10.結末



「好きです。ユディ殿をお慕いしております」


「へぁ!?」


開口一番がこれだったので、ユーディットは度肝を抜かれた。

ランプレヒトはいつも通り前髪で目元を隠しており、百合が刻印されたイヤーカフも付けているか判りづらくなっている。ユーディットも普段のお団子を二つ作った髪型で、化粧も身だしなみ程度の薄いもの。春の陽気で萌え語りに校庭端の東屋がまた使えるようになった。なので、今日は久しぶりにその東屋での待ち合わせだった。

関係が変わっていつも通りに振る舞えるか緊張していたユーディットだったが、ランプレヒトがいつも通りではない出迎え方をして混乱する。


「どどどうしたんですか!?」


「いえ、某も明言しておかねば、不公平だと思いまして。物語でも想いを言葉にしなかったゆえにすれ違った恋人はごまんといるでしょう。某はユディ殿に誤解されるのは御免です」


恋物語鉄板のすれ違いを断固拒否したいランプレヒトは、いかに正しくユーディットに想いを伝えるか考えていた。開花の宴の夜に告白しては、その場の空気や、着飾った彼女に惚れ直したからと誤解されかねない。元から惚れているのだときちんと伝えるため、平素通りに戻ってから告白しようと決めていたのだ。

確かにユーディットは、東屋につくまでにあの夜限りの夢ではないかとふわふわとした心地だった。着飾って彼を驚かせたいと思っていたが、それが功を奏しただけで普段の自分の姿にがっかりされないか多少不安だったことも認めよう。しかし、こんな強固な裏付けをされるとは思ってもみなかった。やはり彼は普段から心臓に悪い。


「これからも想いは都度お伝えする所存です。父が、強さも愛情もたゆまぬ努力で手に入るものという考えでして、筋トレと同じ扱いをするのはどうかと思うのですが、愛情の点においては同意します」


ランプレヒトの両親は幼い頃から婚約関係にあったが、想いを確かめ合ったのは何年も経ってからのことだったらしい。明確な言葉を伝えていなかったために思い違いをされていたことを父は反省し、それに気付いて以降は感じたことを口にするようになったそうだ。自身の失敗を踏まえての言だったので、兄とともに忠告を受けたランプレヒトはひとつの真理だと理解した。


「何、推しを賛美し慣れている某には容易なことです。むしろ、ユディ殿を常に可愛いと感じるため伝える頻度に悩むところで」


「あっ、あまりいっぱいは困ります……!」


なぜそうも容易く心臓に悪い課題を増やしてくるのか。ランプレヒトの気遣いはありがたいが、想いが通じ合っただけで夢見心地だというのに、そんなことをされればユーディットの心臓が持たない。

手加減してもらうように頼むと、ランプレヒトは少しばかり残念そうにした。なので、ユーディットは弱る理由を明かす。


「そうなると、私も言われた分だけ、レヒト君をす、好き、だと返さないといけません。けれど、一度口にするだけでも、こうなるので……」


関係性を保つためにお互いが努力すべきだというのは、ユーディットも同意するところだ。しかし、相手が愛情を示してくれた分だけユーディットもちゃんと返したい。想いの強さなど見えないものは測りようがないが、お互いの言動であれば過不足なく一方的にならない量に調整することができる。そう考えるも、ユーディットは好きな人ができたのが初めてなので、愛情表現ひとつでいっぱいいっぱいになる。今だって例示で愛の言葉を口にしただけで、顔が熱いのだ。

