3-6 土曜勤務の後始末

 社長の楽器たちを乗せたトラックが、エンジンをかけて動き出す。

 オフィスビルの入り口に立って、智章たち3人はそれを見送った。小さくなるトラックを見つめる梨英は、とても清々しい顔をしていた。


「行ったな」

「そうだね。今日の演奏メンバーも、まさかこんな良い楽器が届くなんて思ってないだろうな」


(うん、梨英はもう大丈夫だ)


 むしろ梨英が羨ましく思えるくらいだ。こんなにもすっきりとした表情を、自分はいったいいつ浮かべることができただろうか。

 智章の頭に浮かんだのは、適当に仕事をこなすだけの淡々と過ぎていく毎日。辞めたくなるほど辛くはないけれど、やりがいのある充実した日々とは程遠い。


(もしこのゲームを完成させられたら、俺も少しは満たされるのかな)


 やがてトラックが見えなくなると、不意に梨英は大きく伸びをした。


「んー、仕事終わり! あたしは、ホントにあたしがするべき仕事をする」

「それって……」


 この会社の仕事ではない。

 梨英にとって、今本当にやるべきことは――。


「曲、書くって言ってるんだよ。あたしが書かないと、メイだって歌えなくて困ってるだろうし」

「それはそうだけど、本当にいいの? せっかくだしイベントの様子も見に行きたいんじゃない?」

「いいんだよ。ひとの音楽を聴くのも大事だけど、今はあたしの音を創らないと」


 そんな話をしながら、3人で一度オフィスに戻る。それから、簡単な後処理と帰り支度を済ませた後、戸締りをしてからオフィスを出た。


 大塚駅まで歩く途中、梨英とはメイが歌う曲についての話をした。

 どうしてメイは歌うのか、どんな想いが込められているのか、曲のイメージやメイ本人のこと。ほんの10分程度の時間だったが、曲を作るための必要な話はできたように思う。

 そんな話をしていると、自分たちの周りの空気だけが、そっくり大学時代のものに変わっているように錯覚した。


「ホント、今日はありがと。なんか、いろいろとスッキリできた気がする」


 3人は駅の改札を抜けたところで立ち止まる。梨英は山手線の外回りで、内回りを使う智章と蒼汰とはここで別れることになる。


「俺の方こそ。久しぶりに梨英に会えてよかったよ」

「とりあえず、今の会社辞めたくなったら相談しろよ? ここまでさせておいてあとは知りませんなんて、寝覚が悪すぎるし」


 蒼汰が言った。もし本当に梨英が助けを求めたら、きっと蒼汰なら本気で力になってくれるだろう。


「そこはまたじっくり考えるよ。とりあえず、智章に曲を提供してやらないとだからな」

「ありがとう。助かるよ」


 梨英は2番線のホームの方へ一歩歩き出そうとして、そこでふと足を止めた。


「悪かったな」

「え? なにが?」

「あたしの就職がもっと早く決まってたら、ちゃんと完成されてたのかなって」


 梨英はうつむいて、申し訳なさそうにそう言った。あるいは、ずっと心の中に引っかかっていたのかもしれない。


「梨英のせいじゃないよ。俺だって就活は――」

「違う」


 強い声で遮ったのは蒼汰だった。


「ゲームが作れなかったのは、オレがあの日……」


 蒼汰はそこで言葉に詰まる。だが、蒼汰がなにを言おうとしているのか、智章も梨英もよく分かっていた。


「別に、あの日がすべてってわけでもないだろ」

「うん。みんなもともと忙しすぎたんだよ」


 ゲームが作れなかったのは誰のせいでもない。きっと、最初から無理な話だったのだ。蒼汰は小さく「そうだな」とつぶやいて、この話はここで終わりになった。

 梨英は再び、駅のホームに向かって歩き出す。


「じゃあ、また連絡する」


 そう言って軽く手を振りながら、ホームへ続く階段を降りて行く。智章と蒼汰も「それじゃあ」と言いながら、手を振り返しそれを見送った。

 これでやっと、音楽の問題はひと段落だ。


「蒼汰も、ごめん。急に巻き込んじゃったりして」

「別に巻き込まれたなんて思ってねえよ。そもそも、梨英の一大事なのに手伝えなかったら、そっちの方がいやだ」

