ジジババ勇者パーティー最後の旅

福朗

第一章 勇者パーティー

最後の旅へ

前書き

息抜き投稿



(今年で幾つになった? 九十だったか? 歳を取ったのう)


 小柄な老人がベッドで目覚めると、皴だらけになった手の甲を見つめて朗らかにほほ笑む。


 よくぞ生きたものだ。暗黒の時代を潜り抜ける最中、死の淵に立ったのは一度や二度ではない。それが短い髪はすっかり白くなり、背も縮み、皮膚は皴だらけになるまで生きてこれたのだから万々歳だろう。


(もう十年は残っていまい)


 それ故に残った命の年数もそれほど多くはないが、元々自分の命など無いも同然と思って生きてきた老人にすれば今更で、微笑む顔は崩れない。


「おはようございますフェアド」


「おはようエルリカ」


 小柄な老人フェアドが、隣で寝ていた老婆にして生涯の伴侶エルリカに笑顔を向ける。


 エルリカもまた九十歳ほどで、背は縮んで長い髪はすっかり白くなり、世界一の無垢な美貌と謳われた顔は皴だらけになっている。


 八十近く連れ添った仲なのだから、お互い気が付けば年老いていた。


 ◆


「今日もいい天気だのう」


 小柄なフェアドが鍬を持ったまま青い空を見上げて呟く。毎日毎日、晴れの日も雨の日も変わらず、そこには万感の思いがある。


 八十年前の空は赤かった。比喩ではなく真っ赤な空と茶色に濁った雲が漂い、世界は暗黒に覆われていた。


 闇から生まれ落ち、自らを大魔神王と名乗った存在により変えられた世の理と、生み出された魔の眷属達が跋扈し、残ったものは死と絶望、嘆きだけだった。


 だが善なる全てが立ち上がった。


 人もエルフもドワーフも小人も妖精も人魚も獣人も、その他様々な善なる者達が大魔神王に立ち向かい、そして勝利した。


 青空が戻った。平穏が戻った。


「……ふむ」


 人生の“ほぼ”全てを大地と畑に捧げたフェアドが、先日収穫を終え寂しくなった畑を見て鍬を置く。


(実家のあった村はどうなっているか。廃村のままか? それともまた拓かれたか?)


 寝起きに残りの寿命を考えたフェアドは、ふと遠い故郷の村を思い出す。


 寒村の三男坊に生まれた彼の待遇は良くなかった。長男の予備の予備である以上は冷や飯食いであり、余裕もなかったため自分の持ち物など無きに等しかった。


 だがそれでもよかった。フェアドがまだ少年だった頃、村が闇の軍勢に飲み込まれ、家族や周りの人間が全員死に絶えたことに比べるとずっとマシのはずだ。


(息子は……まあ元気だろう)


 次にフェアドが思ったのは、彼とエルリカとの間に生まれた息子のことだ。面白いことを探しに行くと言ってこの大陸を旅立った彼の息子は隣の大陸で元気でやっているらしく、偶に送られてくる手紙でも変わったことはない。


(孫も変わりはないようだが……ひ孫の顔は見ておらん)


 フェアドの心残りはひ孫の顔を知らないことだ。まだ彼のひ孫は幼く大陸間の船旅は耐えられないし、そう軽々しく動ける立場でもないため、このままいけばフェアドはひ孫の顔を知らないまま寿命を迎えかねない。


「ふう……」


 フェアドは意図せぬため息を漏らしながらさくりと鍬を地面に突き刺すが、そこには気持ちも力も籠っておらず、ただ振り下ろしただけだ。


(皆の顔も見ておきたいのう)


 最後にフェアドの脳裏に浮かんだのは苦楽を共にした仲間の顔だ。青春は混沌とした時代で潰えた彼にとって、唯一輝かしい若き日の思い出は、エルリカを含めた仲間と共にした日々だけだ。


