8-2 蒼汰と詩月

「悪いな、わざわざ来てもらって」


 まだ真新しい外装の洒落たマンションのエントランスに、蒼汰は立っていた。

 いつもの爽やかな笑みを浮かべているが、どこかぎこちなく見えるのは先入観のせいだろうか。


「全然。いつも俺が来てもらってるし。会社に行くにも遠回りってわけでもないから」

「サンキュー。ここで話すのも変だし、ちょっと歩こうぜ」


 そう言ってマンションから離れる蒼汰についていく。どこに向かっているのか、おそらく当てはないのだろう。

 時間はまだ7時前。街を歩く人はそれほど多くはない。通勤通学の人や、犬の散歩、ゴミ出しをする人など、穏やかな朝の時間が流れている。

 ただ、智章の胸中はそんな周囲のように穏やかではいられなかった。


「ちょっと肌寒いけど、今の季節は朝の散歩も悪くないな」

「そうだね。こんな時間に歩いてるなんて、ちょっと新鮮かも」


 そこでまた会話が途切れる。本題を切り出すタイミングをお互いに計りかねているのは、空気で分かった。

 切り出さないと。

 出社まで時間が多く残されているわけではない。歩いていると、住宅街の一角に小さな公園があるのを見かけて、2人の足は自然とその中へ向かった。

 今日は朝から空が灰色で、今もじっとりした空気が肌に張り付いていた。


「蒼汰は、今朝の夢って覚えてる?」


 公園の中を少し進んだところで、蒼汰はふと立ち止まって振り向く。怖いほどに真剣な顔だった。


「覚えてるよ。全部ハッキリと」

「じゃあさ、ジンとして俺たちを襲ったのはやっぱり蒼汰の意思なの?」


 遠回りをするのはやめた。俺は蒼汰と向き合わなくちゃいけない。

 家を出た時から、智章の中で覚悟は固まっていた。


「そうだよ。だって、ジンを作ったのはオレだし」

「だから俺たちを襲ったの? 仮にジンがそういうキャラだったとしても、蒼汰が敵になる理由はないじゃん」


 たとえそのキャラに転生をしていたとしても、そのキャラの設定通りに行動する必要はない。梨英とメイは共通点が多かったこともあり同じような人格になったが、ハンスになった彩人はほとんど彩人そのものだった。

 つまり、蒼汰は自らの意思で望んで敵になっていたことになる。

 不意に、ふっ、と蒼汰が笑った。


「オレはさ、結構智章のそういうところが好きだぜ」


 その表情も言葉も、まるで意味が分からなかった。

 蒼汰は公園の中をぐるぐると歩き出す。智章もそれについてく。


「え、そういうところって?」

「なんていうんだろう。真っ直ぐなところ? あと、ちょっと鈍いところ」


 また分からなくなる。反応に迷っているうちに、さらに蒼汰が続ける。


「智章はさ、いつからあの世界に行ってんの?」

「えっと。ちょうど1週間前くらいかな」


 そうだ。最初にあの世界に転生をして目を覚ましたのは、木曜の朝だった。今日はその1週間後の金曜日になる。


「へえ。いいなぁ智章は。あんなゲームの世界に毎日いられて」

「いいわけないよ。寝ても疲れは取れないし、蒼汰は一日だけだからそんな気楽でいられるんだよ」


 思わず苛立った声になった。今日までの1週間、あの転生のせいでどれだけ苦労をしてきたと思っているんだ。


「オレ、結構本気で羨ましがってるんだけど」

「ノインの命が7つあるって設定は覚えてる? あの世界でノインが死ぬたび、俺の人生までゲームオーバーに近づいてる感覚になるんだ」


 転生をしていいことなんて、本当に一つもない。もちろん、姿が違うとはいえ、詩月と会えたことは嬉しいことだけれど。


「悪い。それでもやっぱ、オレからしたら羨ましいわ。だってつまり、智章が主人公に選ばれたってことだろ?」

「主人公はノインだよ。俺なんて、ゲームの中ですらモブなんだから」


 主人公とは、ノインのような真っ直ぐな存在だ。決して自分が主人公になれないことは、もうずっと昔から分かっていた。いつも、どこにいる時も、ずっとモブのような生き方を続けてきたから。

 もはや、主人公に対する羨ましさも湧いてこない。

 蒼汰は突然、ビタリと足を止めて振り向いた。


「だったらさ、その物語の舞台に上がることすらできないヤツはなんなんだよ」


 蒼汰からの鋭い視線が智章を射抜く。

 初めてだった。こんな種類の視線を向けられたことなんて今までに一度もなくて、ただただ戸惑った。

 ポツ。かすかに雨粒が頬を打った気がした。


「オレからしたら、智章はモブなんかじゃない。5年前からずっと、オレはそれが許せなかった」


 初めて出会う蒼汰がそこにいた。ゼミでの顔合わせから5年間、今日までずっと親しい友人でいられた自信はあった。そのはずなのに、昨日からその蒼汰が分からない。


「許せないって、どういうこと……?」

「なあ智章。気づいてるか? オレはずっとゲーム作りが楽しくなんてなかったんだよ」


 一瞬、呼吸が止まった気がした。蒼汰が口にした言葉の意味を理解することを頭が拒んでいた。


「待ってよ。それ、本気で言ってるの……?」


 この5年間、蒼汰とは長い時間を共に過ごしてきた。もし本気で言っているのだとしたら、その思い出の意味が形を変えてしまう。

 嘘だと言って欲しかった。

 けれど、冗談でこんなことを言う相手ではないと、5年も一緒に過ごしてきたのだから分かっている。


「ゲームをやるのは好きだけどさ、自分で作るとか正直どうでもいいんだよ。だって、そうだろ? 売ってるゲームを買った方が手っ取り早いし、そっちの方が絶対面白いに決まってるし」

