百面夜行

そうざ

Many Masks March through the Night

 それは風の強い夏の夜で、強風注意報で花火大会が中止になる程だった。

 時刻は二十時前、営業先から直帰しようと最寄駅に向かった俺は、その光景に愕然とした。花火を観られなかった人々が一挙に押し寄せ、ラッシュの様相を呈していたのだ。

 どっと疲れが増した。こっちは朝も早よから炎天下の外回りでくたくたなのだ。さっさとシャワーを浴びて一杯やりたいというのに――はっきり言って花火がなくなってざまあ見ろの心境だ。

「それはそうと、どうしたもんかな……」

 地図アプリに拠れば、ここから三十分くらい歩くと私鉄が乗り入れる別の駅がある。そこから普通列車に乗った方が確実に座れそうだ。少しばかり夜風に吹かれるのも悪くないだろう。

 俺は人波を後にした。

 

 シャッターの下りた商店街を抜けるとたちまち民家が乏しくなり、谷戸の一本道だけになった。

 先を見遣ると、疎らな街灯が上り坂を暗示させながら何処までも続いている。昼間の熱気を含んだ向かい風と汗とが絡み合い、早くも足が重くなってしまった。

「はぁ……失敗したかな」

 道形みちなりに進めば自然と駅に着く事は地図から一目瞭然だ。が、夜陰を背にした木々の梢が風を孕み、引き返すならば今の内だ、と引っ切りなしにそそのかす。


 不図、風の中にからっころっと異質な音が混じっている事に気付いた。

 行く手に影法師が見える。紺地に花を咲かせた浴衣の女性が、下駄を鳴らして先を往く。花火を観損なった人だろう。近隣在住か、俺と同じく駅の混雑に恐れを成した口に違いない。

 不意の道連れに足取りが少し軽くなった。下駄の風情も悪くない。

 後頭部に白っぽく見える物は――街灯に近付くと、それは白狐の面だと知れた。何処かで祭り囃子が聴こえる気がした。

 白狐は緩々ゆるゆると歩いているが、追い付けそうで追い付けない。追い抜けそうで追い抜けない。

 やがて、煉瓦造りの隧道が闇にぽっかりと口を開けているのが見えた。車一台がやっと通れるくらいの古そうな横穴だ。

 向かい風が追い風に変わり、轟音となった。下駄のは壁や天井を転げ回って響き渡る。

 からっころっ、からっころっ、二人、三人、からっころっ、からっころっ、四人、五人――。

 影法師は皆、後頭部に様々な面を付けていた。動物もあれば、漫画やアニメのキャラクター、ヒーロー、ヒロイン、お亀にひょっとこ、翁に般若、天部に明王、菩薩に如来――無数の面が俺をめ付けながら行き過ぎる。

 からっころっ、からっころっ、それにしても長い隧道だ。

 からっころっ、からっころっ、出口が一向に見えない。

 からっころっ、からっころっ――幾ら何でもおかしい。

 数限りない影法師が激流となって俺を飲み込もうとしている。

 全ての面が嗤っている。

 俺は目をつぶり、耳を塞ぎ、息を止めた。


 ――脳裏で大輪の花火が炸裂した。


 

 押し合い圧し合いの車内。

 汗だくで歩き続けた甲斐もなく、私鉄も鮨詰めだった。蓋を開けてみれば、多くの人が俺と同じ事を考えたという訳だ。

 饐えたにおいに辟易としながら車両の彼方へ目を移すと、白狐が嗤っている。周囲の面も嗤っている。

 自分の後頭部に触れてみた。手探りでは面の造作はよく分からない。

 分かっているのは、本来の顔が凹凸もなくつるりとしている事だけだった。

 もう面を取り去る事は出来ないらしい。本来の顔を失くしてしまっては恰好が付かないからだろう。

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