節子

「随分と色っぽくなっちゅうねや。」


そう言いながら節子の身体を触る勇に沸き立つ嫌悪感を抑えきれず、全身の毛が総毛立だった。なぜ今更になって、こんなところで再会してしまったのだろう。


「あの後上京したんだけんがよ、言葉も上手ないし、やっぱり地元がええ思って戻ってきたちや。村に戻る気はせんけどな。」

「……そうなんだ。」

「おまんも上手くやりゆうようじゃな。また息抜きに寄らせて貰うわ。」

「…………。」

「じゃあな、別嬪さん。」

「…………。」


翌日、節子はどうしても布団から起き上がる事ができなかった。次の日も、その次の日も同じだった。何か食べなくてはと芋を蒸して口に押し込む。それで漸く自分が空腹であったことに気付く……そんな状態が暫く続き、気づけば月のものも止まっていた。


──もう限界だ。この仕事を辞めよう。


欠勤が続く節子を訪ねて来た店長に退職することを伝えると、引き止められることもなくすんなりと話が通った。ほんの僅かだけ節子の心の重荷が軽くなった──が、しかし。


これからどうしたものだろう。

博に会いに東京に行こうか。

新生活に踏み出すにも、調べなくてはならないことが山程ある。一括りに東京といえど、住むとしたら何処に決めればいいのか。娼婦の経歴しか持たない女に就ける仕事はあるのか。

そういった情報を得るには、書店で雑誌を買うのがいいだろうか。そう考えた節子は近くの書店に足を運んだ。店に入るとすぐに目の付く場所に新刊小説が平置きになっている。その中の一冊に目が行った。


『呪詛の行方』


大きなフォントで書かれたタイトルの横には、少し小さな文字で「竹下 博」の名が記されていた。


──あの人の本だ!


感動とも興奮ともつかない衝動を覚えながら、本を手に取りページを捲った。ざっと目を通すだけでも、いつか喫茶店で話した節子の体験談が物語のベースになっているのが窺える。パラパラと頁をめくり、奥付けの手前まで来て、ふと手がとまった。


『この本を、貧乏に喘ぐ下積み時代から長らく私を支えてくれた我が新妻に捧ぐ』


“我が新妻”の文字に、本を持つ節子の手が細かく震えた。──博は節子の知らない所で、節子の知らない女性と結婚していた。以前からずっと博のことを支えていた他の誰かと。

何も知らずに、わたしは愚かな希望を抱いていたのだ。博にとってわたしはただの行きずりの娼婦に過ぎなかったのだ。


節子にとってただひとつの希望だったものが打ち砕かれた。



その日はどうやって帰宅したのか記憶していない。よろめくように家に戻った所で、節子は突然の吐き気に襲われた。慌ててトイレに駆け込み嘔吐する。

そう言えばまだ生理が止まったままだ。


──……まさか。まさか。


節子の精神は限界に近づいていた。


翌朝、節子は何かを決意したかのように家を飛び出した。電車に乗り、タクシーを乗り継ぎ、節子の第二の故郷となった村を目指す。村の入口で降車し、なるべく人目につかないように裏道を選びながら小松家に辿り着くと、中の様子を窺った。

どうやら誰も居ないようだ。

勝手知ったる家なので、どこから中に入れるかも知っている。

息を殺しながら、物音を立てないように慎重に家の中に滑り込むと、和夫の部屋に直行した。

祭文が納められた箱は、確かあの引き出しの中にあったはず。記憶通りの場所にある箱を袋に納めると、急いで小松家から脱出した。


そうして節子は鬱蒼と茂る木々の暗闇の中に姿を消した。

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