「それでも、ありがとう。俺1人だったら、絶対解決できなかった」


 智章が言うと、蒼汰は少し照れくさそうに笑った。大学の頃から、蒼汰は本当に心強い存在だった。

 ホームへ降りるとちょうど電車が来るタイミングで、2人でそれに飛び乗った。


「けど、本当にこんな気軽に呼んじゃって大丈夫だった? 昨日だって遅くまで付き合ってもらったのに」

「まあ、大丈夫かと言われると微妙なところだな。もう9ヶ月目に入ったし、あんまりフラフラしてるわけにはいかないから」


 さすがの山手線も、ちょうどお昼の時間は混雑が少ない。電車内でも迷惑を気にせずに蒼汰と会話ができる。


「9ヶ月目っていうと、どれくらいなの?」

「うーん。だいたい妊娠から10ヶ月で産まれるって言われてるから結構だな。赤ちゃんの体の機能も、もうかなり出来上がってきてるんだってさ」


 大学の頃から一緒にいた同級生なのに、なんだか遠い世界の話みたいだ。いったい何ヶ月でお腹の中の子どもが産まれ、その過程で母子にどのような変化が起きるのか、まるで知識を持っていなかった。


「なんだかすごいね。それなら、余計にそばにいてあげないと」

「ああ。怒られたりはしないけど、悲しませたくはないからな」


 そんな大事な時期に付き合わせてしまったことを申し訳なく思いながら、こうして協力してくれていることに智章は心の中で感謝した。


「なんか、変な感じだな。仲の良い友人が父親になるなんて」

「そんなの、オレだって同じだよ。自分が父親になるなんて、まるで実感がない」


 分からないけれど、きっとそういうものなんだろうと思った。社会人になった時も、特に大きな実感は伴わなかった。

 気づいたらそうなっていた。きっと、大抵の物事はそんなものなんだろう。


 やがて蒼汰の乗り換えの駅がきて、降りていく背中を見送った。そのあとは、乗り換えも含めて1人で20分ほど電車に揺られて、やっと家の最寄り駅までたどり着いた。

 梨英の仕事を手伝ったのは時間にすれば半日ほどだったが、やけにどっと疲れてしまっていた。


「ダメだ、もうなんもできない……」


 ついでにスーパーで買い物をして帰ると、家に着く頃にはもう16時近くだった。すっかり遅くなってしまったお昼ご飯を食べて、少しずつ体力を回復させる。

 それから、完全に放置されてしまっている洗濯物や昨日の宅飲みで荒らした部屋の掃除などを思い出して、どうにか重い腰を上げるまでに1時間近くかかった。

 まったく、せっかくの土曜日だというのに忙しない。


(けど、これで少し安心かな)


 大丈夫、曲ならきっと梨英が書き上げてくれる。そうすれば、メイも住民を鼓舞する歌を歌えて、ノインもフィーアも、あの所長を倒すことができる。全部が、当初考えていたプロット通りに進むはずだ。

 疲れはあったが、智章の中の焦りの気持ちはずいぶんと軽くなっていた。


 おかげで、掃除や洗濯などの家事も、少しだけ心のゆとりを持ってすることができた。夜は簡単な料理くらいしてみてもいいかもしれない。

 忙しない平日を過ごしてきた分、穏やかな時間を過ごしながら梨英からの曲を待つ。


(そうだ。梨英からデータをもらったら、すぐ作業できるようにしておかないと)


 やがて、夕食まで済ませてすっかりリラックスしていた頃、智章は思い立ってパソコンを立ち上げることにした。

 パソコンが起動するまでのほんの少しの時間、智章はベッドで横になって待とうとして――。

 そして、気づけばそのまま眠りに落ちていた。



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小説の続き(ゲーム世界の物語)は、こちらをプレイしてご確認ください。

4日目の物語は、再びゲーム世界から目を覚ました後にご覧ただくことを推奨します。

https://amano-holiday.com/novelproject/index.html

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