最終話 歴史の決着

七章 終わりの始まり

 ハリエットの宮殿の上、雲ひとつない青空のなかを一羽のおおわしが悠々と舞っていた。

 大きく弧を描いて飛びながら、地上の様子を見下ろしているその姿には、天界から人界を見下ろし、裁定する神の風格すらあった。

 おおわしのベルン。

 そのわしが人類軍の重要な戦力であるおおわしのベルンだと言うことがわからないものはもはや、国中にいないだろう。それぐらい、人類軍唯一無二の斥候せっこうであるうさぎと人の世とをつなぐこのわしは有名な存在になっていた。

 ベルンが宮殿上空に現れたとの報を受けたのだろう。ひとりの男が宮殿の屋上に現れた。

 ジェイ。

 人類軍総将ジェイだった。

 ジェイは上空を見上げた。その視線を認め、ベルンはわしの姿の神のごとく降下した。ジェイの差し出した腕につかまり、一声、鳴いた。

 「ああ、ご苦労、ベルン。ほら、報酬だ」

 と、ジェイはベルンに一かけの肉を差し出した。ベルンがもたらしてくれる情報に比べればなんとも安い報酬。まったく、これがもし、人間の伝令兵であったなら、その働きに報いるためにどれほどの恩賞が必要になることか。

 ベルンの働きはそれほどに大きなものだった。これまでにもたびたびベルンの運んできてくれた情報によって鬼部おにべの機先を制することが出来た。もちろん、その第一の功績は鬼界きかいとうに乗り込んで偵察活動をつづけるうさぎことアルノにある。しかし、どんなにアルノが詳細な情報をつかんでも持ち帰れなくては意味がない。その意味で、貴重な情報を運んできてくれるベルンはまさに、人類軍の柱とも言うべき存在だった。

 ジェイはベルンの足首に結わえられた手紙をとき、文面に目を通した。その途端――。

 ジェイの表情がかわった。怖いほどに真剣なものとなった。

 「……そうか。いよいよか」

 そう語る表情には真剣を通り越して殺意さえ存在していた。


 ジェイはハリエットの執務室にいた。相変わらず本ばかり積まれていて狭苦しい、飾り気ひとつない部屋。実用一点張りで一部からは『職場という名の牢獄』と呼ばれることさえある。窓辺に飾られた花瓶の花が唯一のいやしだった。

 その部屋のなかでハリエットは今日もかわらず書類の山に埋もれていた。

 アーデルハイドが鬼界きかいとうより帰還し、鬼部おにべとの戦いの真実を持ち帰ってからすでに一年。つまり、『都市としもう国家こっか』が諸国連合に導入されてから一年。その間、ハリエットはこの新しい国家形態を大陸中に広め、定着させるべく、まさに寝る間も惜しんで行動していた。

 各国を巡っては中立派を味方につけ、反対派と対話し、諸国連合に参加していない多くの国々に参加を呼びかける。その精力的な活動はこの小さな体のどこにそんな力が眠っているのかと思わせるものだった。

 そんな、かつてのレオンハルト国王レオナルドですらかくやというほどの業務に忙殺されているハリエットのもとにベルンからの報告がもたらされた。その報を聞いたハリエットの表情が見るみる引きしまる。

 「……そうですか。いよいよなのですね」

 「はい」

 ハリエットの言葉にジェイはうなずいた。

 ベルンによって運ばれたうさぎからの手紙。そこにはこう書かれていた。

 ――鬼部おにべのかんなぎ部族の族長自ら全軍を率いての進軍を決意。

 人類軍第一の防衛拠点エンカウン。

 そのエンカウンの町を奪還だっかんして以来、人類は一貫して鬼部おにべを圧倒してきた。この一年間で大陸に侵入してきた鬼部おにべ掃討そうとうはほぼ完了し、大陸から鬼部おにべを叩き出すことに成功していた。

 「『狩りの獲物』に過ぎない人間に負けつづけている。そのことが、かんなぎ部族の族長としての誇りを、ひどく傷つけられたようです。『狩る側』としての誇りを取り戻すため、もてる限りのすべての兵力を動員する構えとのことです」

 ジェイはそこまで言ってからさらにつづけた。

 「しかも、かんなぎ部族だけではなく、従属関係にあるすべての部族からもあらん限りの兵力が導入される様子だとか。これが事実なら――うさぎからの報告が事実でなかった試しはないのですが――史上空前の鬼部おにべの大群が襲ってくることになります」

 ジェイの表情は厳しい。この一年、たしかに人類は鬼部おにべを圧倒してきた。だからと言って被害がなかったわけではもちろん、ない。人類側も大きな被害を出している。たい鬼部おにべように編成された専門部隊である羅刹らせつたいもすでに二割ほどが失われている。

 前線からはなれた後方ではいまでも新兵の訓練が行われているし、羅刹らせつたいを支援するための後方部隊の編成もつづいている。とは言え、そうそう兵の数を増やせるものではない。

