彼女はソラから堕ちてくる。

Maroyaka

#1「プロローグ」

「はぁ……さみぃ」


 何処かからか吹き抜けてきた寒風が全身を襲い、鈍った思考が現実へ引き戻される。


 少し昔のことを思い出していた。


 ダメだ。ぼーっとしていると俺の矮小な脳みそは意思とは関係なく覗きたくもない過去の釜の蓋を開けようとしてくる。


 実際は自分でもうとっくにその中身を開き、かき混ぜまくっていたが。


 寒さからなのかそれともこの頭をリセットしたかったからか、俺は猫背になりかぶりを振るう。


 前を向く。窓は曇り空から差し込む弱々しい斜陽を取り込み閑散とした校舎の廊下を薄く照らす。


 そしてガタガタとガラスが揺れ始める。


「だから寒いって!」


 再度顔面を直撃した寒風にキレそう——もうキレてるか——になりながら眉根をしかめる。


 なんで屋内にいるのに……。


「上か?」


 怪訝に思いながら二度受けた風を頼りに廊下を進む。


 階段が設けられたところで停止して視線を上げた。


 屋上へ続く階段。その先にある扉が答えを示していた。


「なんで開いてんだよ」


 開かれた大口からは人間を不快にさせるに余りある冷気を放っているのが遠目からでも分かる。


 さっきまで見回りをしていたしこの階には誰もいないはずだが。


 なら閉める人間も恐らく今現状出てこないわけで。


 だったら俺がこの地獄の息吹を止めるしかない。


 このままだともしかしたらこの試験会場にいる未来ある若人たちが凍てつき、成すことも成せぬままにその命を絶ってしまうかもしれない。


 自分たちの後輩に成りうるであろう者たちを見殺しにすることはできない。


「ちょっと世界救ってくるか」


 矮小な頭が今度は馬鹿なことを考え始めたが、とりあえず寒いからとっとと閉めることにする。


 まぁ、あと暖房もついてるし勿体ないし。


 階段を上り冷え切ったドアノブに手をかける。


 だが、閉めることはせずにそのまま屋上の外を覗く。


 開いているってことは誰かが居る。なんてことぐらいは今の馬鹿思考に移った俺の頭でも分かる。


「だよな」


 正面の奥。


 寒空の下、手すりに腕をかけて佇む少女がそこにいた。


 腰まであるだろう桜色の長い髪が乾いた冬の風に晒されゆらゆらとなびく。


 背中を向けた少女の顔は見えない。


 その視線はどこを見ているのだろうか。


 なんとなく解ってしまうのは、今嬉々としてこんな場所に来る人間なんて居ないってことだ。


 制服はうちのじゃない、それは見れば一発だった。


 そうなれば答えは一つ。この子は“そっち側”の生徒ってことだ。


「どうした? こんなところまで来てサボタージュか?」


 屋上に足を踏み入れながら少女の背中に話しかける。


 数秒の沈黙が流れる。


 無視された後のことなんて考えてなかったから割と困窮する。


 だが、杞憂だったようだ。


「…………」


 ゆっくりと振り返った少女は何も言わずにこちらを見つめてきた。


 かわいい。


 恐らく俺の男子生徒としての本能が正しいのであれば間違いなくそうだ。


 見ただけですぐに引き込まれそうになるほどの顔立ち。


 少し目深にかかった前髪。流れるように腰まで伸びたストレートの髪。髪色と同じ艶やかな口唇。綺麗に整った鼻筋。長いまつげ。


 そして唯一似つかわしくないのは、濁った瞳。


 それはこちらを見つめたまま。


「なに?」


 吐く息が白く光る。


 平坦で寒空にはぴったりの冷たそうな声音。


 一瞬、嫌われたかなと半ば思いながらもそれは一旦頭の隅に置いておくことにした。


「さっき聞いたろ。サボりかって」


 俺も彼女に倣いながら隣へ移動して手すりに腕をかける。


「それともなんだ。ヤバい解答ミスでもしたか?」

「ううん、そんなんじゃないよ。センパイの言う通りサボってただけ」

「ふーん、そうか」

「そうかって、こんな馬鹿げたこと考えてるヤバい受験生に対してそれだけ?」


 少女は少し口角を上げニヒルに嗤う。


「なんだお前も馬鹿思考の持ち主か、奇遇だな」

「え、なにそれ」

「わりぃ忘れろ」


 下を向いた彼女はまた口を塞ぐ。


 再び沈黙が流れ始めるのかと思ったがそれは簡単に破られた。


「わたしね、ここから飛び降りようと思ってるんだ」



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