死んだ虫

@ramencurry

第1話

 それは暑い、とても暑い夏の日だった。

 営業先から帰る時、それに出会った。

 交差点、信号機の麓。

 小さな虫の死骸。

 死因はわからない。

 大きさはちょうど自分の親指くらい。

 色は黄色と黒色が混在している。

 多分、蜂なんだと思った。

 どうしてかわからないけれど、僕はその虫の名前が知りたくなった。

 知りたくなったから、座り込んで、その死骸を近くで凝視した後、スマホで写真を撮った。

 写真を確認すると、やはり蜂のようだと思った。

 よく考えると蜂と一括りにしても、種類がたくさんあるなと、改めて認識した。

 その時だった。

 僕の背中から声がした。

「キモ」

 それは、僕よりも10歳は年下に思える学生だった。

 中学生か高校生かわからないけれど、確かにわかることが1つ。

 人を見下す目だった。

 何故だか、こう聞こえた。

「自分はこうならない大人になろう」

 そう聞こえた。

 急に身体から体温が失われる感じがした。

 背筋からは冷や汗が流れた。

「あっ」

 何か言おうとして、何も出なかった。

 その学生はとっくに僕の事を見ていなかった。

 ただ目の前にあるスマホの世界に没入していた。

 車が止まる音がして、立ち上がった。

 信号が赤から青へと変わる。

 僕は歩きながら、保存した死骸を消した。


 僕の人生で一番輝いていた時は間違いなく小学生の頃だっただろう。

 学業も運動も引けを取らず、ゲームも上手かった。

 何より、友達が多かった。

 あの時の僕は何でもできると思えた。

 けれど、中学に入って、僕よりもすごい人がたくさん出てきた。

 友達だった人達はみんな違うグループになって、散り散りになった。

 そして、そのグループで個性を伸ばして、僕は置いていかれた。

 学業は日に日に難しくなり、運動も部活になると、どうしても器用貧乏になった。

 せめてゲームだけでもと思い、毎日遊んでいた。

 だけど、気づけば一緒に遊ぶ人も少なくなって、みんなの話題が変わった事に気づいた。

 高校生になった。

 入った学校は中の中。良くも悪くも普通の高校に入った。

 地元の友達はほとんどいなかった。

 そこで自分も変わろうと思った。

 流行りの音楽、流行りの服、流行りのアプリ。

 とにかく話題についていこうと思った。

 そこで新たに友達ができた。

 気づけば、多くの友達ができた。

 ようやく楽しい日々になると思った。

 だけど、高校の勉強は中学よりも難しくなり、ついていくので精一杯だった。

 それなのに、話題にもついていかなければならなかった。

 いつの間にか僕は僕で無くなっていた。

 それに気づいたのは、大学に入って、ゼミをこなして、就活をしている時だった。

 社会に求められるのは、コミュニケーション能力と容姿、それと個性であった。

 容姿はキチンと清潔感を保てば良いから問題なかった。

 コミュニケーション能力も、最低限あった。

 けれど、個性なんてどこにも無かった。

 手当たり次第にESを送って、手当たり次第に面接をした。

 返事はどれもお祈りメール。

 ようやく手に入れた就職先は電化製品の営業だった。

 精一杯やってきたつもりだった。

 親からの期待、友達との関係、社会からの見え方。

 それに準ずるようにしてきた。

 それが、生きることだと思ってたから。

 だけど、違ったようだった。


 翌日、同じ交差点で僕は信号待ちをしていた。

 昨日と変わらず暑い夏の日、何度目かの最高気温更新。

 汗ばむ額を拭っていると、ドサっと何かが倒れる音がした。

 横を見る。

 そこにいたのは、熱中症で倒れたであろう若いスーツを着た男性だった。

 真っ青になった顔、身体は痙攣していた。

 僕はその姿を見て、昨日の虫を思い出した。

 あの時の虫も、この男性のようにうずくまって倒れていた。

 よく思い出すと、あの時の虫はまだ手足が動いていたかもしれない。

 死骸だと思っていたのかもしれない。

 パシャリと音がした。

 その音の出所を見ると、そこには昨日、僕の事を見下していた学生がいた。

 片手にスマホを持っていた。

 どうして、彼は助けを呼ばずに写真を撮っているのだろう。

(キモ)

 僕は内心そう思った。

 すると、突然僕の後頭部が殴られた。

「なんで助けを呼ばん!」

 そこには、大体50代後半の男がいた。

 どうやら、その男はスマホを握った手で僕の頭を殴ったらしい。

「え?」

 男はイライラした様子でもう一度言った。

「救急車を呼べと言っているんだ!なぜわからない!」

 男はもう一度持っているスマホを握っている手で僕を殴った。

 自分で呼べたじゃないか、口からそんな言葉が漏れそうになった。

 いつだって、そうだった。

「もしもし、救急車をお願いしたいんですけど」

 僕は、いや、僕が虫だった。


 うるさいセミの声で目が覚めた。

 夜はうるさい求愛の声で眠れなかった。

 もぞもぞと虫のように布団から出る。


 今日も怒られた。

 今日も右を向けと言われた。

 僕は右を向いた。

 明日は左を向けと言われるのだろう。そして、僕は左を向くのだろう。

 

 ある時、小学生の頃の友達に再会した。

 いや、動画サイトで流れてきた。

 彼は昔、ゲームが下手だったのに、いまやゲーム実況で人気らしい。

 僕はそのチャンネルを興味無しと設定した。


 今日も営業先に向かう。

 とても身体が熱く、軽いめまいがした。

 水を飲もうと思って、交差点の向かいにある自動販売機に向かった。

 その日は、何故だかいつもより暑い気がした。

 今日は最高気温の更新日だっただろうか。

 空は変わらず青い。

 その時、耳元でブーンと音がした。

 見ると、そこには小さい黄色と黒の蜂が飛んでいた。

 そして、その後ろには大きな大きなトラックが走っていた。


 次に見えた風景は僕を取り囲むカメラの目だった。

 たくさんのシャッター音が聞こえた。

 僕は撮らないでと叫ぼうとして、何も出なかった。

 立ち上がろうとして、全然力が入らなかった。

 視界は赤黒く塗られていた。

 その中に1匹の死骸があった。

 黄色と黒の名前の知らない蜂の死骸。

 僕は彼に向かって声にならない声で言った。

「君も僕と一緒なの?」

 蜂は何も言わない。

 すぐに蜂の周りには蟻が群がった。

 蟻は死骸を運び出していった。

 それが僕の最期に見た景色だった。

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