第17話 トロトロになっちゃった


「四條君、おはようございます。あっ、ネクタイが曲がっていますよ」


 いつものように始業3分前に教室に飛び込んだ重徳の前に、まるで入り口で見張っていたかのように歩美が立ちはだかる。そしてキラキラの笑顔で朝の挨拶をしてくれる。おまけに適当に締めたネクタイにそのほっそりとした指を添えて直してくれるなんて、なんだか朝から凄い歓迎を受けているような気になって重徳はかなり当惑気味。



「鴨川さん、どうもありがとうございます。それからおはようございます!」


 どうにも間が抜けた挨拶にも明るい笑顔で応える歩美。その瞳には星が1ダース以上瞬いているが、重徳にはその原因がサッパリ思い当たらないよう。


(何だろう? この前から俺と話をする鴨川さんの頬がバラ色に染まっている。これは見間違いではないと思うんだが…)


 相変わらず当惑している重徳に対して、歩美の口はから思わぬセリフが迸る。



「そ、その… できれば名前で呼んでほしいです」


 恥ずかしそうに俯きながら小声でお願いしてくるが、女の子を苗字以外で呼んだ経験がない重徳にとってはこれはかなりハードルが高い。


(ちょっと待ってほしいぞ。名前で呼ぶなんて心の準備が全然出来ていない)


 一方的に歩美に精神攻撃を受ける重徳。その表情はひとまず何とかこの場を落ち着かせるのに懸命な様子。大して回らない頭をフル回転させて何とか絞り出した答えは…



「えーと、それは… い、今は時間がないから次の休み時間に」


「わかりました。とっても楽しみです」


 こうして何とか問題の先送りを図って時間を稼ぐ策が成功する。といっても僅か1時間程度に過ぎない。歩美は自分の席に向かい一度だけ重徳の方を振り返って手を振る。つられるようにして手を振り返すと、とても良い表情で梓の後ろの席に戻っていく。


(うん? なんだか二宮さんの突き刺さるような視線を感じるな。今朝は鴨川さんに対して何も疚しいことはしていないから、そんなに睨まれるような心当たりは全くないんだけど…)


 重徳は全く心当たりがないと首を捻っているが、梓の疑いの眼差しはますますその光を強めていく。


 こうして週明けの怒涛の朝を迎えた重徳。ロリ長と挨拶をしながら自分の席に着くと同時に担任が… と思ったら、どうやら先週の重徳のお灸が効きすぎたようで本日は欠席らしい。代わって副担任が姿を見せていつものように事務的な連絡を行う。その中には放課後に予定されている模擬戦の予告もある。金曜日に重徳が受諾した10試合のうち残りの5試合が今日の放課後に行われる予定が伝えられていく。


 だが金曜日の重徳の凄まじいばかりの戦いぶりを見せつけられた本日の対戦者はといえば、揃いも揃って戦々恐々といった態度。現在は迂闊に重徳に手を出してしまった自らの見通しの甘さを悔やんでいる頃合いだろう。


 それよりもビックリすべきは重徳のほうかもしれない。実は土日はダンジョンと稽古で忙しかったから、重徳自身こうして告げられるまで模擬戦の件をすっかり忘れていたよう。ともあれ放課後には再び勇者との5連戦が待ち受ける。


 ホームルームに続いて1時間目は古文の授業となる。退屈な授業を聞きながら重徳は歩美との約束について考え込んでいる。


(名前で呼ぶのか…)


 試しに彼女の名前をそっと心の中で呼び掛けてみる。


(歩美… ダメだ! 想像以上に恥ずかしい。俺の精神の限界をはるかに突破しているじゃないか。こんな恥ずかしい思いをするくらいだったら俺は今すぐにでもダンジョンに籠もりたい気分だ。誰か気合を入れる意味で魔法でもぶつけてくれ)


 こうして悶々とした気持ちを抱えているうちに1時間目が終了して、ついにその時がやって来る。





 授業が終わると歩美が重徳の席にダッシュをしてくる。その足取りはまるで宙を飛んでいるが如くの軽やかさ。全身にサクラ色のオーラをまといつつ席の横に立つと、そっとその笑顔を重徳の耳元に寄せてくる。