恥じらう想い人の姿に、ランプレヒトは真顔になる。


「これを可愛いと言ってはならないなんて、なんという拷問ごうもん


「だ、だからぁ……っ」


それが困るのだ。控えるように頼んだ傍から上乗せされ、ユーディットは弱りきる。彼も恋愛初心者のはずなのに、どうしてこうも行動に躊躇ためらいがないのか。

感極まったランプレヒトは彼女を抱き込む。ユーディットは等価交換の交渉に応じてくれないことにむくれる。


「返すのが大変だって言ってるのに……」


「某としては、その気持ちだけで充分なのですが。しかし、むくれるユディ殿も愛らしいですな……、心はいつわれませんので、どうぞ動物の鳴き声とでも思ってください」


「動物だって伝えたいことがあるから鳴くんです。聞き流すなんてできません」


「はぁ、律儀可愛い……」


不公平さにユーディットは納得がいかない。会って数分ですでに何度聞いたことだろう。ユーディットが一生でいわれる可愛いをランプレヒトが一人で賄うのではないかという勢いだ。不公平な事象が起こった場合、本来なら優遇されなかった方が不満をもつものだが、この二人に関しては逆だった。

口にしない方が辛いといわれても、ユーディットとて彼の好意に甘んじたくはない。愛情があるからランプレヒトには自分が可愛くみえるのだろうことは、ユーディットも承知している。そう思ってほしい唯一の相手に、可愛いと思ってもらえる日がくるなんて思ってもみなかった。それぐらい願ってもない事態であると、ちゃんと伝えたいのだ。


「レヒト君、ずるいです」


地味な自分が、褒め殺しの危機を感じることになるなんて予想できただろうか。ユーディットの顔は泣き出しそうなほどに真っ赤だった。

ランプレヒトは、そんな彼女をみて、申し訳なさより愛らしいと感じてしまう。彼は想いが通じて、普通に浮かれていた。そのため、これまで多少押さえていた気持ちがだだ洩れ状態で、加減ができない。

どうにか機嫌を直してほしくて、ランプレヒトは彼女を東屋のなかに誘い。自身の膝に座らせ、あらためて抱き込む。宥めるため、というより、結局自分のしたいことになってしまった。しかし、恥ずかしさに頬を染めるものの、ユーディットは抵抗せず彼の膝のうえに収まっている。どうやら嫌ではないらしい。


「もう……、レヒト君が可愛いと思えないように、筋肉隆々な方同士の薔薇妄想聞かせてやるんですからっ」


メーアの海で守備範囲が拡がったユーディットは、少しでも気分の減退効果を狙う。

しかし、ランプレヒトは今の自分なら笑顔できけそうな気がした。話の中身などどうでもよく、ユーディットの嬉々とした表情がみれるのならそれでいい。内容が頭に入らないだろうと知れては、ユーディットが怒るだろうからいわずに伏せた。

出会いがしらのひと悶着は、ユーディットが後払いすることで決着がついた。気に入った組み合わせを控えておくために彼女は日記をつけており、そこに言われた分と言えた分を記録することにした。対等であることに熱意を燃やしているユーディットは、それがのちに読み返したら恥ずかしくなるものだとは気付いていなかった。


「ユディ殿に関しては同担拒否ゆえ、推し活が本人にしかできないのです」


初めてきく推し用語であったが、意味合いはユーディットもなんとなく解った。だから、以前から気になっていたことを訊ねる。


「そういえば、レヒト君の知ってる単語ってお母様から教わったんですよね」


「左様です」


「どうしてそんなにご存じなんですか?」


薔薇および百合妄想にうってつけな語彙をランプレヒトは熟知している。それらの単語は聞いたユーディットにも馴染むほどに。こんな秘密裡に嗜む趣味の専門用語をどこから仕入れるのか。


「母には別の世界で生きた記憶があるのです」


さらりと返った回答に、ユーディットは目を丸くする。

ランプレヒト曰く、彼の母親には前世の記憶があり、生まれる前に物語としてこの世界を知っていたという。独自ともいえる語彙の数々は、母親の前世からのものらしい。


「恋物語の一種で、いくつかの結末を楽しめる喜劇のような仕様だったようです」


「いくつも結末があるのですか?」


「ええ。ユディ殿も恋物語を読んでよく思いませんか? 主人公が横恋慕した相手と結ばれた場合どうなるか、とか」


「あります」


「それが実際に物語として用意されていたそうです」


大筋は同じだが、一つの物語で複数の結末が楽しめるのだという。演劇でも喜劇の場合、途中に台本がない箇所があったり、回数を重ねても予測できない楽しさを提供するためにいくつかの結末を用意していることがある。そんな喜劇の脚本に酷似している恋物語は、まだこの世界には存在しない。

