現実世界~6日目~ 「アインスとクラウス」

6-1 彩人が描かない理由(わけ)

『気づいてるでしょう? ここでなら、また一緒にゲームが作れるんだよ』


 ゲームの世界でアノマリアが言った。

 きっとその言葉に間違いはなかったと思う。あの世界はまさにプロットの通りに展開をしていって、プロットや設定で決められていない部分については、自分の行動次第で物語を描くことができる。

 俺は間違いなく、あの世界を楽しんでいたんだ。

 智章は、残り2つになった人形の台座の星を見つめながら、今朝の夢のことを思った。


「けど、なにをどうすればいいんだよ……」


 週の真ん中の水曜日。目覚まし時計よりも少し早く目を覚ました智章は、朝から頭を抱えたい気分だった。ただでさえ疲労が出始める曜日なのに、もはやそれどころではない問題が山積みだ。

 詩月のこと、彩人の絵のこと、仕事のトラブルのこと。そして、あと2つまで減ってしまったノインの残機。

 予感が正しいのなら、あのゲーム世界でノインが死ねるのは、あと一度のみだ。


(梨英の時と同じだ)


 物語を進めるための鍵は、”アインスの素顔”だ。メイが歌を歌えなかったように、アインスは素材として存在しない自分の顔を晒すことができなかった。

 アノマリアや詩月のことも気がかりだったが、まず一番の懸案事項は彩人の絵だ。


(彩人、もう起きてるかな)


 家を出なければいけない時間まではあと30分。こんな時間に迷惑かもしれないという思いもあったが、いても立ってもいられない思いが勝って、彩人へ電話をかけていた。

 まだ起きていないかもしれないし、仮に起きていたとしても無視をされてしまうかもしれない。

 だが、そんな心配は杞憂だった。


『なんだよ、こんな朝から』


 意外にも、彩人はあっさりと2コール目の途中で出た。いつも反応が遅い彩人にしては珍しくて驚いた。

 こんなに早く出るとは思わずに、電話をかけたこっちが少しうろたえた。


「えっと、昨日はごめん。彩人の事情も知らずにいろいろ言ったりして」

『やめろよ、 言い過ぎたのは俺の方だし』


 学生の頃に比べれば使う機会も増えたが、やはり電話は得意じゃない。すぐに言葉が見つからず一瞬沈黙ができてしまう。


『で、そんな謝罪のためにかけてきたのか?』

「いや。絵の依頼のことなんだけどさ、昨日は言えなかったけど、ちゃんと用意するべきものは用意するつもりだよ」


 それがもう一度彩人と交渉するために用意したカードだ。今は意地を張っている場合ではない。

 狙い通り、彩人の態度が変わった。


『それは、なかなか魅力的な話だな』

「ただの個人の依頼だし、普段彩人がもらってるのに比べたら少ないって思われるかもしれないけど、なるべく近づけるように努力はする」


 できるならこの手は使いたくなかった。結果として報酬を払うことはあっても、報酬をダシにする関係は、まるで他人同士と変わらない。

 だが、返ってきたのは予想とまったく違う反応だった。


『提案は嬉しいけど悪いな、お前からの依頼は受けない』

「なんで!? これがただの自主制作だから!?」

『そういう問題じゃなくて。いくら積まれようが、お前から依頼を受けるつもりはない』


(なんだよ、それ……)


 この反応でやっと確証が持てた。間違いなく彩人はムキになっている。

 そして、ムキになっている理由はきっと。


「彩人さ、もしかしてだけど今の仕事、楽しくない?」


 交渉のために選んだのは、そんな言葉だった。

 それに対して彩人は、期待通りの反応を示した。


『は? 智章になにが分かるんだよ』


 電話越しに聞こえる声が冷たくなった。


「あの後いろいろ思い出したんだけどさ、彩人って大学の頃はすごく楽しそうに絵を描いてたよね」


 智章も意図して突き放すような口調で言う。


『なにが言いたいんだよ』

「いや。久しぶりに会って、ずいぶん変わったんだなって」

『昨日も言っただろ? 今はお遊びでやってるんじゃないんだよ』


 彩人の声に苛立ちが増していく。それでも構わずに続ける。


「本当にそれで満足してる?」

『もう切るぞ』


 彩人なら確実に切る。

 その確信があって、智章は最後に本題を告げることにした。


「アインスの顔だけ、ずっと描けなかったのはどうして?」


 音楽、システム、シナリオ、それらの要素に比べて遥かに順調に進んでいたのがイラスト制作だった。

 その証拠として、あのゲームの世界で出会ったキャラは、全員彩人が描いた絵のままの顔をしている。

 それだけ順調に進んでいながらアインスの顔がないのは、彩人がアインスの見た目に特にこだわりを見せたからだ。


(で、悩んでる間にみんな忙しくなって、結局空中分解したんだよね)


 彩人は最後に舌打ちを一つしてから、『じゃあな』と本当に通話を切った。それでも、伝えるべきことは伝えられたはずだ。


「なにやってんだろうな。別に彩人じゃなきゃいけないわけじゃないのに」


 通話の切れたスマートフォンをベッドに投げてから、智章はひとりつぶやく。

 アインスの絵が欲しいだけなら、必ずしも彩人である必要もない。きっと彩人に頼むよりも安い金額で描いてくれる人はどこかにいるはずだ。

 それに、アインスが素顔を晒さなくても成立する物語に、今から書き換えてしまうという手もある。

 それだけの考えが頭にありながら、彩人にこだわってしまうのは――。


「もしかして、俺も結構イラついてるのかな」


 彩人に対して抱いているこの感情は、きっと苛立ちだ。ひょっとしたら、彩人だけでなく、自分も少しムキになっているのかもしれない。

 智章はそんなことを自覚しながら、朝の支度に取り掛かり始めた。

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