「ふむ」


 再び振り下ろした鍬には確かに力が籠っていたが、意識は変わらず畑には向いていなかった。


 ◆


「のう婆さんや」


「なんですかお爺さん」


 夕食を終えたフェアドが白湯を飲みながらエルリカを呼ぶ。


「ここを出てもそうそう問題にはならんかのう」


「もう七十年を過ぎていますし、長命種族以外の当事者は殆ど亡くなってるでしょう」


「ふむ」


 エルリカは長い付き合いの経験からフェアドがなにをしようとしているか察していたが、答えを急かすようなことはせず、ただ単に事実を述べただけだ。


「なら……皆の顔を見に行かんか?」


「ええ。ええ。そうですね」


 唐突なフェアドの言葉にエルリカは微笑む。あるいは彼女もそれを望んでいたのかもしれない。


「よし。それなら付き合いのある者達に手紙を送っておかんとな。折角来てもらったのに留守では申し訳ない」


「久しぶりに使い魔を出しましょうか」


「そうだの」


 話が纏まったことでフェアドは、極僅かな知人に旅へ出かけることを知らせるため、鳥型の使い魔に手紙を持たせて送ることにする。


 それを知らせる必要のある近隣の住民は存在しない。フェアドとエルリカの住まいは秘境と言ってもいいような山の中であり、二人はひっそりと生活をしていた。


「昔の装備も引っ張り出さんとなあ」


「懐かしいですね」


 皴だらけの手がせわしなく動き夜も更けていった。


 ◆


「思えばこの家とも長い付き合いだのう」


「途中で手は加えましたが、それでも七十年近くですからねえ」


 それから数週間後。準備を終えたフェアドとエルリカが、外から長年住み続けた小さな家を懐かしむ。豪華とは口が裂けても言えないが、代わりに思い出が詰まった家で愛着もある。


「しかしその姿、懐かしいの」


「フェアドこそ」


「ほっほっほっ」


「ふふふふ」


 飾り気の全くない鞘に納まった剣と盾を提げたフェアドと、真っ白なローブと白い木の杖を持ったエルリカがお互いの姿に微笑み合う。


 特に年老いて小柄になっているフェアドが剣と盾を提げている様子は、子供が背伸びして武装しているようなちぐはぐな姿になっている。


「それじゃあ行こうかの」


「足元は気を付けてくださいね」


「儂、そんなに衰えておらんから。そっちこそ気を付けておくれよ」


「私も衰えてるつもりはありませんので」


 にこやかに夫婦の軽口を言いながら老いた二人が山を下りる。


 最後の旅に向かうため。


 ◆


 ◆


 ◆


(妙なの拾っちまったかなあ……)


 街々を結ぶ魔道ゴーレム馬車の御者ハーマンは、道中で拾ってしまった妙なお荷物をちらりと見るため、背後に視線を向けた。


「婆さんや、これがきっと最先端魔法技術というやつじゃ!」


「そうですねお爺さん」


 しわくちゃな顔と青い瞳を輝かせているよぼよぼの翁と、のほほんとしている老婆がゴーレム馬を見ていた。


(こんな年寄りが二人で街道を歩いてるとか、口減らしかと思ったけど金は持ってたし、俺が生まれた頃からあるゴーレム馬車を知らなかったし訳わからん。どんだけ田舎から出てきたんだ?)


 中年の男性御者ハーマンは、豊かな赤毛の頭をポリポリと掻いてこの二人との出会いを思い出す。


 ◆


「なんだ……? まさか子供?」


 乗客を馬車に乗せて次の街へ向かっているハーマンが目を凝らすと、二人の小柄な人間の背が見えた。


 一見するとそれは子供のようでもあり、ハーマンは慌ててゴーレム馬車の速度を少し上げて二人に追いつこうとした。


「うん? 年寄り?」


 だが振り返った二人の顔が見える距離になって、ハーマンは相手が子供ではなく小柄な翁と老婆であると気が付く。


「爺さん、婆さん。なにかあったか?」

(最近は不作なんて聞かねえ。まさか口減らしじゃない筈だが……)


 二人の老人に追いついたハーマンはそう声をかけたが、内心では疑問が溢れていた。


 ここは大国であるリン王国の一部であり、野盗やモンスターの類がほぼ出ない程に街道はきっちりと整備されている。だがそれにしたって老人二人がちょこちょこと歩いているのは異常なことであり、口減らしに村から追い出されたのかと一瞬疑った。