「四條君、朝の約束ですよ。皆さんに聞こえると恥ずかしいので私の耳元でこっそりとお願いします」


 ひそひそ声でそう告げると自分の耳を顔の近くに寄せてくる。この些細な行動だけでかなりの破壊力を重徳に齎している。同世代の女子からこのようなアクションをとられた経験が皆無な重徳は心臓がバクバクする音を感じるのも已む無し。


(ま、マズい。心臓の音が鴨川さんに聞かれてしまうくらいの勢いだ。おまけに長い黒髪からいい匂いが漂ってくる。クンカクンカ、ゴブリンの口臭で汚された俺の鼻腔をこの際だから浄化しておこう… じゃないぞ! そうだったよ、鴨川さんを名前で呼ぶ約束だった。仕方がない、俺も男だ! ここで逃げる訳にはいかないと覚悟を決める。羞恥心よ、この際どこかに飛んでいけ)


 何とか覚悟を決めた重徳はやや引っ繰り返り気味の声を出す。



「あ、歩美ひゃん」


(シマッタ! 思いっきり噛んじゃった)


 重徳が内心動揺しているにも拘らず、彼から発せられた声を聞いたとたんに歩美の横顔が真っ赤に染まっていく。再び嬉しそうな表情で耳元に顔を寄せるそっと囁いてくる。耳に掛かる彼女の吐息がこそばゆさと心地よさを同時に感じさせる。ところで約束は果たしたはずなのに今度は何だろう? という疑問を抱く間もなく歩美の可愛らしい唇がそっと動く。



「ありがとうございます。それでは私からのお礼です。土日のお休みの間に四條君の呼び方を一所懸命考えたんですよ。そ、その… ノリ君」


 ノリ君… 耳元でそっと告げられたその短いフレーズは核爆弾並みに絶大な破壊力。重徳の脳はたったその一言でトロトロに溶けてしまいそう。名前が重徳しげのりだからノリ君とは完璧にやられた格好。そして歩美は更に追撃を仕掛けてくる。



「出来れば『~さん』なしの呼び捨てがいいです。ノリ君、お願いできますか?」


 ここまで言われたら重徳のトロトロ脳は歩美の言うがままに願いを叶えてしまう。もう一切の抵抗が封じられたかのように、そっと寄せられた彼女の耳元で彼は小声で囁く。



「あ、歩美?」


 なぜか語尾が上がって疑問形になってしまったのはご愛嬌だが、重徳のささやきで歩美の諸々の感情がどうやら限界を向かえたよう。まるで天国にいるかのような表情を浮かべてフラフラした足取りのまま自分の席に戻っていく。その姿を見送る重徳もなんだか幸せいっぱいになっていくから不思議。


(歩美さん、本当にありがとうございます。なんだか貴重な青春の第一歩踏み出せた気がします)


 自分の席に戻っていく歩美の後ろ姿に精一杯のお礼をする重徳がいる。


 ところがこんな二人のやり取りを離れた場所から様子を窺っている人物が存在する。もちろんそれは梓に他ならない。彼女はどうも歩美の様子が気になって色々問い詰めようとしていただけに、朝から彼女の怪しげな行動は気になって仕方ないよう。元々小中学校の頃から歩美を守るナイト役を梓が務めてきただけに、悪い虫がつかないか注意を払っているような感覚なのかもしれない。


(授業が終わるなり四條の席に駆け出していった歩美はあいつと何かヒソヒソ話をしているな。朝っぱらから一体何の秘密の用件があるというのだろう? おや、短いやり取りを済ませて自分の席の戻ってきた。でもなんだか様子が変だ。明らかに浮かれきった表情で心ここにあらずという様子だ。長い付き合いの私でも歩美がこんな表情を浮かべるのを初めて見たぞ。四條との間に何があったのか、これはいよいよ昼休みにでも聞き出してみよう)


 梓も実は恋愛関係に対して鈍い所がある。どうやら本格的に追及を開始するつもりのようだが、歩美にとっては大迷惑かもしれない。

 


 次の授業で…


 重徳は脳みそトロリン状態のままの考えがまとまらない頭を必死に働かそうとしている。


(歩美さんは何で自分だけにこうも刺激的な挑発を仕掛けてくるのだろう? 当然そのたびに感情が激しく揺さぶられる。そしていつの間にか頭の中は彼女でいっぱいになって他のことは何も考えられなくなる。なんだかこの状態はおかしい。いまだ経験した覚えがない感情が心のうちに渦巻いている。時に激しい嵐のように、時に穏やかな水面のように心の中が自分のキャパシティーを超える勢いで変化するんだ。どうしたらいいのか俺にもわからないぞ。えーい、面倒だからあるがままに認めようじゃないか。俺は歩美さんが好きだ! きっとそうだと思う。何しろこんな気持ちになったのは生まれて初めてだからどうしていいのかわからないけど、彼女のためだったら何でもしよう。彼女を守るためだったらこの命も懸けてやろう! 相手が異世界の魔王だろうが俺がこの手でぶっ飛ばしてやるぞ!)


