三日目
一
タケシタサン。彼女はあの男性をそう呼んでいた。
昨夜の金縛りを思い出しながら、怜はひとまず情報整理を試みることにした。
昭和21年から31年までの間に、K県の水田新地であの女性と何らかの接触があったタケシタという人物が、裕太の縁者に居るはずだ。彼が何らかの恨みを買い、彼女に呪詛をかけられた……と考えるのが妥当な線だろう。しかし、仮に呪詛をかけられて死んだのだとすれば、その霊魂が裕太の守護霊になるのはまず無理だろう。呪い殺されたのならば強い負の念を放つはずだ。もしかすると、呪詛は未遂に終わったのかもしれない。
何にしても、もう一度裕太に直接会って霊視する必要があるだろう。幸い今は夏休みだから、ホテルを取って暫くN県М市に泊まり込むことにしよう。
二
特急に二時間ほど揺られてN県М市に着くと、タクシーに乗り込み、市の中心部にあるホテルに向かう。ここならば裕太のアパートも近い。チェックインを済ませて部屋に荷物を運び込み一息ついた後、徐ろに裕太に連絡を入れる。
「もしもし、神崎です。」
「あ、怜さん!またまた来てもらっちゃってすみません。」
「いえ、必要な事ですからお気になさらず。そちらの部屋では落ち着いて会話もできませんから、こちらに来ていただいても宜しいですか?」
「分かりました。場所は分かるんで、すぐに向かいますね。」
程なく裕太からホテルの前まで来た旨の連絡が入った。部屋を出て、ホテルのカフェで待ち合わせる。
「さて。早速ですが、K県М市に縁のある人物……何か分かりましたか?」
「それが、親に聞いてみてもやっぱり分からないんです。婆ちゃんは最近ちょっとぼけちゃって、何か聞けるような感じではないもので。」
「そうですか……。では、タケシタという名前に心当たりは?」
「いやぁ、ちょっと無いかなぁ。親戚にもタケシタは居ないしなぁ。」
「う〜ん。」
タケシタ氏と思しき彼は、この会話を交わしている今も裕太の隣に“居る”のだけれど……。
実は、彼と話ができるどうか先日も少し試してはみたのだが、あの女が強い恨みの念でいっぱいで会話にならないのと同じように、彼の方は恐怖と不安でいっぱいのようだ。語りかけても返事がない。
レモンティーを飲んで一息ついてから、会話を再開する。
「もう一度実家に確認してみますね。」
「よろしくお願いします。あと、お酒を毎日変えるのを忘れないようにしてくださいね。」
「大丈夫ですよ。ちゃんとやってるんでご安心ください。」
ひとまず仕事の話はここまでにしよう。
せっかくここまで来たのだから、という裕太の案内でホテル周辺の観光地を見て歩く。古い歴史を偲ばせつつ美しく整備された街並みは、ただ見て歩くだけでも怜の心を弾ませた。裕太は友人と約束があるという事で先に帰ったので、怜もホテルに戻ることにした。
三
怜はバッグから伊邪那美流に関する資料を取り出すと改めて目を通した。
伊邪那美流の呪詛の掛け方には幾つかのタイプがある。ひとつは本人も自覚のないままに負の感情が生霊となって相手に呪いをかけてしまうケースである。もうひとつは太夫に依頼して恨みを持つ相手に呪詛を掛けてもらうやり方だ。あの御幣が関係するならば、女が使ったのは後者だろう。
太夫が使う呪詛にもまた幾つかの系統がある。ひとつは「式神」と呼ばれる
彼女がいずれの方法を取ったとしても、呪詛を返すことができるのは伊邪那美流の太夫に限られる。
いったいタケシタ氏はどのように彼女の呪詛を回避したのだろう。
……しかし、狗神を使役する方法はなかなかに物騒だ。捕まえた犬を、その首のみを出して地面に埋め、餌をその首から敢えて少し離れたところに置き、数日間飢えさせたあと、その首を刎ねて狗神を拵えるのだ。この手の話には慣れている怜でも、やはり背筋が寒くなる。
✻ ✻ ✻
地物が活かされた夕食に舌鼓を打ち、明日に備えてそろそろ眠らなくては、と布団に横になると、待っていたかのように金縛りが始まった。夢とも
そこまで視届けて怜の意識は暗転した。
節子
四
「それでは、どうもお世話になりました。」
「気ぃつけてな。」
「またいつでも来ぃよ。」
小松家を出ることに決めた節子だが、女ひとりでどうやって身を立てればよいのか、実のところ皆目検討がつかなかった。当座の資金として和夫に貰った幾ばくかの金はあるが、兎にも角にも稼がなくてはならない。まずは街に出て仕事を探そう。そう思っているところに、いい塩梅に料亭での給仕の仕事を見つけることができた。住まいも店長が用意してくれるという。自分の運の良さを喜んだが、「給仕」の仕事は節子の想像するものとは大きく違った。男性客の接待、そして性の相手をするのが節子の初めて得た仕事であった。男慣れた女性たちに囲まれ、何時までも
──これが私の背負った業なんだろうか。私に出来る事はこれしかないということなのか……。
諦めにも似た思いが節子の中に
店が肩代わりしてくれる家賃はそのまま借金として節子にのしかかる。仕事柄華やかな装いをしなければならず、そのために金がかかる。稼がなくては暮らしてゆけない。しかし、いつまでもこんな暮らしを続けたいとは思えない。煩悶しつつも、いつの間にかそれが当たり前の日常に沈んでいった。
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