「それはそうだけどさ……。でも、そうじゃないじゃん! みんなで本気になって何かを創るって、その過程自体が楽しんじゃないの?」

「まあそうなんだろうな。けど、オレはそっち側じゃない」


 はじめの頃、確かに蒼汰に気を遣っていた時期はあった。

 蒼汰以外の4人は、分野は違えど何かを創ってきた人間で、蒼汰はあくまで消費者としてゲームを楽しんでいた側の人間だ。

 それでも、蒼汰にはシステム関係の知識があり、ゲーム作りにおいて欠かすことのできない役割を担っていた。


「それは知ってるよ……。だけどさ、全然そんなそぶりも態度もなかったじゃん」


 自分でも本当に情けないとは思う。

 だけど、言ってくれなきゃ分かるわけないじゃないか。

 ポツ、ポツ。雨粒が少しずつ大きくなる。蒼汰はまた落ち着きなく公園の周りを歩き始める。


「お前なぁ。言えるかよ、そんなこと」

「やっぱり、俺たちに気を遣ってくれてたの?」


 空気を壊さないように。水を差してしまわないように。


「最初はそれもあったな。けど、途中からは全部自分のためだよ」

「自分のため……?」

「オレはずっと、詩月のことが好きだったんだよ」


 蒼汰はあっけらかんとそう言った。

 付き合っているんじゃないと噂になるくらい、蒼汰と詩月は2人で一緒にいることが多かった。少なくとも、どちらか片方が相手に好意を持っていてもおかしくない。

 好意を持っていたのは、蒼汰の方だったのか。


「詩月と居たかったから参加してたってこと?」

「不純だろ? その時点で、最初からこの恋が叶うはずはなかったんだ」

「それは……」


 詩月と蒼汰の2人は、とても似合っているように見えていた。だが、うわさを信じる限り、結局2人が在学中に付き合うことはなかった。

 卒業した後、蒼汰と詩月の間に何かあったのか、あるいは何もなかったのか。それは智章には分からない。

 ただ一つ確実なことは、3年前に蒼汰は由紀という別の女性と結婚をした。


「やば、起きちゃったか」


 不意に、蒼汰は何かに気づく様子を見せた。

 その視線の先を追うと、見覚えのある女性が歩いている。大きなお腹を抱えて歩く彼女は、蒼汰の妻である由紀だ。ウェーブのかかった長い髪と少し気弱に見える顔の彼女には、蒼汰の家へ訪ねた時、何度か会ったことがある。

 由紀はきょろきょろと辺りを見回しながら、ゆっくりとこの公園に近づいてくる。きっと、家からいなくなっていた蒼汰を探して歩いてきたんだろう。


「普段はまだ寝てるはずなんだけどな……。悪い、話はここまでだ」

「うん。そうだね」


 まさか今の奥さんのいる前でかつて好きだった女性の話なんてできるはずもない。

 蒼汰は公園の出口に向かって歩き始める。数歩進んだところ、くるりと翻る。


「智章。最後にこれだけは伝えておく」

「うん」

「詩月は5人でゲームを作るのが何よりも楽しみで、それと同じくらい、たぶん智章のことが好きだったんだと思う」


(え?)


 言葉がなにも出なかった。

 だってそんな、ありえない。

 蒼汰に気づいた由紀が、ほっとした顔になって歩いてくる。


「詩月が、俺を……?」

「ひょっとしたら、詩月自身も気づいてなかったかもしれないけどな。オレは誰より詩月の側にいたし、割と自信はあるぜ」


 智章の頭に、大学時代の記憶がよみがえる。

 詩月からは、まるでそんな素振りや態度を感じていなかった。


「それも、本気で言ってるんだよね……?」

「本気だよ。オレは本気で詩月が好きだった。なのに、詩月が求めているのは、オレがどうしても持っていないものだった」


 蒼汰が持っていないもの。

 ゲーム創りを楽しいと思える感覚。


(ああ、そうか――)


「だから、ジンになって俺の邪魔をしたんだ」


 やっと、全部がつながった。


「正解」


 蒼汰は笑う。


「お前言ったよな、自分はモブだって。けど、本当のモブはオレなんだよ」


 蒼汰にとって、あのゲームそのものが強い嫉妬の対象だったのか。

 蒼汰は寂しそうに笑ってから、「じゃあな」と手を振って歩き出す。今、蒼汰が愛している女性のもとへ。


「ちょっと強くなってきたかな」


 まばらだった雨は、少しずつ肉眼でも分かるほどになっていた。耐えられないほどではないが、春の雨は肌寒い。

 蒼汰と由紀の背中を見送ってから、智章は急ぎ足で駅へと向かった。

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