 こうして開き直ると重徳としてもなんだか気持ちが楽になってくる。まだこの気持ちは歩美には打ち明けられないが、重徳は歩美と共に学園生活を歩んでいこうと決心を固めるのだった。






   ◇◇◇◇◇






 その日の放課後…


 歩美の件で頭がいっぱいで何もかも上の空だった重徳。気がついたら模擬戦の後半5本勝負の時間を迎えている。放課後になってようやく多少の冷静さを取り戻した彼は見学席の勇者たちの様子を観察中。


(さて、今日の対戦を控えている連中はここに来る前死んだ魚のような目をしていたから、試合前からすでにこちらのペースに引き込んでいるのは間違いないだろう。あれだけ無残に叩きのめしてやったから、金曜日に負けた連中は俺とは目も合わせたがらないようだ。こんな調子で本当に勇者としてやっていけるのかと、逆に俺の方が心配になってくる。ダンジョンの魔物は手加減などしてくれないからな)


 金曜日と同様に歩美はロリ長や梓と並んで重徳の応援をしているよう。三人並んでいる様子が重徳の視界に入ってくる。


(歩美さん、見ていてください、今日もきっちりと勝ちますよ! おや? 二宮さんがしきりに歩美さんに何かを問い質しているようにも映るな。二人で一体何の話をしているんだろう。ちょっと気になるけど今は模擬戦に集中するか)


 こんなことを考えているうちに対戦者が登場して模擬戦が始まって…


 ドスン!


 あっという間にこの日四人目の勇者を背中からマットに叩きつけてあっさりと勝利をもぎ取った重徳。歩美たちに向かって手を上げて勝利のポーズ。すでにこうして何度も勝ち名乗りを受けているから、もうそれほど心配をかけることはないはず。歩美も小さく手を振り返してニコニコな表情。


(よし、次の試合も心配を掛けないようにさっさと終わらそう)


 かなり余裕の気持ちで最後の試合に臨む重徳。



「四條重徳-高田義人の試合を始める。両者、ルールの確認はよいか?」


(今度は高田か。右手には短めの木剣を持っているな。どんなやつかは知らないけど、今までの戦い方で対応できるだろう)


 このように考えていると、高田は真っ向から重徳を見据えて中々のヤル気を見せてくる。ここまで重徳が圧倒的な戦いぶりを見せ付けたにも拘らず、臆せずに立ち向かってこようとするその意気込みは認めるべきだろう。



「始め!」


 審判の合図の声が響くと重徳は様子見の姿勢で高田の出方を伺う。対して高田は開始線上のやや後方で腰を屈めながら右手に持つ剣を後ろに引いて、なにやら精神を集中して重徳を見ている。これまで登場してきた勇者は全員が剣で打ち掛かってきたのに対して、高田は全く違う戦い方をするよう。重徳としては「これは面白くなってきた」とメシウマ顔。


 そこに突然高田から裂帛の気合いと共に必殺技が放たれる。



「アバ○・スラッシュ!」


 掛け声とともに後方に引いていた剣を思いっきり重徳に向かって振り抜いていく。するとその剣から見えない何かが彼に向かって飛び出してくる。


(不味い! これは食らったらダメなやつじゃないか)


 重徳の研ぎ澄まされた神経がかろうじて飛翔するその存在を感知している。右に体を投げ出してギリギリで回避。


(なんだあの速度は? プロ野球のピッチャーが投げる球より速いんじゃないのか? 気配察知のスキルとレベル10まで上昇したおかげで向上している動体視力が僅かに空気の揺らぎを捉えて回避に成功したけど、これは結構ヤバい技だろう。確かロリ長が「勇者の必殺技」だといっていたな。ゴブリンメイジが放ってきた魔法の比ではないくらいに危険だぞ!)


