第7話 栄誉ある復讐

 覚悟という言葉すらそぐわないほど、アルバは淡々とそう言ってのけた。


 ビアンカはしばらく拳銃をアルバに向けたまま、じっと、狙いを定めるように彼の灰色の瞳を見つめていた。


 だがやがて、何かを諦めたようにその刺すような視線を和らげると、拳銃を再びローテーブルの上に置いた。


 アルバは何も言わず、動くこともせず、ただじっとその様子を見ていた。


「こんなずるいことをされなかったら、もしロビーノが言ったように、成果を偽って報酬を受け取ろうとしていたなら、迷いなくあなたのことを撃てたのに」


 溜息混じりにそう言うと、ポシェットの中から小さな拳銃を取り出し、アルバの渡した拳銃のとなりに置いた。


「私の両親がカプランに殺されなければならなかった、本当の理由を教えてもらえませんか?」


 唐突に、ビアンカはそうアルバに尋ねた。


「両親がカプランから離れようとしたのは、カプランの悪辣なやり方に嫌気がさしたからだ。ロビーノからはそう聞かされました。でも、そんなのは嘘だってことくらい、わかってます」


 どこか吹っ切れたような表情で、ビアンカは言った。


「わざわざ俺の口から聞かなくとも、その様子じゃあんた自身で既に調べているんじゃないか」


 そう問いかけるアルバに、ビアンカは草臥れた笑みを向け、首を横に振った。


「自分以外の誰かの口から、言ってもらいたいんです。事実を客観的に受け止めるために」


「そうか・・・」


 ビアンカの言葉に、アルバは一言そう返すと、背もたれに身体を預け、話を始めた。


「あんたの両親がカプランを離れようとしたのは、ただ単純に金の問題だ。二人とも、組織の汚れ仕事はむしろ積極的に引き受けていたが、報酬には常々不満を持っていたようだ。仕事のリスクに対し、見返りが少ない、とな」


 アルバは組んだ足の膝の上に両手を乗せ、少し身を乗り出した姿勢でビアンカを見据えた。


「独立騒動の時、あんたの両親はカプランからの分離を図ろうとする連中から声をかけられた。カプランよりもいい待遇を約束すると言われ、二人は話に乗った。そして手土産に、自分達が関わったカプランの違法行為に関する記録を、独立勢力に渡すつもりだったようだ。そのことがカプラン側に露見し、俺に二人を消すように指示が出た。それが真相だ」


 アルバの口から語られた真相を、ビアンカは自分でも不思議なくらい冷静に受け止めていた。


「あんたの両親が情報を持ち出してカプランから離れようとしているとリークしたのは、こいつだ」


 アルバはそう言って、タブレットの画面に映ったロビーノを指でコツコツと叩いた。


「この間も、あんたに俺のことを紹介するから、のこのこやってきたところを殺して欲しいと依頼してきた。両親の過去をあんたが調べていることも知っていて、いつか自分が両親を裏切った事実に辿りつくことを怖れていたようだ。そんなことがバレれば、自分がカプランと関わって、弁護士としてふさわしくない仕事で手を汚していたことも露見してしまうからな」


 アルバはほんの一瞬タブレットの方へ目を向けると、またビアンカの方へ視線を戻した。


「依頼料はあんたの払う金を充てて欲しい。だから、前金を受け取った段階であんたを始末されても困るともぬかしていた。そんな舐めた依頼を受けるつもりはなかったから、代わりにこうしてやった」


 アルバは往生際悪くのたうちまわるロビーノの映像を拡大した。


 やっぱりか、ビアンカは無意識にそんな言葉を口にしていた。


「そんな気はしていました。ロビーノと両親はそれなりに親しくしていたのに、二人が死んでからは音信不通の状態になっていましたから。あなたはロビーノから今回の依頼の概要を聞いていたと仰ってましたけど、ここで直接会ってますよね?あなたの口座が使えない状態にあるから、現金を用意しろと指示してきたのは彼だし、この部屋にあるテーブルがローテーブルだってことも知っていたから。その時に、今言った依頼の話も出たんでしょう」


 ビアンカの言葉を、アルバは否定も肯定もしなかったが、ビアンカにはどちらでもよかった。


「あなたを殺したいという気持ちも、あったのは事実です。でもあなたが、誰か適当な人間を殺して、依頼を達成したと言って来たのなら、大人しく依頼料を支払う気持ちもありました。そうして関係を絶ってしまえば、他人から両親の死の真相を聞くことは二度となくなる。そんなことを考えていました。正直、さっきまでどちらにしようか迷っていたくらいです」


