡した後、ナタンは口を開いた。

 彼の言葉に、リリエは、びくりと肩を震わせた。

「……そ、そうですか。わ……分かりました。ナタンさんにも、事情がありますよね」

「それでさ……」

 ナタンが言いかけた時、リリエはおもむろに眼鏡を外した。

 両手の甲で、しきりに目をこする彼女は、泣き出してしまいそうになるのを必死に耐えているようだった。

「ごめんなさい……頭では分かっていても、ナタンさんと一緒にいられなくなると思ったら……」

 リリエのはしばみ色の大きな目から、抑えきれなかったのか大粒の涙がこぼれた。

「……私も……ナタンさんたちに何度も探索に付き合ってもらったお陰で、研究の為の資料も集まったし、一区切りつけなければとは思っていたんですけど……『無法の街ロウレス』を離れたら、ナタンさんともお別れになってしまうから、言い出せなくて……」

 嗚咽おえつしそうになるのをこらええて肩を震わせるリリエに、ナタンは狼狽しつつ、彼女が、そのように思ってくれていたのだと、嬉しさも感じた。

「だったら……俺と一緒に、クラージュに来て欲しい。俺の両親に、会って欲しい」

 ナタンの言葉の意味を理解するのに時間がかかったのか、リリエの動きが数秒のあいだ止まった。

「……それって、どういう……」

「俺も、君と、ずっと一緒にいたいからさ。まだ俺は半人前だし、今すぐに、どうこうするというのは無理だけど……これから先、一緒にいるって『約束』をしたいんだ」

 驚きに目を見張るリリエを、ナタンは真っすぐに見つめた。

「ただ、俺の実家って、ちょっと面倒くさい家なんだけどね……」

 そこまで言うと、ナタンは急に恥ずかしくなり、顔を赤らめて俯いた。

 ――この街に来た日には、まさか、自分が誰かに、こんなことを言う時が来るなんて思っていなかったのに……でも、今は、それしか考えられない……ああ、でも、リリエにとっては唐突な話だろうな……

 ナタンは、判決を待つ被告人の如く緊張しながら、リリエの返答を待った。 

「あの……わ、私で、いいんですか?」

「君が、いいんだ……君じゃないと、嫌だ」

 声を震わせるリリエの手を、ナタンは、そっと握った。

「……わ、私、ナタンさんと一緒に行きます」

 リリエは力強く頷いて、これまでになく嬉しそうな微笑みを浮かべた。

「よ……よかったぁ~」

 緊張の解けたナタンは、大きく息をついた。

「でも、ごめん。俺の気持ちで、君の予定や都合を捻じ曲げちゃうことになるけど……」

「論文は、どこででも書けるし、ナタンさんが私を必要としてくれるのが嬉しいから、大丈夫です」

 言って、リリエはナタンの手を握り返した。

「そういえば、ご実家が面倒くさいって、どういうことなんですか?」

「それなんだけどね……俺の本名は、ナタン・エトワールっていうんだ。君なら、何となく分かると思う」

 ナタンは、ぽつぽつと話し始めた。

「エトワール……って、もしかして、ナタンさんは、クラージュ共和国初代大統領のアーブル・エトワールの子孫なんですか?」

 リリエが、驚いた様子で再び目を見開いた。

「ご名答。お陰で、うちは今でも政治家の家系ってやつなんだ。でも、俺は三男で跡継ぎになる可能性も限りなく低いし、あまり心配することもないとは思うけど……一応、話しておかなくちゃと思って」

 言い終えたナタンは、恐る恐るリリエの顔を見た。

「そう、なんですね……ナタンさんって、育ちが良さそうというか、他の人たちとは何となく違う感じがしてましたけど、そう言われれば納得できる気もします」

 リリエは、なるほどといった様子で頷いていたが、ふと心配そうにナタンを見返した。

「……そんなに凄いおうちだったら、私みたいな一般人では……その……」

「大丈夫だよ。うちの両親は、そこまでうるさくないし。もしかしたら、親戚連中の一部が、何か言ってくるかもしれない……でも、君のことは、何があっても俺が守るから!」

 ナタンは、リリエに逃げられてはたまらないとばかりに言った。

「はい、ナタンさんを信じます」

 安心したかのような笑顔を見せるリリエの姿に、ナタンは、この上ない幸せを感じた。

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