2-2 返事待ちの緊張
『突然ごめん。みんな元気にしてる?
すごく急な話だって自覚はしてるんだけど、もう一度みんなでゲームの続きを作れないかな?
みんな仕事で忙しいとは思うけど、よかったら近況教えてください』
そんな連絡を送ったのが朝のこと。
残機が5つになってしまったゲーム世界のことは気になりながらも、サラリーマンたるもの、日々の仕事は疎かにできない。
スマートフォンの通知に神経を尖らせながら、淡々と仕事をこなしていく。
「ごめんなさい、ちょっと遅くなっちゃった」
そう言って声をかけてきたのは円香だ。円香は近くから人のいない椅子を持ってきて、智章の隣に座る。
前日に奥平から告げられた新たな案件について、2人で打ち合わせをするというのが、今回時間を合わせた目的だ。
この広いオフィスでは、営業部と智章たちセールスエンジニアの島は離れている。普段はチャットのやり取りで済ませることも多いが、今回はキックオフの意味も込めて対面で話すことにしていた。
「全然。むしろ、こっちまで来てもらっちゃってごめん」
この打ち合わせが始まったのが12時。ちょうどお昼の時間であることに、智章にはひとつの気がかりがあった。
(返事が来るとしたら、やっぱり昼休みの時間だよなぁ)
智章の会社の休憩時間は午後1時からだが、世間一般には12時から休憩を迎える会社も多くあるはずだ。メンバーからの返事にすぐに気付けるように、智章は朝からずっと机の上にスマートフォンを置いていた。
「昨日はあの後、ちゃんと帰れた?」
智章が訊いた。
昨日の飲み会は全体としてお開きになった後も、一部のメンバーが残って飲み続けていたはずだ。そして、その一部のメンバーの中には円香も含まれていたらしい。
「うん。私もあの後すぐに帰ったから。部長に言われて仕方なく残ったけど、もうみんなぐだぐだで生産性もなかったし」
手厳しい円香に、思わず笑ってしまう。
それでいて、一度は飲み会に残る選択をしたあたり、しっかり社会人をしているなと感心する。
「けど、なんだか甲斐くんの方がゲッソリしていない? すごく疲れた顔しているけど」
円香は智章の顔を覗き込んで心配そうに言った。あるいは、ゲーム世界での心配事が顔に出てしまっていたかもしれない。
「うん。昨日は寝付きが悪かったというか、なんというか……」
「大丈夫? 昨日は結構飲まされていたよね」
円香から本気で心配をされて、少し申し訳ない気持ちになる。ゲッソリしている本当の理由を、まさか打ち明けられるはずもない。
「とりあえず、明日はゆっくり休むことにするよ」
今日は待ちに待った金曜日。普段なら、明日からの土日に胸を弾ませるところだが、今はそんな呑気なことも言っていられない。
「体調管理も仕事のうちだからね。それで、さっき送った資料は見てくれた?」
円香は自然に、会話を仕事モードに切り替える。
飲み会の翌日だというのに、円香は昨日の空気の一切を持ち込むことはしない。入社してすぐの頃は、こんなに隙のない性格ではなかったはずだけど。
「もちろん。あんなすごい資料、いったいいつ作ったの?」
智章はパソコンの画面で、円香から送られた一枚の資料を開く。Wordに3ページでまとめられたそれは、東京開発不動産の情報と提案戦略を分析したものだった。
この案件の話を告げられたのが、昨日のおよそ15時。そこから夜は飲み会があって今日に至る。円香の作った資料は短時間で作ったとは思えないほど、完璧にまとまっていた。
「そんなにすごい資料じゃないよ。急いで作ったから足りてない情報もあると思うし」
「まさか。十分過ぎるくらいだよ」
円香が営業部内で期待されているという話は、部署の違う智章の耳にも届いていた。この資料をひとつ見ただけで、期待されるのも当然だと実感をした。
「本当に? 営業資料って、今でも正しい形が分からなくて」
智章の目からは完璧な資料に見えたが、円香はどこか不安そうだ。
「別にお客さんに出す資料じゃないんだから。正しい形なんてないでしょ」
「そうかもしれないけど……。昨日の飲み会で小林課長も言っていたでしょ? 上の人たちも、この案件には期待してるって」
(やっぱり、渡邊さんはすごいな)
智章にはもう、上司の期待に応えたいという想いもなければ、出世への意欲もない。だからどうしても、「そうだね」という相づちには、あまり感情を込められなかった。
「本社、千代田区なんだ」
智章は、自分の気持ちに気づかれないように話を逸らした。円香の用意した資料には、先方の本社の住所まで記載されていた。
「ああ、うん。うちからもそれなりに近そう」
細かい場所は分からないが、確かにこのビルからは遠くないはずだ。ただ、智章が引っかかったのは、もっと別のところにあった。
(この住所、たぶん大学から近いな)
智章が4年間通った大学も、同じ千代田区内にある。千代田区といっても広いが、住所を見る限りそう遠くは離れていないはずだ。
その瞬間、ブブブ、と音が鳴ってハッとした。机に置いたスマートフォンのバイブレーションだ。
(返事だ!)
智章はとっさに、飛びつくように画面を見た。そこに表示されていたのは、まるで関係ないアプリの通知だった。
「なにか大事な連絡?」
「あ、いや……」
円香が目の前にいるのも忘れて、思わず分かりやすい反応をしてしまった。
スマートフォンの通知に飛びついて思い切り肩を落としていたら、誰だって何かあると思うだろう。
「仕事のこと?」
「いや……。仕事じゃないんだけど、ちょっといろいろと事情がありまして……」
智章が歯切れ悪く言うと、円香からの視線が冷たくなった。
当たり前だが、まさか智章がいま命のかかっている状況にいるなんて、まるで想像もしていない反応だ。
「分からないけど、仕事はしっかりしてね」
夢の中でゲームの世界を旅するのは楽しい。けれど、それ以上に頭を抱えたくなるようなことばかりだった。
「ごめん、今はちゃんと集中するよ」
そんなことを言った次の瞬間だった。再びスマートフォンが振動して、微かに音を立てた。
画面に表示されたアイコンで分かる。蒼汰からだ。
「あ――」
思わず通知に反応してしまって、はあ、と隣の席からため息が聞こえた。
「見ていいよ」
呆れた様子の円香に「ごめん」と言って、画面のロックを解除する。
見ると、それは蒼汰からの個人LINEだった。
『今日、久しぶりに家行っていい?』
まずは最も欲しかった、システム担当からの連絡。
レベルが上がらないバグの問題は、これで少し光が見えた。
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