ユーディットも薔薇嗜好に目覚めるまえまでは、普通に男女の恋物語にときめいていた。だから、解る。主人公が出会った幾人かの異性のなかで自分の好みの者と結ばれてくれれば、と願ったことは何度となくあった。それでも作家が定めた男女が結ばれるのだ。物語を紡ぐ作家こそが神であり、そこに読者は反論の余地はない。けれど、出会う異性とそれぞれ結ばれた場合の結末が用意されているのであれば、読者のユーディットとしては願ったり叶ったりだ。

未知の形式の物語を知っていることから、別の世界を生きた記憶があるというのはあながち嘘ではないだろう。だが、それでも疑問は残る。


「生前の記憶があったとして、どうしてここが物語の世界だと思ったんですか?」


「母自身も父も物語の登場人物だから気付いたそうです。まぁ、舞台は母たちの学生時代のようなので、くだんの物語と酷似こくじしていたのは昔の話ですが」


「物語の世界だと知って、お母様はどうされたんですか……?」


既知の物語の登場人物だと気付いたのなら、それは一部とはいえ未来のあらすじを知っていることに近い。自身が関わることなのだ、何かしら行動を起こしたのだろうか。


「特に何も」


「な、何も……!?」


「はい。母は母でいただけです」


ランプレヒトの母は、物語の大筋を知っていながら気付いても何もしなかったという。いくつかの結末のなかにはランプレヒトの両親が結ばれない結果もあったというのに、自身の望む結末へ誘導しようともしなかった。彼の母の役割が端役だったこともあり、どの結末になったとしても運命だと受け入れる気でいたそうだ。


「じゃ……じゃあ、どの結末になったんですか……?」


ユーディットはどきどきと緊張した面持ちで訊いた。しかし、ランプレヒトはけろりと答える。


「どれにも」


「へ?」


「それぞれがそれぞれと生きただけで、どの結末にも当て嵌まらない結果となったそうです」


「変えようとしなかったのに……?」


「母は申しておりました。二次元虚構も、そこに生きれば三次元現実だと」


意外な結果をきき、ユーディットは呆気にとられる。ただ自分らしく生きただけで変わることもあるというのか。現実は物語や演劇とは違う。脚本、舞台上にあがっていない人間も生きている。その影響は計り知れないということだろうか。


「これは、某が物語の世界に行きたいと言ったときに、母が教えてくれた話です」


幼い頃、ランプレヒトは精霊の女の子と人間の女の子が仲良くなる童話が一番のお気に入りだった。その世界に旅立てたらどんなにいいかと当時は空想していた。好きな世界にいきたいという願いを彼の母親は否定しなかった。けれど、母親自身が物語の世界にきた経験を語ったあと、ひとつお願いをされた。

どの世界にいようと自分の幸せを諦めないでほしい、と。

自身の存在を消せる訳ではないから、自分が幸せになる道を模索するように頼まれた。


「なので、某はどの世界にいっても壁や空気になれるよう水魔法を鍛えることにしたのです!」


「それでいいんですか……?」


存在を消せないと諭されたのに、ランプレヒトは存在を消す技術を磨くことを目標にした。実際に水鏡の術を習得したのを知っているユーディットは、彼らしい結論だと感じつつも、心配になる。せっかくの彼の母親の思いやりが通じていない。


「よいのです。こうしてユディ殿と出会えましたから」


「わ、たし……??」


「某が某らしく生きていたから、ユディ殿という幸せを見つけました」


母親にいわれたとき、ランプレヒトは自分の幸せがピンとこなかった。だから、物語の世界にいっても自分の存在が登場人物たちの邪魔にならないように技術を磨いたのだ。それが自分にとって一番よいことだと思っていた。誰かを好きになる自分は想像できなかった。それが今はどうだ。


