歓迎されている? 私。来たくて来たわけじゃないんです

@yutuki2022

第1話 


「さて、バトンタッチだ。松宮」


 その先生の声に反応して、振り向いた彼を、実は私は結構前から見ていたのだ。

校則や歴史や伝統についての説明を右から左に流し去りながら、先生の頭の向こうで、ほかの先生と楽しそうに盛り上がってるその男子生徒を。


 夏休み。まだ今日まで夏休みなはずなのに、なんで制服着て職員室なんかにいるんだろうって、考えないわけにはいかないでしょう、やっぱり。


 通ってきたグラウンドには部活やってる様子なんかさっぱりなくて、見上げる校舎の窓は全部ぴっしり閉まってて、まるで人類絶滅みたいな雰囲気だったのに、その中でこんなに楽しそーに笑ってる人がいたなんて、変なの。


「こっちの用事は終わったから、あとは松宮に案内してもらって帰っていいよ。わかんないことも、いっそこいつに聞いた方がいい。生き字引だから、なぁ、松宮」


「人を座敷わらしみたいに言わないで下さいよ」


「そんなかわいいもんかよ」


「かわいい生徒になにを言うんですか」


「とっとと行きな。ぬらりひょんによろしくな。悪魔くん」


「名作をごっちゃにしないでくれって言ってるのに。わかってないんだから、先生は。行こ行こ、桜田さん」


「毒されんなよ、桜田」


 毒。そんな言葉は似合わない相手だと思った。『松宮隆一朗』と名札が教えてくれる彼は、制服を制服図鑑のイラストのように着ている。真っ白なシャツに、きっちりとネクタイ。どの辺りがいったいどうして、悪魔くん?


 先に立って歩いて行く頭を、私はきっと上目遣いで見つめていた。真っ黒で長めの髪が妙に気になる。学校に来ている理由がなんだろうと、マイナス領域なはずはない。補習だの補講だの追試だの再試だの、そんな単語とこの人は、絶対に関係ない。こんな見るからに頭の良さげな人は、本当に頭がいいに違いないのだから。


「桜田さん。葉月ちゃん? そう呼ばれてた?」


「友達には、だいたい」


「八月生まれ? やっぱり」


「あ、違う、五月」


「わかった。葉桜ちゃん。そうでしょ」


 ……どうしてわかったんだ。


「名字にかけてあるんだ。いい名前だね。うん。いい名前だ」


 天真爛漫。四文字熟語を選び出すなら、それがいちばんはまるに違いない笑顔で、松宮くんはそう言った。それに比べて、私の方はヨコシマなことこの上ないような気がする。ヘンな値踏みばかりしていないで、ちゃんとこの人と向かい合うのが、この場合の正当な態度っていうものでしょうが。


 正当とか考えてから動くこともなんかちょっとひっかかっちゃうけど、改めないよりはずっとマシかも。


「あの、松宮くんは、今日はどうして学校に来ていたの? まだ夏休み、でしょ?」


「今日は大運動会の種目の打ち合わせがあったんだ。運動会、来月の頭なんだけど、各自の出場種目とか決めるのこれからだから、初めから参加できるよ。良かったね」


「あー。でも、体育はちょっと得意じゃないから」


「大丈夫だよ。走るだけじゃないお祭りだから、きっと楽しい種目かあるって」


 その部分の楽しさなんて、ちょっと走っただけで消し飛ばされちゃう。きっと松宮くんは運動も得意で、私のこんな気持ちなんてわからない。


 保証はちっとも効果なく、私の気持ちはうっかりマイナスに傾いてしまった。まったく、まだ始まってもいないのに、油断もすきもありゃしない。


「その打ち合わせはさ、午前中に終わっちゃったから、午後は葉月ちゃんのためだね。オレの時間は」


 え。


「なんて。ほんとはまだ仕事があるんだな。オレが一番下っ端だから、議事録つけなきゃなんないんだ。いい気晴らしになります、ホント」


 危うく私が凍りつく前に、松宮くんが言葉を続けてくれて良かった。君のためだとか言われて、しかもそれがイヤな感じじゃなくて、私はだって、どうしたらいいのかわからない。


 そして、あっさりと呼ばれた私の名前。葉月ちゃん。それはそれで間違ってないんだけど、だけど、今時小学生だって、クラスメイトを名前じゃ呼ばない。もっとさかのぼって、幼稚園児だったらできるかもしれないけど、この人、まるでそんな風に当たり前だった。


 だけど、変な人だとかは思わない。この笑顔が、地顔なんだ、きっと。いい人、かな?


「あ。なんでオレが葉月ちゃんを案内しているかって言うと、一年生総代だからなんだけど。言ってなかった、そう言えば」


「そーだい?」


「総代表。ほんとの仕事は、せーとかいの雑用係って言うか、そんなん。お茶くんだり、コピーとったり、机に花飾ったり。OLみたいっしょ」


 あぁ。生徒会。なるほど。それなら、一般な生徒とは違うんだから、休みなのに学校に来ている立派な理由がある。前の学校では、一年生は参加してなかった。この学校には、そんな役職があるのか。珍しく……、はないのかもしれないけど。一般的にはどうなんだ?


 生徒会の役員なんて、成績に余裕があって、先生の信頼も厚くて、人望もなくちゃ選ばれない。松宮くんはそんな三つはなんでもない人に見える。私なんか、ちょっと違うな、なんてことを思ったり。こんな事でもなければ、近付かない、きっと。


「隆一朗。みんなそう呼ぶから、ぜひ。古風だけど気に入ってるんだ、自分では」


 こんな暑さをどっかにとばしてしまうような顔で、松宮くんはそう言った。

そして、私がなんとも答えられないでいる間に、追い討ちみたいに続ける。


「葉桜ちゃんには敵わないけど」


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