旅立ち

第2話 出奔

 激痛が全身を苛む。

 かなり、というより本当に無理矢理に自分を音速を遥かに超える速度で吹き飛ばしたのだ。

 正しくは、自分を一瞬だけ、惑星自転の慣性から切り離した。

 空気を遮断して空気抵抗をゼロにしておいたとはいえ、その衝撃は凄まじい。

 自分自身は実質動いてないので、Gがかかってしまうということはなかったのだが、それでも全身のダメージは深刻だった。

 特に吹き飛ぶ時より戻る時の方が衝撃が大きかった。

 いわば、超音速で飛ぶ飛行機にいきなり乗るようなモノなのだ。


「あ……ヤベ。骨の二、三本はいったか」


 激痛で意識を保てない。

 死亡確定の状況からは脱したが、どちらにせよこれは死ぬか――。

 意識が朦朧としてくる。

 感覚すら鈍くなっていく中で、カイの意識は少し前の記憶へと遡って行った――。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「本当にいってしまうのか、カイ」


 その声には、心底その名を持つ者――カイ・バルテスを引き留めたい、という感情がにじみ出ていた。


「気持ちは嬉しいけどな。でも、もう決めたことだし……実際、俺の居場所は、もうないよ、ランディ」


 そう言って振り返ったのは、二十歳程度と思われる、黒髪黒瞳。

 多種多様な人種がいるこの大陸においても、黒髪黒瞳は少し珍しい。

 纏う服は、一目で旅装だとわかる実用性を重視したものに、やや小さめのナップサック。

 遠出をするという感じではないが、真新しいそれらの旅装は、彼がこれから旅に出ることを容易に想像させる。


「それは……そうかもしれないが」


 なおも言葉を紡ごうとして、続く言葉が出せず、呼び止めようとする男はほぞを噛む。

 こちらは逆に明らかに旅装ではなく、かといって一般の人とも思えない。

 一目でわかるほど、品のいい、そして高価とわかる服をまとっているが、だが、それを非常に自然に着こなしていた。

 輝くような金色の髪が、朝日を映してその青年の容姿をさらに際立させている。


 それも当然だろう。

 彼こそ、半年あまり前にこの国の国王として戴冠した、現在このリーグ王国の第八十四代国王である、ラングディール・アウリッツその人なのだ。


「まあ、俺の考え方とこの国の貴族たちの考え方が合わないのは仕方ないさ。彼らは八百年以上続く王国の、生粋の貴族。対して俺は、どこにでもいる平民の出だ」


 そもそもそういうレベルの違いではないのだが、という言葉を、カイは呑みこんだ。


「その平民が、貴族たち全員が一切反論できないほどに凹ませるなんて普通はないんだがな……」


 半ば呆れたようにラングディールが嘆息する。


 ほんの数日前、カイが貴族議会で挙げた数々の不合理ともいえる仕組みを改善しない限り、戦後の復興はままならない、と演説をぶち上げたことを言っているのだ。

 もっともカイからすれば、もう出奔を決めたから言いたいことを言いまくっただけであるのだが。


「ま、実際俺がいなくなったところで、お前がいれば何とかなるだろう。まあ、強いて言えば、お前とシャーラの子供の誕生を祝えないのが残念なくらいだ」

「なら、せめてそれまでは王都にいてはどうだ。あと半年ちょっとくらいなんだから。俺としては、お前に名付け親になってほしかったくらいなんだが……」


 ラングディールの言葉に、カイは肩をすくめた。


「それこそ恐れ多い。一介の平民が王族の名付け親などと、貴族連中が聞いたらまた色めき立つぞ。シャーラを妃にするのだって、大変だったんだろう?」

「だが……」

「それにこれは決めたことだ。何、今生の別れというわけでもなし。たまには来るようにするさ」


 なおも何かを言おうとするラングディールだったが、その言葉は発せられなかった。

 元々、カイが一度決めたことをそう簡単に変えることがないのは、誰よりも彼自身がよくわかっている。


「わかった。だが、これだけは約束してくれ。いつか必ず、帰ってくると。それまでに俺は、お前がいられる国を必ず作ってみせる」

「ああ。期待してるよ、親友」


 そういってカイは拳を突き出す。ラングディールは、それに自らの拳を合わせた。

 物心ついたころから、それは二人の間で交わされる、違えることのない約束の儀式。


「できれば、次来たときは子供に苦労してるお前を見させてくれ」

「お前が奥さんと子供連れてくる未来だってあるんじゃないか?」


 予想外の反撃に、カイは思わず目を瞬かせた。


「……まあ、可能性は低そうだけどなぁ。とりあえずあちこち行ってみるつもりだし、根無し草に付き合うような女性は普通いないだろ」

「魔王を打倒した勇者の仲間のセリフとは思えんがな、それ」

「ほっとけ。まああるいは、お前から離れればあるかもな。一緒に並んでたら、いやでも女性の目は常にお前に釘付けだったからな」

「俺はずっとシャーラ一筋だったんだが……そうだったのか?」

「出たよこの無自覚勇者のフラグブレイカー」

「ふら……なんだそれは?」

「何でもない。こっちのことだ。それじゃ、元気でな。シャーラにもよろ……」

「あら。ちゃんと自分で伝えてくれないの? カイ」


 軽口を合わせ、踵を返して歩き出そうとしたところで、予想してなかった声が響いて、カイは思わず振り返った。

 そこに立っていたのは、栗色の髪の、ラングディールと同じくらいの年齢の女性。

 ラングディールの妻にして、魔王を打倒した仲間の一人。治癒士のシャーラ・アウスリッツ――元はシャーラ・ヴィニス――である。


 淡い緑色のゆったりとしたドレスだが、よく見るとそれはいわゆるエプロンドレスと呼ばれるものに構造がほぼ等しく、動きやすさを重視した服装でもある。


「……出発日こそ伝えてても時間言ってないのに、なんでお前たちは俺がこの時間に出るってわかるんだか」

「貴方が時間決めずに何かする場合、ほぼ確実に早朝でしょう。昔からそうなんだから。ランディ、ありがとう。カイを引き留めてくれてて」


 カイはそれで、ラングディールとの会話それ自体がシャーラが来るまでの時間稼ぎでもあったと悟った。


「相変わらず策士だなぁ、お前も。仮にも『大賢者』とまで呼ばれる俺をハメるんだから」

「カイが一度決めたら絶対にそれを変えないのはよく知ってるからね。とはいえ、ここまで早いと、シャーラも準備に時間がかかるんだ」


 それでも王妃としてはあり得ないほどの軽装なのだろう。もっとも、四年前はこれでも十分、余所よそ行きの服装だったのだが。


「カイ。元気で。多分ランディも言ったでしょうけど、いつか必ず帰ってきて、私たちに力を貸して。貴方の才を、私もランディも、この先絶対に必要とするから」

「俺がどこまで何かできるかはわからんけどね。まあ、わかったよ。ただ俺自身、あの旅以外に、外のことをやはり知らなすぎる。だから、まあ大層な『大賢者』とかって呼び名にふさわしいだけの知と力を得たら、帰ってくるよ」


 シャーラはそれを聞くと、満足したように微笑んだ。


「じゃあな、二人とも。元気でな」


 もう一度、今度はお互いに握手を交わし、今度こそカイは歩き出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 魔王ルドリアを打倒した勇者ラングディールの仲間であり、大賢者とも謳われたカイ・バルテスはこの日、リーグ王国を出奔した。

 時にリーグ王国歴八四五年三月。


 魔王打倒から、一年の後のことである。


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