 戦争は兵士だけで行えるものではない。

 食糧を作る人間、衣服を作る人間、武器や防具を作る人間……その他、様々な役職の人間が必要なのだ。それらの数を削って兵士だけを増やしたところで社会基盤が弱ってしまえば、例え戦闘に勝っても社会が崩壊し自滅してしまう。

 社会基盤を維持したまま兵士の数を増やさなければならず、そのためにはそれだけの数の人間がいる。そして――。

 人間とはそう簡単に増えるものではない。

 いくら、多産を奨励し、子を産み、育てる環境を整えようと、ひとりの女性が一年に産める子供の数は結局ひとり。双子や三つ子が産まれる例もあるにはあるが、それは例外でしかないし、狙って産ませることができるわけでもない。産むことが出来たところで兵士として使えるようになるには最低でも一五年はかかる。

 この生物としての限界がある以上、消耗分を越えて補充する、と言うわけにはいかない。結局、被害を受ければ徐々に減っていくしかないのだ。

 ――熊猛ゆうもう紅蓮ぐれんたいが健在だったなら。

 ジェイは拳を握りしめてそう思う。

 かつての人類最強の精鋭軍であった熊猛ゆうもう紅蓮ぐれんたい。この部隊が健在なら鬼部おにべ相手の戦いはどれほど楽になったことか。いまさらながら無謀な行動によって壊滅させてしまったことが悔やまれる。

 ――レオナルドたちを暗殺してでもとめるべきだったか。

 ジェイの胸にはその後悔の念がいまもある。

 旧レオンハルト国王レオナルド。

 熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルター。

 勇者ガヴァン。

 かつての人類軍の中核であり、そして、貴重な戦力を失う結果となった最大戦犯とも言える三きょうだい。このきょうだいを暗殺してでも兵力の消耗を押さえるべきではなかったか。

 その思いがある。もっとも――。

 ――武人としては平均以下だったレオナルドはともかく、熊猛ゆうもう将軍しょうぐんウォルターと勇者ガヴァンを暗殺するのはさすがに無理か。

 そうも思う。

 客観的に見てウォルターが人類最強の猛将であり、ガヴァンが人類最強の戦士であったことはまぎれもない事実。例え、ジェイ本人が暗殺に出向いたところで返り討ちにあうのがオチだったろう。ジェイは幻想家でもなければ、うぬぼれ屋でもなく、非我の力を正確に把握することが出来た。

 そして、もうひとつ。

 うさぎからの手紙には重大な、人類にとって恐るべき事実が記されていた。

 「……かんぜみ部族が影響力を強めているようですね」

 「……はい」

 鬼部おにべとしてはじめて『文明』と呼べるものを手に入れたかんぜみ部族。鬼界きかいとうにおいてかんぜみ部族が勢力を拡大しつつあり、文明が鬼部おにべ全体に広まりつつある。

 うさぎからの手紙にはそうあった。

 「深刻な、我々、人類にとって極めて深刻な事態と言えます。かんなぎ部族による総力をあげた侵攻以上に」

 もとより、この戦いは人類と鬼部おにべのどちらが勝つか、などという次元では決着しない。人類と鬼部おにべ。そのどちらがが天帝に選ばれるか、と言う戦いだ。

 もし、かんぜみ部族の文明が鬼部おにべ全体に広がり『鬼部おにべこそが世界の管理者にふさわしい』と天帝が判断すればすべては終わる。例え、かんなぎ部族相手に勝利しようとも世界は鬼部おにべのものとなり、人類の歴史は消滅してしまう。

 「こればかりは私にはどうしようもありません」

 ジェイがそう告げた。

 ハリエットはうなずいた。

 「わかっています。都市としもう国家こっかを広め、天帝に人類を選ばせるのはわたしの役目。ジェイ総将。あなたはかんなぎ部族の侵攻を撃退することに集中してください」

 「はい」

 ジェイはひとつうなずくと執務室を出ようとした。その背に向かい、ハリエットが遠慮がちに声をかけた。

 「……ジェイ」

 ジェイが仰天ぎょうてんし、目を見開いたのも無理はない。『ジェイ』と、ハリエットがジェイのことを役職名をつけずに呼んだのはこれがはじめてだった。

 ハリエットは胸元においた手をギュッと握りしめると訴えかけるように言った。

 「……戦場に行かれる方にこんなことを言うのは適切ではない。そのことは承知しています。ですが、どうか今回だけは言わせてください。死なないで、ジェイ。必ず、帰ってきてください。……わたしのもとに」

 ジェイは自分をじっと見つめるハリエットの視線を受けて体ごと向き直った。ハリエットに負けない真摯しんしな目で主君を見た。

 「……陛下」

 そう言ってからかぶりを振った。

 自分のなかの決意を固めるための儀式だった。

 「ハリエット。約束する。おれは必ず、あなたの元に帰ってくる」

 「ジェイ……!」

 ハリエットはジェイの胸に飛び込んだ。ジェイはその華奢な体を力の限り抱きしめた。

 ハリエットとジェイ。

 四年前、エンカウンの町で会ったときからお互いに惹かれあっていたふたり。

 それでも、立場をおもんばかってその思いを秘めていたふたり。

 そのふたりがいま、はじめて結ばれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る