第4話 カイ・バルテスと新条司
カイ・バルテスはアウスリア大陸南西部に浮かぶ、タスニア島の小さな村の出身だった。
生まれたのはリーグ王国歴八二五年。
珍しい黒髪黒瞳ではあるが、祖母が黒髪だったらしいので別にさほど不思議がられることはなかった。
ただ物心ついた頃から、彼は自分の中にもう一人別の記憶があることに気づき始めた。
名をシンジョウ・ツカサ。その人物の故国の文字で記載すると、『新条司』となるらしい。
西暦一九七〇生まれで、妻はいたが子はなく、二〇二〇年に新条司は当時大流行した伝染病に罹ってそのまま死んだらしい。死んだ時の記憶はないが、ひどく胸が苦しかったのはぼんやりと記憶がある。
この西暦というのは『新条司』が生きていた世界の暦法だ。カイからすると、この世界は千年以上前の歴史はもう分からないのに、二千年前から続く暦法があるだけで驚異的に思える――はずなのだが、『新条司』にとっては当たり前という感覚がある。
これはいわゆる『前世の記憶』的なものだろう。
幼い頃はこの記憶の混濁に酷く悩まされた。
前世の記憶というより人格や考え方すらあると思え、今の『カイ・バルテス』の人格が、果たして元の人格なのか、この『新条司』のものなのかは、今も分からない。
それくらい、混ざり合ってしまっているのだ。
ただ、この『新条司』が持つ知識は、幼い頃はともかく、思考が発達して意味が分かるようになると、あまりにも大きなアドバンテージをカイに
この世界の言語、文字は、『新条司』の記憶の通りだと、彼の世界で『英語』と呼ばれたものに酷似している。
特に文字はほとんどそのままであり、故に読み書きの習熟はそもそも習熟すら必要としないレベルだった。
さらに度量衡も彼の世界で言う『メートル法』が使われている。長さ、重さの単位は非常にわかりやすい。
さらに一年の長さや時間の単位すら、『新条司』が知るものとほぼ同じ。
故に『新条司』の知識だと、これは
だが無論、この世界は間違いなく現実だ。
その『新条司』の持つ知識で、唯一全くないのが『魔法』の存在だった。
ただ、カイ・バルテスからすれば、この世界は魔法があって当たり前の世界だ。
数百年前の伝説とはいえ、勇者と魔王の存在もあり、少なくとも『新条司』からすればあり得ない世界だと言えた――カイにとっては当たり前の世界だが。
ただ、その『魔法』という力の正体が物理法則の書き換えともいえる現象だという事に気付いてしまい――そして『新条司』は、その物理法則に対する知識が非常に豊富だったがゆえに――カイは、少ない
とはいえ、五歳の頃で、すでに数十年生きた人間の記憶と思考を宿していたカイは、その力が大人にどう映るのかも把握していた。
故に、目立たないように普通の子供の振りをして過ごしていた。
だから子供の頃は、多少『できる』子供であっただけだろう。
その頃、彼の住むタスニア島は比較的平和だったが、海を隔てたアウスリア大陸は大変なことになっていた。
カイが生まれる十数年前に、魔王ルドリアが誕生。
ルドリアは大陸最古最大の国家であるリーグ王国を滅ぼし、大陸を支配していた。
詳しくは知らないが、人々は魔の軍勢に怯えて生活するしかなかったらしい。
幸いにも、当時タスニア島には魔王の影響はなく、平和に暮らしていた。
カイの一つ年上のラングディール――ランディと、一つ年下の少女シャーラの三人は年が近いこともあって、いつも一緒にいて楽しく過ごしていた。
だが。
やがて島にも魔王の影響が及び始めたのは、カイが十五歳の時。
突然島に上陸した魔王軍は村長に服従を強制。
臣従の証として、魔王に仕えるべき若い女性を差し出せと言ってきた。
そして当時村の若い女性の中で選ばれたのががシャーラだった。他に適切な女性がいなかったというのはある。
しかしそれを承服しなかったラングディールとカイは、妹分を護るために魔王軍の使者を倒してしまったのである。
ラングディールとカイは村を追放されるかと思いきや――ここで初めて、ラングディールの出自がリーグ王家に連なる者であることが明らかにされた。
流行り病で死んだラングディールの父アレンは、リーグ王国が魔王軍に滅ぼされた時にただ一人落ち延びた王子だったという。
村を護るため、形式上ラングディールとカイ、そしてシャーラの三人は村を追放された形をとり――魔王を倒すべく旅に出ることになる。
そして女神イークスの祭壇で、ラングディールは勇者と認められて、聖剣エクスカリバーを授けられ――魔王ルドリアを倒すことができたのである。
村を発ってから実に三年近い月日が流れていた。
その後ラングディールはリーグ王国の復活を宣言。
自らが王位継承者であることを明らかにし、王位を継ぎ、仲間であったシャーラを妃に迎え入れた。
そしてカイは――最も功績のあった仲間として、国政にも参画したが――。
わずか一年で出奔してしまった。
もっとも、これに関してはカイ自身、仕方がないとは思っている。
「まあそもそも向いてないし……八百年も続いた王国の貴族様の考えは理解できんしな」
カイ自身は二十歳にもならぬ若造でしかない。
だが、彼の中にある『新条司』には、五十歳まで生きた記憶と経験があり――しかもその知識は、おそらくこの世界の誰も及ばないほどに広範にわたる。
その中には、わずか三十年で荒れ果てた国の立て直しのための方法をいくつも提案できるだけの知見があったが、そのことごとくはリーグ王国の旧貴族らによって阻まれてしまった。
リーグ王国が滅んでから三十年経っていたが、逆に言えばまだ三十年しか経っておらず、現役の領主もいれば、あるいはその子が現役世代であり――八百年続いた『伝統』という壁は、カイが予想したよりはるかに強固かつ頑固だったのだ。
そうでなくも、普通の村娘であるシャーラを王妃に迎えることにすら、彼らは頑強に抵抗した。魔王打倒に際してなんら功績がないというのに、どの貴族も、ラングディールの妻に自分の家の娘を、と言ってきたのだから呆れてしまう。
こう言ったものは、『新条司』の記憶ではよくあることだと理解していても、カイ自身として納得できるものではない。そしてそういったことに嫌気がさして――結局放り出して出奔してしまったのだから、自分の無責任さにも少し呆れる。
ただその一方で、カイも、そして『新条司』としても、この世界がどういうものか――旅をして回りたい、という気持ちがあったも事実だった。
魔王討伐の旅は、魔王軍と戦いつつ大陸南東部と中央部――ここにイークスの祭壇があった――しか巡っておらず、それ以外の地域がどうなってるのかを見てみたかったのだ。
そういう意味では、出奔したことは自分的には大いにありであり――ラングディールには悪いが、しばらくは好きにさせてもらうつもりだ。
そして『新条司』としては、せっかく『異世界転生』などという奇跡に遭遇した以上、この世界を楽しまない手は、なかったのである。
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