第3話

「すごいね!じゃあ、来月には全部ひまわり畑になるんだ!」

「まぁな。毎年夏休みの宿題でそこに行って絵を描かなきゃいけないんだ」

少年はスマートフォンの画像フォルダを開くと、過去の写真を遡った。そして一枚の写真で指を止める。

「これ、去年のひまわり畑」

「すごいすごい!本当に一面にひまわりが咲くんだね!」

「毎年咲くからもう見慣れてるよ」

「いいなぁ、私も見てみたい」

望叶はからっと晴れた空と、充満するひまわりの葉の青臭さを想像した。少年の話を聞いていると、まるでひまわり畑の中心に立っているような気持ちになれる。

「じゃあ、今度持って来てやるよ」

「えっ」

「今週から夏休みだから、どうせ暇だし」

望叶は一瞬返事に悩んだが、すぐに微笑みを浮かべる。膝の上でコンが小さく首を振っていた。

「ありがとう。でもひまわりを折ったら怒られちゃうでしょ?だから君の話だけで十分だよ」

「一本くらい大丈夫だよ、別に」

望叶は今度は黙って首を振った。少年が拗ねたような顔をしたので、「君が怒られる方が困るもの」と付け足す。

本当は見てみたかった。だって望叶は実物のひまわりを見たことがない。この山に咲いている花しか知らないのだ。実物はさぞ美しいだろう。

「その代わりもっともっと色んなことを聞かせて。ひまわりの次は何が咲くの?」

少年はたくさんの景色を教えてくれた。明日友達と約束している市民プールのこと、その建物裏に野良猫の親子がいること、家で犬を飼っていること、夏休みは毎日散歩に行くと決めたこと、毎朝公園でラジオ体操があること、公園の近くにもうすぐ一面にひまわりが咲くこと。そして、その次は。

二人の頭上でパッと大きな花が咲いた。思わず顔を上げると、遅れてドンと重たい音がする。夜七時。花火の打ち上げが始まったのだ。

「わぁ、大きいね」

「そうだな」

二人はしばらく花火に魅入っていた。山頂から見る花火はいつもより近く感じる。少年が隣を見ると、望叶の横顔が色とりどりに照らされていた。夜空を見上げる瞳には花火がチカチカと輝いている。

少年はもうわかっていた。たぶん彼女はただの人ではない。本当は途中から気づいていた。外に行くと悪くなる身体、少年の話をキラキラした顔で聞く様子、そして断られた一輪のひまわり。彼女はきっと、精霊とか、妖怪とか、そういった類なのだ。それか、もしかしたら神様か。だって彼女が空を見上げる瞳はこんなに美しい。

「ありがとう。いつも見る花火より綺麗に見えるよ。君が居てくれたおかげだね」

望叶が少年に顔を向けると、パチリと視線が合った。

「お礼はこっちの台詞だ。特等席だったのに」

「ううん。誰かと一緒に見た方が綺麗なんだって、今日初めて知った。だから、ありがとう」

少年は「俺も、」と言ったあとに、小さな声で「ありがとう」と告げた。面と向かって礼を言うのはこんなに恥ずかしいことだったか。

花火が終わるまで二人はものを言わなかった。二人で寄添って花火を見上げるこの空間が、世界で一番神聖なものに感じられた。

「花火、終わっちゃったね」

一際大きな花火が上がると、夜空は急に静かになった。午後八時。花火が終了した。それは、祭りの終わりでもあった。

「……もう帰らないとね。さすがにご両親が心配しちゃう」

望叶は立ち上がって振り返った。離れ難かった。もっと一緒にいたい。花火が咲いたら、次はどうなるのか続きを教えてほしい。でも彼は人間で、人間は人間の世界に帰るべきだ。そうでなければいけない。

「……そうだな」

少年は膝に手をついてゆっくり立ち上がった。ほとんど変わらない位置にお互いの瞳がある。彼の瞳に映る自分はひどく情けがない顔をしていると、望叶は思った。

「コンに案内してもらうね。もう暗いから、気をつけて」

離れ難いと気がつくと、だんだん微笑むのが下手になる。コンが足元からぴょんと跳ねた。それに倣って望叶も茂みの方へ一歩進む。

「なぁ、俺明日も来るよ。夜」

少年はその場から動かずに言った。

「……ここは立入禁止なんだよ。もう来れないの」

「じゃあ明後日来る」

「だめだよ、できない」

「明々後日は?」

望叶は首を横に振る。

「何でダメなんだ?どうしたらダメじゃなくなる?」

その問に望叶は沈黙を返すことしかできなかった。

「俺が来るとお前は困るのか?」

「…………」

「わかった」

望叶の沈黙を、少年は今度はイエスと受け取った。彼は素直に望叶の方へ来て、その脇をすり抜け、そして振り返る。

「なぁ、来年の花火も一緒に見よう」

「えっ?」

「一緒に見た方がキレイなんだろ。一年後また来るから、来年の花火も一緒に見よう」

少年の肩越しに、すでに茂みの前で待っているコンを見る。その望叶の表情には、迷いと決意が両方とも浮かんでいた。コンはキュウと一つ鳴く。望叶にだけ聞き取れた。「仕方ないね。特別だよ」と言っている。

「うん。約束する。来年も一緒に花火を見よう」

そう答えた望叶の顔には自然と笑顔が浮かんでいた。受け取った少年も嬉しそうに笑った。彼は手にしていた狐の面を差し出す。

「これ、やる。お前が言う外の世界のものだから、今日俺が来た証拠。そんで、約束の印」

望叶はそっと両手を添えて面を受け取った。狐の赤い化粧も、心なしか初めより柔らかい印象を受ける。

「ありがとう。来年会うときまで大事に持ってる」

コンがキュウキュウと鳴いた。そろそろ時間だと急かしている。言葉はわからなくとも意味は通じたのか、少年はちらりとそちらを振り返った。

「もう、お別れだね」

「ああ。また来年」

「うん。待ってるね」

少年は一度背を向け、もう一度望叶の方を見ると聞いた。

「なぁ、お前名前なんていうの」

「望叶。かなみだよ」

少年はニカッと笑うと「キレイな名前だな!」と言った。

「君はなんていうの」

そう尋ねたときには少年はもう駆け出していて、コンは茂みに飛び込んだ。

「来年会った時に教えてやるよ!」

そう答えると、少年はコンを追って茂みの中に姿を消した。ほの暗い本殿に、望叶一人になる。

望叶は手にした面を覗き込んだ。来年、また彼に会える。先程狐の化粧が柔らかく感じたのは、きっとツンとした目つきが彼に似ていたからだろう。

少女の浮ついた心を覚ますように、さらさらと冷たい風が吹き抜けた。

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