29歳俳優、男子高校生のパパになる

ダチョウ

第1話

「この子、あんたの息子」


青天の霹靂という言葉がある。けれど普通に生きていれば、それほど衝撃的な事は起こらない。

しかし松井蒼馬の身には起こった。


明日は久しぶりの休日だから、晩酌をしてのんびり過ごそうと計画していたところに、突然のインターフォン。

そして玄関のドアを開けたら、目の前の女が開口一番これだ。


「すまない、まず、その……どちら様?」

蒼馬は、その言葉を絞り出すのが精一杯だった。

そんな蒼馬を嘲笑うように、女は「ルカ」とだけ吐き捨てた。


蒼馬の混乱を治めるには、それで十分だった。

当時とは異なる化粧に服装でも、それだけで蒼馬はわかるのだ。


「地元の、ルカ先輩ですか」

女・ルカは口角を片方だけ吊り上げて笑う。


蒼馬とルカは、地元の先輩後輩で、一応は恋人同士と呼んで差し支えのない時期もあった。

だが高校生のルカと中学生になったばかりの蒼馬では、遊びに行く場所一つでさえ違っていた。

二人の関係が半年と持たなかったことは、ある種自然なことでもある。


「俺が二年に上がったころには、連絡だって途絶えてたでしょう」

「この子を産んだからね、高校は退学して家も引っ越したの」


そこでやっと、蒼馬はルカの横にいる少年を認識した。

少年というほど幼くはないが、青年と呼べるほど大人びてもいない。

中学生か、高校生になったばかりだろう。

彼はマネキンのように動かず、他人事のようにルカと蒼馬のやりとりを見ていた。


愛嬌のある二重の大きな瞳は、学生時代の母親によく似ている。

母親の顔をコピーしたような造りで、自分とは似ても似つかないな、と蒼馬は思った。


「そうですか。ご報告ドウモ」

早々にドアを閉めようとするが、ルカの鈍器のようなブーツに阻まれる。

蒼馬は反射的にドアを閉める力を緩めてしまった。

しまった、と思い再び力を入れようとする前に、ルカはドアを一気にこじ開ける。


「今度ね、アタシ結婚するから」

「おめでとうございます!お幸せに!」


ほとんどやけくそで、蒼馬は罵倒するように祝いの言葉を叫ぶ。

この女性に関わるとまずいと、蒼馬の脳内危険信号が警告していた。


「だけどね、ダンナは初婚なの。連れ子がいるのもかわいそうじゃない?」

「そうですか?賑やかでいいと思いますよ!」


ドアを邪魔するルカのブーツをどうにか追い出そうと、蒼馬は必死にサンダルで押すが、まったく動かない。

無駄に汗が流れていくだけだった。


「ねぇ、あんたが引き取ってよ」

「ふざけないでくださいよ。俺の子なわけないでしょ!」

「あんたの子に決まってんでしょ」


ルカは地を這うような声で言うと、一気に玄関まで入り込む。

「週刊誌に売ってもいいの? 『若手人気俳優相馬ショウに隠し子がいる』って」


蒼馬はヒュ、とか細く息を吸い込んだ。

「それは」

「今、ずいぶん売れてるもんね。今度は朝ドラにも出るらしいじゃない? 随分クリーンな印象で売ってるみたいだけど……」


ルカはまくしたてるように言うと、「わかるでしょ」と笑みを浮かべる。腹の底の黒さが、顔にまで這い上がっていた。


蒼馬は、俳優だ。

高校生の時にスカウトされ、モデル活動を皮切りに『相馬ショウ』として芸能生活をスタートさせた。

そこからドラマに出演し、必死の思いで演技の技術を磨き、賞を取るまでにのし上がった。


ここにきて、スキャンダルで全てをふいにする気は、蒼馬にはない。


「決まり」

青白い顔をする蒼馬とは対照的に、ルカは上手く息子を預けられたことに気をよくし、頬を紅潮させていた。


彼女はブランド物の革製のカバンを漁ると、役所の書類をまとめ、クリップで粗雑に留めたものを取り出す。


「これ、ひとまず色々必要な書類。アタシの印鑑が必要なトコは全部押してあるから。来週までには、また細々とした書類を郵送しておくから、よろしく」


書類の束を蒼馬の胸に押し付けると、ルカは上機嫌のまま、自分より背の高くなった息子の頭を一度なでる。


「いい子にするんだよ」

それは、母親が我が子を慈しんで言うというよりも、犬猫に対する躾のような言い方だった。


彼は頷くことも、母親の去り行く後姿を見送ることもせず、蒼馬の顔を見る。

空虚な瞳は、持ち主を失った人形の目のようだった。


「雨」

彼が、不意につぶやく。

「あめ?」

蒼馬は玄関から顔を出し、外の様子を窺う。


湿ったにおいと、空から雨粒がまばらに落ちているのが見えた。

「傘持ってないから、困るんですよね」


何に困るのだ、と言いかけて、蒼馬は言葉を飲み込んだ。

この子供は、蒼馬が自分を追い出そうと思っていることを見抜いているのだ。


蒼馬は一度ため息をついて、頭をかき回す。

「あ~、わかったよ。とりあえず一晩だ、一晩。今夜だけ」

少年は、少し安心したように頬を緩めた。


「ありがとうございます、おじさん」

「お、おじさん?」


少年は猫のようにするりと玄関に入ると、すぐさま靴を脱ぎ、家の中に侵入する。

図々しいというか、ふてぶてしいというか。


「お前、名前は?」

「アサ、倉地アサ」


アサは、家の廊下をズンズンと我が物顔で進みながら、そう答えた。

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