第26話 街のレストラン

 シエラから遠く離れたビタロスの首都、マリオットに、Casa Mia という名の小さなレストランがある。

 そのレストランは、マリオネットでも屈指の貧困地区にして、治安の悪さも群を抜くアレッタ地区で、半世紀近く細々と営業していた。

 そんな環境にあるものだから、自然と客の顔ぶれも筋のよろしくない者達が中心となっていった。

 ただ、店の老店主はそんな連中でも客として愛想良く接していたから、店の評判は上々だった。

 その筋の人間に気に入りられる事が嬉しい事なのかどうかはわからないが、少なくともこの地区で生き残る上では大切な事だと、店主は良く心得ていた。

 そんな店主が、最近年の離れた美しい後添えを迎えたという話が、店の常連の間で話題になった。

 一体どれほどのものかと冷やかしに見に来る常連たちの前に現われた後添えは、艶やかな黒髪を肩より上でばっさりと切り揃え、緑色の美しい瞳で挑発気味に常連たちに微笑みを振りまいた。

 その筋の人間ばかりで占められる常連客の間には、彼女を口説き落とそうと近寄る輩が後を絶たなかったが、ヤクザ者ばかりを相手にしてきた店主の度胸と、連れ合いを奪われまいとする必死の抵抗に気圧されて、中途半端な連中はすぐに近づかなくなった。

 ただそれでも、何人かの筋ものはしつこく若い後添えにちょっかいを出し続けていた。そしてそんな輩はほとんど、数日して街からどこへともなく姿を消すのである。

 そういうことが続いたものだから、いつしか店の人間も不用意に店主の新しい妻に言い寄ったり、手を出したりすることはなくなっていった。

 そうしてようやく平穏な夫婦生活を手に入れたと思った店主は、それからほどなくして病に臥せり、寝たきりになってしまった。

 以来、この店は実質的にこの新しい妻の手で切り盛りされるようになっていった。


 そんな店に、アイボリーのフロックコートに同じ色のボルサリーノハットで決めた小柄な男がやってきたのは、店じまいを30分後に控えたある雨の夜だった。

 小柄だが、見るからにその筋の者とわかる風体の男に続いて、この場所には不釣り合いな、背の高い端正な顔立ちの少年が入ってきた。

 小柄なフロックコートの男よりも随分上背はあるものの、その顔立ちにまだあどけなさを残す少年は、男に促されるまま女店主の前のカウンター席に座った。

「ご無沙汰ね、もうすぐ閉店時間なんだけど」

 どこかしらぶっきらぼうに答えた女主人に、客の男は自分が歓迎されていないことを理解しながらも、女主人の目の前のカウンター席にどっかりと腰を下ろした。

「悪ぃな、二、三杯で帰るから、ちょっと置いてくれや。おぅ、お前はここに掛けな」

 そう言うと、男は連れの少年に自分の隣の席へ来るよう促した。少年は女主人の方に向かって小さく頭を下げると、席に着いた。

 鋭い目付きに愛想のない表情は取っつきにくさを感じさせるが、その出で立ちや所作からは隠しようのない育ちのよさが滲み出ていた。

「妙なお客さんと同伴ね、ズィオ」

 女主人はワイングラスと、未成年のお客のためにエスプレッソの用意をしながら、ズィオと呼んだ男にそう言った。

「さっき警察から引き取ってきた。あいつらの方が児相よりよっぽど話がわかるよ、ロンディーネ」

 ズィオはやれやれといった様子で、傍らに置いた帽子で顔を扇いだ。

 児相?ズィオの口から出た馴染みのない言葉に怪訝な顔をしつつ、女主人、ロンディーネは何かに気付いたように店を見回した。

 店のなかは自分とズィオ、そして少年以外には誰も居なかった。ロンディーネは安堵の表情を浮かべながら、不機嫌そうにズィオに言った。

「ここではリベラって呼んで。誰も居なかったから良かったけど」

「おぅ、そうだった」

 ズィオは悪びれた様子もなく笑った。

「今日はちょっと、こいつと大事な話があってな。あと、なんだか妙にここに来たくなっちまったんだよ」

 そう言うと、ズィオは隣の先の少年の背中をぽんぽんと叩いた。

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