祝福の女神は巡礼者を魅了する

祈りの言葉は光となって降りそそぐ

祈りの言葉は光となって降りそそぐ【1】

深夜、街の人々は眠りにつき、起きている者は殆どいない時間。

満月の月明かりの下、リナウェア街の細い路地を走る、小柄な影があった。


何かから逃げているのか。その人影は時折、背後を振り返りながら走っている。


フードを深く被っているので、性別や年齢などは分からないが、その四肢には壊れた手かせかせめられていた。


その枷は人影の細い手足には重いらしく、走って手足を動かす度に遠心力で振られ、人影はバランスを取れずに倒れそうになる。


ずっとそんな状態で走り続けていたのだろう、疲れて足が動かなくなったのか、人影はその場に勢いよく倒れ込んだ。


「……ッ!!」


手足に嵌められた枷のせいで、ガシャンッ!っと大きな音が辺りに響き渡る。

人影はビクリと身体を震わせると、被っていたフードを取って辺りを見回した。


歳の頃は10歳前後。

まだまだあどけなさの残る少年だが、その目は絶望と悲しみ、そして恐怖の色に染まっている。


「………」


どうやら誰もいないようだ。

少し安心して息を吐き、人影は身体を引き摺るようにして近くの建物の影に身を隠した。


ゴミ箱だろうか。

大の大人が三人ほど入れそうな、大きな蓋つきの箱がある。

その箱は使いやすいように、建物の出入り口に隣接するように置かれていた。


人影は少しだけその蓋を持ち上げ、鍵が掛かって無いことを確認すると中を覗き込んだ。


中身は殆ど入っておらず空っぽ同然だが、生臭い臭いがする。

人影は一瞬だけ躊躇った後、箱によじ登って中に入り込み、辺りに誰もいない事を確認して、内側から蓋を閉じた。


予想通りゴミ箱だったらしい。

ゴミの中には、まだ新しい食材なども捨てられており、人影はゴクリと生唾を飲み込んだ。


だが手を伸ばしたところで左右に首を振り、我慢するように拳を握りしめる。


人影は強く目を閉じると、端にゴミを集め、開いた場所に膝を抱えて座り込んだ。



♢♢♢♢♢♢



朝起きると雨が降っていた。

私は窓から外を眺めながら、どんよりと曇った空に向かって溜息を吐く。


前回のゾアルスブリズ雪山の依頼報酬で、懐が十分に潤っていて、久し振りに買い物に行こうと思っていた矢先の雨だ。

そりゃ溜め息も吐きたくなる。


(…さすがに大通りも人通りが少ないな)


私の暮らすアパートメントは大通りに面していて、自分の部屋からセントラルのメインストリートが良く見える。


育った孤児院が街の中心から離れた街外れの丘にあり、滅多にメインストリートまで遊びに来る事が出来なかったせいか、私は子供の頃からセントラルに憧れを抱いていた。


いつかはあの中心部で暮らし、冒険者として一花咲かせてやるのだと、幼心にずっと思っていた夢が今は一つ叶っている。


かと言って、冒険者としてはまだまだヒヨッコなのも事実。

自分一人の力で倒せるモンスターもたかが知れてるし、ギルドを通さずに個人的に受ける依頼の報酬も、雀の涙と言うか何と言うか…本当に微々たるもの。

当面の目標は、冒険者として名を上げる事だ。


(それこそ、グサヴィエが認めざるを得ないくらいに…)


本人には言っていないが、そもそも冒険者に憧れたのは、グサヴィエが冒険者だったからである。


グサヴィエがどんな冒険者だったのかは知らないが、子供の頃にグサヴィエから寝物語に聞いた冒険の数々に、幼い私は心を踊らせた。


いつか私も、グサヴィエのようにワクワクする冒険に出てみたいと、ずっと思っていたのだ。


ちらりと窓の外を見ると、まだと地雨らしく降り続いている。


(…お腹減ったな…。雨降ってると出かけるの億劫だけど、ヘレナさんのお店で食事くらいは…)


時間はそろそろ昼どきだ。

ヘレナの店…路地裏の黒猫亭は、その名の通りアパートメントから離れた路地裏にあり、ここからは少し離れている。


目の前のメインストリートにも飲食店は多数あるが、やはり好きな店で食べたいものだ。


ヘレナの店は小さい頃からグサヴィエに連れられて食べに行っていた為、私にとってヘレナの味とは、母親の味と同意語なのである。






頭から雨避けマントを被り、簡単な装備品だけ身に付けて外に出ると、雨足こそ強くないものの、霧雨は全身を満遍まんべんなく濡らして行く。


普段なら街の喧騒を聞きながら、のんびりと歩くメインストリートを足早に通り過ぎ、決まった角を曲がるとそこはいつもの路地裏だ。


雨のせいで、いつもよりさらに薄暗い路地裏の一角に、見慣れた看板が見えて来た。

黒猫が描かれた可愛らしい看板が、雨に濡れて揺れている。


私は子供の頃から、あの看板が好きだった。

三つ子の魂百までとは良く言ったもので、それは今も変わらない。


月の無い真夜中でも、こんな雨の日でも、旅先から戻って来てあのほんのりと明るい黒猫の看板が見えると、帰って来た…と安心したものだ。


(──ん?)


ふと、視界の端に動く物が見えて、私は足を止めた。

今…、はないはずの物が動いた気がする。


(───んん?)


目を凝らして見ると、どうやら黒猫亭のゴミ箱が揺れているようだ。


(…え、何で?中に何か…)


野良の犬猫あたりが、生ゴミを漁っているうち誤って入ってしまったのだろうか。

横に長く大きな長方形のゴミ箱だから、雑種犬なら余裕で入れる。


助けてやろうとゴミ箱に近付き、蓋を開けた私は、その中を覗き込んで思わず「……え?」と呟いた。

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