 馬鹿馬鹿しいでしょ。ビアンカは自分を軽蔑するような乾いた微笑みをアルバに向けた。


「だがあんたは、そうしなかった。むしろさっき、俺から両親の死の真相を聞き出そうとした。余計な事を聞くようだが、どういう心境の変化だ?」


 アルバは背筋を伸ばし、まるでビアンカの返答を全身で受け止めようとするかのような姿勢をとった。


 そんなアルバの期待に沿うような答えになるかはわからないけれど、ビアンカは自分の思いを語った。


「両親がやってきたことは、弁護士としてあるまじき行為です。でもそこで稼いだお金で、私は最良の教育を受けることができました。いまこうして、司法の世界の入り口に立てているのも、両親のおかげです。それは揺るぎない事実です」


 ビアンカは、もうアルバの灰色の瞳にも臆することなく、真っすぐに自分の言葉を伝えた。


「だから私は、両親の罪と罰を受けとめなければいけません。私自身が殺される心配がないだけマシなくらいです。それにどんな両親でも、私に愛情をたくさん注いでくれた大好きな両親であることに変わりはありませんから」


 迷いのない目で、ビアンカはそう言い切った。


「ですから、あなたももう私の両親を殺した相手を捕まえて、始末する必要はありませんよ」


 ビアンカは笑った。さっきよりもいくらか快活で、柔らかな笑顔だった。


 アルバはそんなビアンカを見ても、例のごとく瞬きすらしない無表情のまま、ローテーブルに置いたタブレットを手に取った。


「あんたがそれでいいのなら、俺は構わない。ところでこの男だが、一応こいつもあんたの両親を死に追いやった人間の一人だ。もしあんたが望むなら、こいつを始末してもいいが?」


 アルバはそう言って、タブレットをビアンカに向ける。


 画面の向こうで、ロビーノが呻いているように見える。猿轡のせいで、口元がもごもごと動いている事しかわからないが、きっと命乞いをしているのだろう。


「私は法律家の卵です。彼のことは、いずれ法律の力で、私自身の手で追いつめて見せます」


 ビアンカは決然とした口調でそう言った。それからふと思い出したように、あ、と小さく声を上げた。


「依頼料、このままケースごと置いて行っていいですか?」


 ビアンカはシンクの側に置いたままの、現金がたっぷり詰まったキャリーケースを指差した。


「悪いが受け取るわけにはいかないな。俺はあんたの依頼を完遂したわけじゃない。成功報酬は受け取れない」


 アルバはそう言ったが、ビアンカは露骨に面倒そうな顔を見せて言葉を返した。


「あれがどれだけ重たいかわかってますか?紙の束って集めると結構な重量なんですよ。もうあれを持って帰るのは嫌なので、置いて行きます。中身は好きにしてください」


 きっぱりとそう言うと、ビアンカはスッと立ち上がり玄関の方へ向かった。アルバはその背中を何も言わず見送っていた。


 ふと、ドアノブに手を掛けようとしていたビアンカがその手を止めた。そしてアルバの方へ向き直ると、さっきまでとは別人のように自信に満ち溢れた視線を向け、こう言った。


「私は法律家になって、今もどこかでのうのうと生きているカプランの残党に、一人残らず法の裁きを受けさせます。刑事犯として裁くのなら、弁護士より検察官になる方がいいかもしれませんね。なんにしても、組織が無くなったからといって、その罪は消えませんから」


 もちろん、と、ビアンカはより強い視線をアルバに向けて、言葉を継いだ。


「あなたも例外ではありません。いずれ私があなたの罪を白日のもとに曝して、相応しい裁きを与えます」


 その時まで、待っていてください。そう言い残すと、ビアンカは扉を開けて部屋を去って行った。


「あんたの思うようにやればいい」


 アルバは、ビアンカの去った入口の扉に向かって、そう呟いた。それからタブレットの方へ視線を移した。


 画面の向こうには、さっきまで薄暗かった倉庫内に、右隅の方から少しずつ光が流れ込んでくる様子が映し出されていた。倉庫の扉がゆっくりとせり上がっているようだった。


 光か、或いは扉の開く音に反応して、両手足を縛られたロビーノが這うようにその方向へ移動していた。


「命拾いしたな。だがじきに、あの女があんたの首を狩りにくるぞ。法律という武器を携えてな」


 アルバは画面に向かってそんな言葉を吐くと、電源を落とした。


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