「どうもこんにちは。知人や友人達に最後の挨拶をと思いましてな。婆さんと二人で旅をし始めたばかりなのですよ」


「なるほどなあ……」


 どう見ても老い先短い翁の説明に納得したハーマンだが、ここではいそうですかと置いていくのは寝覚めが悪くなる。。


「雨降ったら死んじまうぞ。金は持ってるか? 無いならその剣が代金替わりでもいいから乗せてやるよ」


 ハーマンは幌付き馬車に乗っている者達は正規の値段を支払っているため、ここで年寄り二人をタダで乗せたら不満が出るだろうと思った。そこで金がなければ、どう見てもみすぼらしい鞘に入っている安物の剣でもいいので代金にしようと考えた。


「剣は思い出の品でしてなあ。それにお金はちゃんとありますぞ。ほれこの通り」


「なんだ、それなら二人分足りるよ。乗ってけ」


「どうしようかのう婆さん?」


「折角ですから乗せて行ってもらいましょう」


「そうだの。そうさせてもらおうか。ではご厄介になりますぞ」


 ちらりと鞘を見た翁が懐の巾着から銀貨や銅貨を数枚取り出すと、それが十分な運賃になると確認したハーマンは馬車を親指で指差す。


 そしてハーマンは翁フェアドと老婆エルリカを客としたのだが……。


「えー? 爺ちゃんも婆ちゃんもゴーレム馬車知らないの?」


「こらアディ!」


「いやいやお気になさらず。爺ちゃんも婆ちゃんも凄い田舎から出てきてなあ。初めて見るんじゃよ」


 子供に首を傾げられているフェアドは、窘めている母親に手を振りながら正直なことを話す。


 およそ四十年前から運用されている、銅と魔法によって馬に形作られているゴーレム馬に知能らしい知能はなく、走ることもできない。しかし、機動力が必要な戦場真っただ中ならともかく、人や物を積んで街道を行き来するのなら、疲れ知らずなゴーレム馬は素晴らしいものであり、今や街道を行き来する者達の必需品となっている。


 それを知らないということは、余程も余程の辺鄙な場所からひょっこり出てきたとしか言いようがない。


 事実フェアドとエルリカは世間の流れから完全に取り残されており、ある意味異邦人と言ってもいい状態だった。


(街道に旅人用の馬車か。いい時代になったのう)


 フェアドは混沌とした時代と今の平和を比べてほほ笑む。


 世界を巻き込んだ魔の大戦中、旅人を乗せた馬車が街道を移動しているなどと聞けば、絶対にモンスターに襲われることを承知の上で、決死の逃避行をしているのだと思うような時世だった。


 それを想えばゴーレム馬という見慣れない物はあるが、大きな馬車の中は実に平和で、客の顔も恐怖に引き攣っていない。


 尤もこれはリン王国が大国で街道の整備に気を遣っているからであり、辺境の馬車はもっと重武装で緊張する必要がある。


「それにしてもサザキはいますかね?」


「まあ居るだろう。あそこから離れるときはよっぽどの時じゃ」


 フェアドと同じように時代に想いを馳せていたエルリカは、行き先に目当ての人物がいるかどうかと首を傾げたが、その人物と親友であるフェアドは確信があった。


 場所の名はリアナルド。


 酒の産地でありながら様々な酒が集う場所として知られている。


 そしてフェアドとエルリカの目的はそこにいるであろう人物に合いに行くこと。


 名をサザキ。


 水か酒か、一生どちらかしか飲めない選択肢を突き付けられると、即座に酒を選んでしまうであろうどうしようもない男であった。













 知らないこととはいえハーマンはとんでもない物に目を付けていた。


 数多の化け物を。


 古の竜を。


 真なる巨人を。


 深淵に潜みしものを。


 機械仕掛けの神を。


 そしてついには暗黒そのものを討ち果たした剣。


 値段なんか付けられるはずもなく、もし売りに出されたとしたら世界中の強国と大神殿が、戦争も辞さない覚悟で求めるほどだ。


 敢えて名を付けるのであれば。


 勇者フェアドの剣。

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