三章

第40話

薄暗い夜の街、無駄に広い一軒家で男の咽び泣く声が響く。男はベッドに伏すような形で泣いている。

ベッドに眠っているのは一人の冷たい少女。少女はピクリとも動かず、安らかな顔をして永遠の眠りについている。


「ミール……行かないでくれ。どうか、私を1人にしないでくれ」


男は少女との記憶を振り返る。

体の弱い妻が命を賭して産んだ最初で最後の一人娘。平和に冠する名前を付け、男が一人で大事に大事に育ててきた宝物。

少女は母同様に……いや、それ以上に体が弱かった。元気に外で遊ぶこともできず、ベッドの上で過ごす毎日。

学校にも行けず友達もできず、父としか過ごせずさびしいはずなのに笑顔を向けてくれる優しい子だった。


「どうして、お前が行かなくちゃならないんだ……!まだ10歳で、たくさん良いことがあったはずなのに。アモルの分も生きるべきだったのに。どうしてなんだ……!!」


冷たい少女の手を必死に握る。またこの手が握り返してくれるのを求めて。

けれど、世界は非常だ。

そう簡単に奇跡は起きるはずがない。


起きるのはいつだって底の知れない純粋な悪意による不幸だけだ。


「おやおや、必死にしがみ付いても、その少女は帰ってきてくれませんよ」


後ろから、声が響いた。抑揚もなく機械的な、不気味で不快な声だ。

明らかに怪しい存在のはずなのに、男は何の反応も示さない。その胸を占めている諦観と喪失感のせいで、全てがどうでもよく感じてしまう。

どうして後ろの存在が家の中にいるのかとか、どうして自分に話しかけてくるのだろうかとか、疑問は山ほどある。

ただその全てがどうでもいい。男にはもう、何の希望も残っていなかった。


「哀れですねぇ。実に哀れです。そんな哀れなあなたに、私が救いの手を差し伸べてあげましょう」

「……救い?妻も娘を失ったのに、そんなものがどこにあるというんだ」

「もし、その二人を生き返らせれると言ったら?」

「………」


初めて、男が後ろを向いた。

モノクルを付け胡散臭い笑みを浮かべたスーツ姿の男が、そこにいた。


「どうです?私達について来ませんか?」


差し伸べられた手を、男はゆっくりと握った。



失うものは何もない。



もしまたあの幸せを手に入れられるなら



彼は人を



害す事も厭わない。

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