 重徳の左側を通り過ぎたスラッシュは後方に設置してある壁に貼られているラバー製のクッションをかなりの範囲で切り裂いている。


(これってひょっとして致死性の攻撃じゃないか? でも審判は止めないみたいだから大丈夫なのかな。まあ、当たらなければどうって事はないか)


 確かに見ようによっては相手を死に至らしめる可能性がないわけではない。ゴブリン相手だったら一撃で葬ることも可能だろう。



「1発目をよく躱したね。この次こそは仕留めてみせる!」


 高田は再びスラッシュを放つ準備を開始。


(せっかくだから何発か受けてみようか。ゴブリンの魔法を避ける練習にもなるし、避けているうちに何らかの打開策も見つかるかもしれない)


 こうしてそこから5回、高田がスラッシュを放って重徳が避けるという攻防が続く。


(ふむ、次のスラッシュを放つまでに約4秒か… こちらから接近しつつ1発かわせば俺の間合いになるな。ある程度のリスクは覚悟の上で突っ込んでいくか。いや、待てよ! ロリ長の話だとダンジョンに入らないと魔法は使えないんだったよな。とすれば高田が撃ち出しているのは魔力ではないはずだ。訓練の結果人間が体内から撃ち出せるモノ、それは〔気〕しか有り得ないはず)


 戦いのさ中にあっても頭は冷静。これは重徳が長年培ってきた精神集中の賜物かもしれない。


(よーし、必殺技の正体がわかればこっちのモノだ。高田の気に対して俺も気で対抗してやろう)


 ダンジョンで試した身体強化を重徳は自らに施す。途中で1発スラッシュが飛んでくるが、呼吸法を止めないままで見事に回避。そして体内に気が循環して体が軽くなるのを感じると、重徳は足を止めて正面から高田と向き合う。



「もう避けるのはお仕舞いだ。今度は正面から打ち砕いてやる」


 次のスラッシュを放つ体勢に移行している高田に向かって重徳は高らかに宣言する。それと同時に体を循環している気を右の手の平に集めていく。


(さて、レベル10に達した俺の気は勇者の必殺技を破れるのかな? これは一か八かの賭けだけど俺なりに勝算はある)


 不敵な笑みを浮かべながら高田がスラッシュを打ち込んでくるのを待ち構える重徳。そして…



「俺の必殺技は絶対に破れない! 食らえ! ア○ン・スラァーーッシュ!」


 軌道は完全に読めている。どうやら今度も重徳の心臓目掛けて真っ直ぐに飛翔してくる。じっとスラッシュを見つめて重徳はギリギリまでスラッシュを引き付ける。そしてあと7~8メートルで着弾しようというその瞬間…



「ハッ!」


 左足を踏み出すと同時に気が集中した右手を最大速度で突き出していく。


 パーーン!


 空中で何かが弾け飛ぶような破裂音が響く。両者の気と気がぶつかり合って空間で消滅する際に発する音が演習場内に広がる。


(どうやら迎撃に成功したな。ちょっと待てよ、これってもしかしたら魔法も同様の方法で迎撃できるんじゃないか? 今度ダンジョンで試してみよう)


 重徳は視線を上げて高田の様子を伺う。彼は自らの必殺技が敗れたのを受け止めきれない様子で地面に膝をついて「そんなバカな…」と呟いている。どうやらこれ以上の戦闘続行は不可能なよう。



「勝者、四條!」


 審判が最終的な判断を下す。ここについに勇者相手に10戦全勝というとんでもない記録を落ち立てた怪物が誕生を見る。


 こうして勝ち名乗りを受けてから重徳は退出しようと控え室に向かおうとする。その時背後から重徳に向かって駆け寄ってくる足音が。今更何かと思って振り向くと、高田が走り寄ってくる様子が目に飛び込んでくる。


(こいつは潔く負けを認められないのだろうか?)


 勝敗が決した今更「何の用だ?」と重徳が訝しげな表情を向ける。だが高田の行動は重徳の予想のはるかに斜め上をいく。



「四條君、自分をどうか弟子にしてほしいッス!」


「はぁ~?」


 その場で完璧な土下座を決めて額を床に擦りつける高田に向かって重徳は困惑した視線を送ることしかできなかった。




   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



無事に10番勝負が終わったと思ったら、最後の対戦者が弟子入り志願。相変わらず重徳の周囲は騒がしいようです。重徳は果たして高田の弟子入りを認めるのか? 


この続きは明日投稿します。どうぞお楽しみに!



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