「己の生きている場所が現実ならば、してきた行いが消せないということ。つまり、何も無駄にならないということです」


ランプレヒトが好きなことを否定せずに貫いてこれたのは、両親が彼を否定しなかったからだ。そうして、他人にどう思われようと好きなことをしているユーディットに出逢えた。


「ユディ殿もユディ殿でいてくれて、よかったです」


自分もといわれて、ユーディットは瞠目する。

思い返してみると、ランプレヒトとの出会いは薔薇観察であった。他人に嫌われるのも覚悟のうえで貫いた薔薇嗜好ゆえの行動が発端だ。あのときは、自分と同様に百合観察している男性が存在するとは思ってもみなかった。

ランプレヒトは自分を映して嬉しそうに笑う。それが前髪越しでも判る。そうして、腑に落ちた。自分は自分でいていいのだと。

出会ってからずっと、彼は自分を肯定してくれる。ありのままのユーディットを求めてくれる。彼に肯定されるたびに、ユーディットは自分を好きになれた。薔薇嗜好の持ち主だからと卑下していたが、それでも女の子の面も失くしていないのだと認めることができたのだ。

この人を好きになってよかった。そんな気持ちでいっぱいになり、嬉しくなる。そう思える相手と出会えたことが夢のようだが、これは現実なのだ。夢でも物語でも、ユーディットのいる世界はここで、ランプレヒトが目の前にいることがすべて。


「はいっ」


感情のままにユーディットは微笑み返した。


「では、春期休暇になりましたら、両家に挨拶にいきましょう」


「は……、はい?」


にっこりとされた提案に、ユーディットは脈絡が掴めず首を傾げる。

開花の宴も終わり、三学期もあと少し。新年度を迎える前に短いが春期休暇がある。一ヶ月もないため実家が地方にあるものは、必要なものの仕送りを頼むだけで、寮で過ごす。王都近辺の者は、移動時間で休暇が潰れることはないため、家に帰ることが多い。所有する領地はともかく、侯爵家のランプレヒトも伯爵家のユーディットも家は王都にあるので、一時帰宅することだろう。

しかし、一体どうしてお互いの家へ訪問する予定が決まったのか。


「某は次男ですので、婿入りでもどちらでも構いませぬぞ」


「えぇ??」


いつ婚約の話になったのだ。そして、婿入りするか否かはそんな雑に扱っていい問題じゃない。ユーディットには一足飛びに感じるが、ランプレヒトには性急な話ではないようだ。


「そんな大事なことはもっと慎重に……」


「ユディ殿は、某がどう百合を愛でているかご存じでしょう?」


順序立てて進めようとユーディットが提案しきるまえに、ランプレヒトが問いを被せた。直接関係あると思えない問いだったが、ユーディットは反射的に答える。


「えっと、確か……か……」


口にしかけて、ユーディットはぼっと顔を真っ赤に染めた。普段なら薔薇妄想の最中で口にできることだというのに。

ランプレヒトの好む百合はプラトニック傾向である。その理由は、自身の性質と真逆だから。自分では生物学的に難しいことだからこそ、女性同士では可能ではと夢見るのだといっていた。

前髪の合間に空色の瞳が閃き、彼の膝のうえにいたユーディットは引き寄せられる。


「某は、清いままでいる気はありませぬぞ」


婚約を急ぐ最たる理由を告げられ、ユーディットは硬直した。そういえば、彼の兄であるアルトゥルに忠告を受けていたではないか。なのに、ずっと彼の膝のうえに落ち着いてしまっていた。


「っま、まだ食べないでください……!!」


ユーディットは迫る唇をどうにか両手で塞ぐ。少し触れるぐらいならばいいかもしれない、と思うが、忠告通りなら少しで済まないだろう。そうなると自分の許容量を超える。婚約もしていないのに、との彼女の訴えを、ランプレヒトがどう受け取るのか。今をしのぐことだけで精一杯の彼女は、婚約後の自身の身の安全にまで頭が回っていない。

薔薇妄想で想像力逞しいユーディットには、彼の意味するところが理解できすぎて恥ずかしさが倍増だ。その恥じらいが、彼の理性を脆くするとは気付いていないユーディットであった。



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