現実世界~8日目~ 「そして、最後の転生が始まる。」

8-1 “最後の日”

 目が覚めた。

 ただ、夢から覚めたような感覚はなくて、まるで地続きの場所へ移動したかのような、ごく自然な感覚でまぶたを開いた。


『私はずっと、あなたたちを潰す機会を伺っていました』

『これが5年前からのオレの願い』

『明日、現実で会おうぜ』


 夢の世界で聞いたジンのセリフがハッキリとよみがえる。あれは間違いなく蒼汰だった。


(蒼汰と話をしないと)


 頭の中にあるのはただそれだけだった。


「って、まだ5時半か……」


 窓の外はまだ暗い。あの世界の中にいたということは蒼汰も目が覚めている可能性は高いが、電話をかけるにはさすがに非常識な時間だ。

 眠っている可能性も考慮して、LINEのトーク画面を開いて文字を打った。


 ――今から行っていい?


 できるなら会って話がしたい。ちゃんと顔を見て、表情を確認しながら話がしたい。

 出社まではまだ随分と時間があるが、二度寝をする気分にもなれない。ベッドから抜け出して、朝の身支度をする。

 クローゼットからスーツを取り出そうとすると、ふと本棚のガラス細工の人形が目に入る。


「ついにあと1機か……」


 剣を掲げたガラス細工の少年の台座の星は、いよいよあと1つまで減ってしまっている。この星がすべてなくなってしまった時、果たしてどんな運命が待っているのか。

 仮に、あのゲーム世界の主が詩月であるなら、そう酷い未来は待っていないかもしれない。けれど、今となってしまってはどうでもいい。

 絶対にクリアする。そして、ゲームを完成させる。あるのはただ、その想いだけだった。

 ふと、枕元に置いたままのスマートフォンが震えるのが見えた。

 画面を開くと、蒼汰からだった。


 ――いいよ。向こうがまだ寝てるから、適当に歩きながら話そうか。


 智章は簡単に返事だけ送ってから、本来の出勤時間より2時間近くも早く家を出た。

 まだ早朝でガラガラの電車に乗り込んで、蒼汰の家の最寄りを目指す。まばらな座席に座って目を閉じると、大学時代の記憶が頭に浮かんでくる。

 それは、大学生最後のある冬の日のことだった。


 ◇


 2月の凍える空気の中、ただ待った。

 一向に現れない蒼汰と詩月を、智章たち3人は待ち続けた。


「誰か、どっちかから連絡あった?」


 集合の時間から30分以上が過ぎた頃、智章が訊く。

 梨英も彩人も首を振る。


「どうせ、2人でどっか行ってるんじゃない? 2人とも連絡ないとか、どう考えてもそういうことだろ」


 彩人が吐き捨てるように言った。信じたくはないが、そういう想像をしてしまうのは止められない。

 この日は、久しぶりにゲーム制作チームの5人で集まれることになっていたはずだった。

 就活やゼミの研究、入社前研修に卒業旅行。そんな様々な事情が重なって、すっかりストップしてしまっていたゲーム制作だが、卒業を間近に控えた2月になって、ようやく5人全員で日程を合わせることができたのだった。


「はあ」


 梨英は溜息と共に白い息を宙に吐き出した。

 JRの駅の改札前で、もうずっと待ちぼうけを食らっている。


「別にどんな理由だっていいけどさ。2人が来られないんじゃ、もう無理なんじゃない?」


 あと2ヶ月後には大学を卒業し、社会に出なければいけない。そうなってしまったら、5人でゲームを作るなんて不可能だ。

 全員の就職が決まり、会社に入社するまでの今が、ゲームを完成させるための最後の時間だった。

 それでも全員が多忙で予定が合わない中、やっと掴んだ機会が今日だった。


「ったく。せっかく久しぶりに5人で予定が合ったっていうのにな」


 彩人は残念がるでもなく言った。


「大丈夫。作業するだけなら、全員集まらなくたってできるよ」

「それはそうだけどさ、前に5人で打ち合わせてから何ヶ月経ったんだよ。こんな状況じゃ、誰も何を作っていいか分かんないだろ」


 彩人の指摘はもっともだ。

 それぞれの就活が忙しくなって作業が中断されてから、もうずいぶんと時間が経った。毎週のように5人で集まって作品の方向性を話し合ったのは、もう半年以上さかのぼるかもしれない。

 春を迎えるまでの残り2ヶ月弱。その期間でゲームを完成させるためには、なんとしても今日というタイミングで全員集まっておかなければいけなかった。


「なんでだよ……」


 思わず、そんな言葉が口を出た。

 詩月、蒼汰も、ゲーム作りを楽しんでくれていると思っていたのに。

 なんで、どうして。

 頭の中には疑問ばかりが浮かぶが、それに対する答えは見つからない。


「けど、詩月って最近普通にゼミも休みがちだったよね」

「たしかに。なんか忙しそうにしてるよな」


 彩人も梨英も、もはや2人が来ることを諦めている。

 智章はそれでも2人を諦めたくなかった。


「でも、詩月は絶対にゲーム作りを投げ出したりしない」


 詩月はメンバーの誰よりも、この5人でゲームを作ることに情熱を持っていた。

 ようやく5人全員で集まれる貴重な機会だというのに、その詩月がいったいどうして約束の時間になっても来ないんだろう。

 だが、詩月からも蒼汰からも連絡がないまま、また20分が過ぎた。


「なあ、今日はもういいだろ。また別の日に仕切り直そうぜ」


 いよいよ痺れを切らして彩人が言った。智章は小さく「でも……」とつぶやいてから口ごもる。

 今日この日を逃したら、きっともう彩人の言う別の日が来ないことはないと分かっていたから。

 だが、冬の盛りのこの季節、ただ待っているだけでも身体に堪える。


「どっちにしろ、どこかお店入らない? お腹も減ったし、いい加減寒いんだけど」


 梨英の提案を受けて、3人は場所を移動した。すっかり寒空の下で冷えた身体を温めるため、駅の近くの行きつけになっているラーメン屋に入った。暖かいスープが冷えた身体に染み渡る。

 智章はわざとそれをゆっくりと食べて、やがて、ついに完食するタイミングで詩月と蒼汰から、それぞれ連絡が入った。

 2人からのLINEには、どちらも今日は来られないという内容が書いてあった。


(ああ、やっぱり無理だったんだ……)


 この瞬間、5人で作ってきた「リゲイン メモリー クエスト」というゲームは、永遠に未完成のまま終わることが確定した。

 この先大学を卒業して、就職をして、所帯を持って、子どもを育てて、きっと5人で集まることさえ難しくなる。そこにゲームを作るだけの余裕なんてなくて、いつか年を取って同窓会のように集まった時、きっと思い出話のネタの一つとして消費されてしまうのだろう。

 そんな未来が分かっていながら、どうしようもできないこの状況が歯痒かった。


「ちくしょう」


 スープだけが残ったラーメンのどんぶりに向かってつぶやく。壊れる瞬間というものは、いつだって呆気がないものだ。


 ◇


(あの日、もし詩月も蒼汰も来てくれてたら、なにか変わったのかな)


 なんて、今さら考えても仕方のないことだとは分かっている。

 だからこそ、やり直す。詩月はもうゲームの世界の中にしかいないけれど、それでもやれることがまだあるはずだ。

 ガタガタ、ガタガタ、と早朝でまだ少ない乗客を乗せて電車は走る。やがて蒼汰の家の最寄り駅まで着くと、音を立ててドアが開いた。

 智章は席を立って電車を降りる。

 蒼汰に訊かなければいけないことは山ほどある。

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