第5話 良き日々の陰に

 ロビーノと打合せをしてからしばらく、ビアンカはいつも通りの日々を過ごした。


 司法修習生として忙しく動き回っているおかげで、余計なことを考えずには済んでいる。


 けれど、ふとした瞬間、例えばスマートフォンに着信履歴が残っていたりするたび、No.209の部屋にいた殺し屋からではないかと、心臓を掴まれるような気持ちになる。


 そして同時に、ロビーノが意気揚々と語った復讐計画の稚拙さに不安を覚えていた。


 アルバの姿を直接見た時に燃え上がった、身体を焼き尽くしてしまうほどの復讐心が一方にありつつ、もう一方にはそれを非現実的だと諦める自分がいる。ロビーノの幼稚な提案が、輪をかけてビアンカの心を翻弄する。


 そうやって一週間を過ごし、10日が過ぎ、そろそろ依頼完了の目安の時期になろうとしていた。キャリーケースは用意済み、中にはたっぷり現金も入っている。


 女の一人暮らしの部屋にこんなものを置いておくのは危険極まりない。そんなことはわかっているけれど、不幸にしてビアンカの住むアパートメントに近くには、他に適当な隠し場所が無かった。


 せめて見つかりにくい所にと思って、ビアンカはそれをベッドの下にあるスペースの、より奥の方に隠してあるけれど、なんの気休めにもならない。


 イスに座ってベッドの下を睨むように見ていると、ビアンカはサイドチェストの二段目の引き出しが僅かに開いていることに気が付いた。


 ビアンカは引き出しを閉めようと手を伸ばし、ふと、引き出しの中のものが気になってそれを開いた。そして、仕舞われていた書類の束を取り出した。


 彼女はイスを反転させて机の方に身体を向けると、その上にさっきの書類の束を広げた。書類の上の方には、プリントアウトされた家族写真があった。


 一枚目は、確か真夏にシュビークの観光地に出掛けた時の写真だ。夏でも涼しい海辺の町に、わざわざ父親の運転する車で出かけたのを今もビアンカは覚えている。


 その写真には、自慢の高級車のボンネットに腰掛け、小さなビアンカを膝の上に乗せた父親が、快活な笑顔をこちらに向けて写っていた。


 そしてなぜか、車には赤いペンで大きな丸が書き込まれていた。


2枚目はマリオットのカーニヴァルの日の写真だった。


 年に一度、世界中から観光客を呼び込むお祭りを、ビアンカの家族は毎年楽しみにしていた。


 日帰り出来る距離なのに、わざわざ近くの高級ホテルを予約し、行きつけの高級レストランでディナーを楽しむのが、家族の恒例行事だった。


 写真はレストランでのディナータイムの時のものだった。おそらくスタッフに撮影を頼んだのだろう。家族全員が、笑顔でテーブルを囲みながらこちらを向いて笑っている。


 ただこの写真にも、赤いペンで丸が書かれている。それも、幾つも。


 テーブルに並べられた料理たち、母親の胸元や耳に光るアクセサリー、膝に置かれた鞄。父親の指にはめられた指輪やイスに掛けられたジャケットにも、丸が付けられている。


 最後の一枚は、ビアンカが小学校に入学した時の写真だ。校舎の前で、ビアンカが母親と一緒に写っている。


 この小学校は、ビタロスでも指折りの難関校と言われており、難解な入学試験をパスし、尚且つ多額の寄付を学校に行った家の生徒だけが入学を許される特別な場所だった。


 そんな学校への入学を勝ち取り、校門の柱の前で誇らしげに写真に納まる小さなビアンカの周りに、例の赤い丸が何重にも書かれていた。


 写真を引きちぎりそうなほど強い筆致で、幾重にも幾重にも重ねられた丸が、ビアンカの幼い顔を塗りつぶしていた。


 写真の後ろには、プリントアウトされたカード会社の請求書が、何枚も何枚も束ねられていた。


 両親とも、複数のカードで限度額いっぱいまで借入をしていたようで、数社から督促状も届いていた。束にはそのコピーもあった。


 写真に記された赤い丸は、クレジットカードの購入履歴にあった品々だった。


 プライドが高く浪費癖のあった両親は、自分達の収入をはるかに超えた浪費を繰り返し、家計は破産寸前の状態だった。ビアンカがそれを知ったのは、両親が亡くなった後のことだった。


 資産どころか借金を抱えていた両親がビアンカに残してくれているものなど、何も無かった。ビアンカはたった一人、無一文も同然で放り出されることになったのだ。


 でもそのことで、ビアンカは両親を恨みはしなかった。二人が最もお金を掛けたのがビアンカ自身だったことを、良く知っていたからだ。


 一流の教育を受けさせ、一流の経験をさせる。金に糸目を付けずにビアンカに愛情と熱意を注いだ両親を、ビアンカは責めることなど出来なかった。


 むしろ自分さえいなければ、両親は経済的に追い詰められることも無かったのかもしれない。そんなことさえ考えた。


 この書類に目を通すたび、ビアンカはそんな罪悪感に苛まれる。カプランへの復讐は、それを打ち消すためのものだったのかもしれない。そう思うこともあった。


 でもカプランはもう存在しない。両親を殺した当事者に復讐することが、果たしてその代りになるのだろうか。


 ビアンカの心が迷いの渦に呑まれそうになった時、机に置かれたスマートフォンに着信があった。


 画面に表示されているのは、見知らぬ番号だった。出るべきかどうか迷って、結局ビアンカは電話に出た。


「依頼は完了した。明日18時にNo.209の部屋に来い」


 低く落ち着いた声で、電話の向こうの相手はそう言った。忘れることの出来ない、背筋を凍てつかせたまま切り裂く、氷の刃のような声だった。


「・・・はい」


 ビアンカは、それだけ言うので精一杯だった。

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