第7話 キャッチザハピネス
デートはつつがなく終わった。
この時期だと夜が寝苦しいので新しいパジャマが欲しいだとか、外行きの靴が欲しいとか。荷物持ちとして連れ回されたりした運春は、ひたすら退屈で死にそうだった。
「……流石にな。力がいくらあったとしても重心やバランスが取れない量を持たせるのはどうかと思う」
「それでもちゃんと持ってくれるじゃん。格好いいよ
「調子のいいこと言いやがって」
特に靴が厄介だった。箱はどうしても手で持つしかない。それが複数となると積み上げなければならない。
その高さが座高を越えれば、当然視界が靴の箱で邪魔されることになる。少し首を傾ければ一応視界は確保できるが、歩くのに必要最低限と言った程度だ。
「前金で百万とか貰ってなきゃその辺に投げ捨ててんぞ……ん?」
その最低限の視界の端に、ふと映ったものがある。
ひょっとしたら見間違いかも、というくらい一瞬だったが。
その一瞬の硬直を目聡く捉えた
「どうしたの?」
「……いや。知り合いがいた気がしただけだ。まさかな」
こんなところにいるはずがない。そう思って、すぐに話題を打ち切った。
「……そろそろ時間だよ、運春。このまま会場に行こうか」
「え。コインロッカーとかねぇの?」
「荷物くらいスタッフさんに言えばキープしてくれるって。なんなら勝てば家に送ってくれるし」
「勝てば……ねえ」
正直、望み薄だが。
既に雇われている以上、ここから先は運春の言うべきことではなかった。
◆◆◆
会場と言われて案内された先は、地上にも普通にありそうなオフィスビルだった。見上げて今更ながら気付いたが、天井のドーム状ディスプレイが『夕方』を映していた。
時間によってちゃんと映すものを変えているらしい。
「芸が細かいな、あの天井」
「ふふっ。初見さんの感想丸出しだね」
「……慣れるもんか? これ」
これから危険なゲームをやるという割には、命依はずっと出会ったときのままの上機嫌さを崩していなかった。
運春の中に『実はゲームの危険度も、そう大したことはないのかも』という楽観が生まれる。
オフィスビルに入ってから、そんな希望はすぐに吹っ飛んだが。
「汀命依様。お待ちしておりました」
「荷物、預かって。あと家に送るからその手配も」
声が聞こえたかと思うと、ひょいと自然な動作で荷物を誰かに回収された。
取り上げられた、と言うほど乱暴な挙動ではない。本当に押しつけがましくない程度に自然だった。
視界が開けたかと思うと、上等なスーツを着た男が運春と命依の周囲に数人いる。
(……コイツら、いつの間に?)
足音が一切聞こえなかった。いくら視界が悪かったと言っても、ここまで近付かれるまで存在に気付かないことなどありえない。
荷物を預けている中、できるだけ不自然にならないよう運春は出入り口を振り返る。とてもイヤな予感がしたので。
(地味に出入り口塞がれてるな……)
結果として予感は正しかった。先程入ってきた自動ドアのすぐ傍に、いつの間にか黒服が控えている。言外に『逃がさない』と言われているようで、一気に閉塞感が運春の胸を満たす。
「対戦相手はまだ到着しておりませんが。お先に会場に入りますか? 既に準備はできておりますので」
「じゃあそうしようかな。運春、行こう」
「……ああ」
まともじゃない。明らかに、流れに乗る前にもう少し考えるべきだった。そう思ってももう後の祭りなのだが。
「百万がはした金だった気がしてきた。思ったより危険そうだ」
そのぼやきに命依も流石に苦言を呈するかと思ったが、予想外にまだ彼女は上機嫌だった。
「大丈夫。すぐにもっと稼いであげるから」
◆◆◆
エレベーターでしばらく上昇した後、ポンと電子音が鳴った。
止まったそこは三十階。ドアが開いた先は、スポットライトで照らされた場所以外はほとんど明かりのない薄暗い場所だった。
なんとなく広い空間だな、ということだけはわかる。
「おい。窓がないぞ。薄暗い」
「この地下世界において上級カジノのゲームは劇場仕立てだからねぇ。劇場に窓があったら気が散るでしょ」
「……なるほどね」
そう言われれば、確かに雰囲気は開演前の劇場に近いかもしれない。
スポットライトの明かりは五つ。その五つが照らし出しているものは、最初はよくわからなかったが目を凝らして気付く。
「……証言台、か?」
今現在日本の裁判で使われている証言台ではない。むかしの外国の裁判で使われているような、木製で柵状の証言台があった。それが横に五つ等間隔に並んでいる。
「僕も上級カジノのゲームをやるの初めてだから、どんなゲームをやるのか知らないんだよね。ただ第一印象を言うなら、ロクでもない目に遭いそうだ」
「酷い目に遭うとしたら代理で立つ俺だけどな」
そうして雑談していると、ポンとまた電子音が聞こえた。
「来たみたいだね。ちょっと遅かったかな」
エレベーターのドアが開け放たれると、会場内に入ってきたのは運春と歳が近そうな少年だった。
「ま、間に合ったァ! いやあ、悪い悪い! 腹ごしらえしてたらすっかりギリギリになっちまって!」
「……お前!」
運春は目を見開く。
薄暗くてよくわからないが、声は聞き覚えがあった。先程見た影が見間違いではなかったと今更確信する。
声をかけようと口を開けたそのとき、バンッと音を立てて会場の照明がいきなり点灯された。
「運春。始まるみたいだよ」
『たーいへん長らくお待たせしましたーーー! 上級カジノゲーム、インスタント・ゴッドハンマー! 只今開演となりまーーーす!』
鳴り響く雷鳴のような歓声。だが周囲を見渡しても、客など見えない。いるのは運春と命依と、今入ってきた少年。そして、どこから現れたのかわからない、ピンク色のバニースーツを着た茶髪の美女だった。
バニースーツの女は、中心の証言台に器用に仁王立ちしている。凄い、と運春は一瞬思ったが、しばらく観察して様子がおかしいことに気付いた。
微妙に浮遊しているように見える。
それに、声もどこか聞こえ方がおかしい。いくらマイクで増強しているとは言っても本人からの声が聞こえない。
怪訝な顔をしていると、命依が心を読んだかのように補足した。
「ホログラムだよ。ここじゃ割と使われる技術」
「……マジで!?」
その会話に気付いたらしいバニースーツの女は運春の顔を見てにんまりと笑い、消えた。
ホログラムなのだから急に消えてもおかしくはないのだろうが、それでも目を奪われていると――
『わっ!』
「うおっ!?」
運春のすぐ隣に現れておどかしてきた。思わず盛大にのけぞってしまい、その様を見たバニーガールの女は悪戯心丸出しで笑う。
『しっしっし! お
「お、おくだりさん……?」
『初めましての人は初めまして! 今ゲームの司会進行&担当ついでに実況を務める
人懐っこい笑み。親しみやすい語り口。だが何故だろう、運春はこの女のことを――
(……怖ぇな。コイツ)
不吉だと、そう思った。
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